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Pressure

(おもちゃのようなおとぎ話)


彼は宇宙に行きたかった。

ペンギン暦2022年、地球の大気は人類が巻き散らした傲慢や欺瞞で汚染され、すでに清浄回復への見込みはなく、地上は重力よりも権力や資本の力が大きく作用するようになっていた。

その彼は腰を曲げ姿勢を低くして歩くしかなかった。今では地球の変化に順応できたウェ~イ種のみが真っ直ぐ立って歩くことが可能だったのだ。

「ここから解放されたい、この重力から解放されたい」
その一部の種族を除けば、誰もがそう思っていた。


宇宙に憧れた彼は『宇宙派遣』の仕事に就くことにした。応募さえすれば、老若男女、種族を問わず誰でもその仕事に従事することができる。報酬は破格、派遣先は勿論宇宙空間だ。

仕事の内容は簡単だ。ただ用意されたカプセルに乗って宇宙で生活すれば良い。カプセルには生命維持に必要十分な機能は備わっている。後はその様子をモニターされるだけ。

応募からほんの数日後、彼はあっさりと地球から解き放たれた。

「俺は自由だ!」

彼は曲っていた背中を伸ばし勝鬨の声を上げて離れていく黒い地球に別れを告げた。そして宇宙での夢のような生活が始まったのだ。

ただゆったりと生活をするだけの毎日。特に何を指示されるわけでもない。同乗者を希望することも出来たが、彼はひとりでの暮らしを選んだ。

出発から半年後・・最初のトラブルは通信機器の故障だった。地球側の声や映像が届かなくなったのだ。

それでも何も不自由しかなった。こちらの声や映像、カプセルが計測しているデータは届いている様子だったし、何よりカプセルさえ正常なら生きていける。逆に指示や報告が無くなり、もっと自由になれた気さえした。

次に重力発生装置の不具合が起きた。

それでも不都合はない。地球上の30%の重力になって逆に体が軽くスイスイと動ける。更に自由になれた気がした。

次は少しマズイ。自給自足の畑への水分、肥料散布用の機器が故障したのだ。シャフトが折れてしまって修理は不可能だった。仕方が無いので水や肥料を自分の手で撒いた。分量もわからないから資料を漁り食物の生育に最適な量とタイミングを研究する。退屈しきっていた彼は研究に熱中した。

一日の周期を保っていた照明が壊れた時には、常時明かりを付けっぱなしにしたり、逆に真っ暗にして50時間も眠るようになったりと生態リズムを壊してしまい、結局自分で朝・昼・夜と時間を決めて手動で一日の明かりを調整する習慣をつけた。

それからも当然のように次から次へとトラブルが起きる。しかし、いくらかの物資や予備部品、何よりもデータ化された膨大な量の資料を読めば何らかの解決法を見出すことができた。

***

地球ではコスモ・クリストファー研究所が彼の様子をモニターしていた。この『宇宙派遣』事業を展開しているウェ~イ種の組織だ。

「D-250は順調なようだな」
「そうですね。第152ステージも今日クリアしました」
「彼は・・・地球上ではどうだったかな。」
「資料によれば、地球上のプレッシャーには順応できないタイプでかなり委縮した仕事ぶりでした。外圧には弱いのですが、これまでの結果から思考そのものは出来るようです。このタイプは最初に通信を切るのが一番良い結果になりますね。」
「上からのプレッシャーが思考停止を招くのはこのタイプに限ったことではないがな。そうか・・・しかしD-250の観測も難しい距離になってきたな」
「そうですね。そろそろ3年になります。良い被検体だったんですが」
「あとは10年ごとのデータチップがどの程度回収できるかだな。」
「彼のカプセル保守能力なら期待できますよ。あの座標軸に残った唯一のカプセルであることは評価に値します。」
「そうだな」

この『宇宙派遣』には期間もなければ、環境の保守、補充物資などもない。カプセルと共に放出されたら、地球に帰れるのは小さなデータチップだけだった。

***

たぶん3年ぐらい経ったであろうその日、彼の元に1通のメールが届いた。通信機器が故障してから初めての連絡。たまたま何かの具合で届いたのだろうと彼は思った。

メールにはこれまでの年収の300倍の報酬が彼の口座に振り込まれたと書いてある。しかも契約時の1.5倍になっていて、評価として「1万いいね❤達成」と書き加えられていた。

「つまらんな」

ボタンひとつでそのメールを消去した。その報酬を家族に残す人が大半だったようだが、彼にはその相手も居なかったからこの数字は何の意味も持たない。
彼は評価やお金からも自由になったことを実感していた。


すべての圧力から解放された彼は軽く自由だ。

確かに軽かった。体の中がどこかぽっかり空いている。

しかし毎日の生命維持のための労働だけは必要で、誰の指示でもないのに結局働いている事に変わりはない。最初は熱中した研究も自分が生きていくのに必要十分になるとその先はどうでも良くなった。

ほぼ無重力になったカプセルは最初こそ軽々と楽しかったが、今では筋力が落ちすぎて呼吸すら重く感じるようになっていった。

日数も年数も数えなくなったある日、カプセルの中に居ることが息苦しくなった彼は宇宙服を着こんでカプセルの外に出てみた。

上も、下も、右も、左も、前も、後ろもない・・・真っ暗闇の空間に遠くの星々だけが光る粒になって散らばっている。黒く見えた地球もあの中のひとつなんだろうか。

宇宙空間を浮遊する彼はその光を肉眼で見たくなり、とうとうヘルメットをはずし、宇宙服も窮屈に感じて全部脱いでしまった。

生まれたままの姿になった彼は、減圧による体内の変化よりも先に生きる為の酸素を失い、ついに自由からも解放されたのだった。

***

ペンギン暦2202年、D-250ルートと名付けられた新天地に向かって地球脱出用カプセルが次々と打ち上げられていく。

ウェ~イ種の研究機関であったコスモ・クリストファー研究所が、心に翼を持ったノーアル・タカ種に移管されてから100年後のことだった。

<了>

おとぎ話が長くなり9日目を今頃投稿してます(;^_^A



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