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「読む人」と「わたし」が=になれる、そんなことばを紡いでいきたい。 〜[読書日記] 「書く習慣」/いしかわゆき〜

[読書日記] と題して、
わたしが出会って、おもしろかった、感動した、だれかにオススメしたくなった...
そんな、心動かされた本を記していきます。

"だれかの、なにかになれたらいいな"。そんなきもちで。

さて、今回、読書日記をつけるのは、
いしかわゆきさんの「書く習慣」。

こちらの本、実は、SNSでよく見かけて、ずっと気になっていて、今月こそ、読むぞ〜!と、お気に入りの本屋さんでホクホクしたきもちでお持ち帰りしてきた本でした。

わたしは本がある空間が好きで、そこにいるだけで落ち着くというか、自分を取り戻せるような感覚があります。

amazonだとすぐに届くし、わざわざ本屋さんで探す手間もないのだけど、やっぱり、読みたいなと思った本は本屋さんで出会いたい派です。
この本好きトークは、長くなりそうなので、また、どこかで。

話がすこし逸れてしまいましたが、
この本を読んで、一番最初に味わったことは、「今、読めてよかった」というじんわりと広がる温かい余韻。それでいいんだよ、と背中を押してもらったような、救われたような気持ちになりました。シンプルに、また「書く」を楽しんでみたいなという気持ちになれたのです。

わたしはこれまでのnoteでも書いてきたように、「書く」ことがとても好きで楽しんでいる一方で、同じくらい「怖さ」と「不安」を感じるものとして、向き合ってきました。

自分の感じたこと、考えたことをどこかに残しておきたい。

そんなふうに思いながらも、
もし、この文章を読んで、だれかをイヤな気持ちにさせてしまったり、傷つけたり、
怒りや不満をかってしまったら、どうしよう。。。

そんな思いから、書いたものは自分の中で、
あるいは、親しい人にのみ公開する形に留めていました。

でも、今、思えば、それは、自分の書いた記事を
だれかに
読んで欲しい。
認めて欲しい。
共感して欲しい。
だれかのなにかになれたらいいな。
そんな思いがあったからで。
傷つきたくないから、自分を守っていただけなんだな、と
改めて気づくことがました。

と、同時に、「書いてみよう」と、前向きに、一歩踏み出すきっかけをくれた大切な1冊となりました。

この本を読んでグッと来たことばたちを集めるように引用しながらお話ししていきます。

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人は誰よりも自分のことが大切で、自分のことを語りたい生き物なのです。

むしろ、自分語りをするために書いていい。

作文の時間に先生にピッと入れられた赤ペンは無視して、どこまでも自由に思いを紡いでいきましょう。

「書く習慣」/ いしかわゆき

あなたの80点は誰かにとっての100点です。

意味づけをするのは読んだ人。
「意味がないかも」の躊躇せず、判断を委ねてみよう。

「書く習慣」/ いしかわゆき

誰かの目に留まってなにかがはじまるかもしれない。でも書かなければ、すべてはあなたのみぞ知ること。伝えたいことがあるのなら、筆を取る。

「書く習慣」/ いしかわゆき

「実体験」はその人が持っている唯一無二のもの。誰の体験にも代え難い貴重な宝物なのです。

あなたの体験で、誰かの未来は救えるかも。

あなたの体験はあなただけの特別なものだし、人の心を動かすのは人の心だから。

「書く」ことはあなたのモヤモヤにいっしょに寄り添ってくれます。

自分のコンプレックスとかダメなところ、かけられた「呪い」は、自分ひとりで抱えて心の奥に仕舞っておくのではなくて、世の中に出してみましょう。

「書く習慣」/ いしかわゆき

飾らない本音だから、面白いんです。
本音だから読まれるんです。

「書く習慣」/ いしかわゆき

「自分語りをするために書いていい。」

まず、このことばにグッときて、心の枷を外してもらえたような気持ちになりました。(じわぁと、涙がこみあげてきた部分でもあります。)
これまで、わたしが講座を受講してみたり、仕事の中で文章を書くにあたって、ずっと言われてきたことは「読み手を第一に」ということでした。

「読む人のきもちに寄り添って書きたい」という気持ちはありながらも、
「自分語り」から抜け出せない。
自分の内側から生まれてくることばを紡ぐしか、
書きたいと思ったものからしか書けない自分に
苦しさやコンプレックスを感じるようになっていきました。
何度も添削されて赤でいっぱいになった文章が返されるたびに
今回も、見送ります。この文章を書いてどうしたいの?と言われるたびに、
「書く」ことへの楽しさも、やる気も、自信もしぼんでいきました。(書きながら、あのときの痛みや苦しさ、悔しさがじわり。)

単純に自分には書くという「スキル」も「センス」もないのだ。「書く」はいくら好きだとしても、もう、やめたほうがよいのかもな。。。なんて、思ったこともありました。

これまで、「書く」ことは自分にとって、楽しくて、自然に、いくらでもできることだったのに、自分なりに一生懸命書いて、これならいけるかも!と送った文章に
いろんな評価がつけられて返ってくるのが怖くて、次が、書けなくなっていきました。

プロのライターさんたちのすごさを実感しながら、どうやったら、「読む人が読んでよかった」と、「よい読後感」ってなんだろう、求められる文章はどうやったら書くことができるんだろう。。。と、さまざまなもやもやを抱え、ついにわたしは「だれかのために」書くことを諦めてしまいました。

そんなときに、出会ったこのひとこと。
「自分が書きたい」から書く。
シンプルにそれだけでいい。

どんな意味をつけるかは「読んだ人」が決めること。
そう思うと、なんだかきもちが軽くなって、
自分が書いたものに対して
どんなリアクションが返ってきたとしても、それは自分ではコントロールできない部分だ。と、切り離して考えてもいい。
わたしが、わたしのために書いたことが
ひとりでも、だれかの心に届いたらそれは、とってもhappyな副産物といえるのでは、と、思えるようになりました。


だれかのために書くことが前提だと、わたしにとっては「書く」ことが苦しいものになってしまう。
自分のきもちが削られていくような気持ちになる。
だから、「自分のため」に書いたことが「だれかのため」にもなれたらいいな、くらいの気持ちで書く方がわたしには自然だし、楽しく続けられるのかもしれない。
「わたし」ファーストで書いたもので得る共感のほうが
わたしにとっても、読むひとにとっても、お互いにとってよいhappyになる。
わたしと読者さんが、ことばというものを通して「=」でつながれるような
わたしのなにかと読者さんのなにかが重なった瞬間を大切にしながら、
共感を呼んだり、読めてよかったなと思っていただけるような
ことばを紡いでいけるようになりたいなと、今は、思います。

イメージはこんな感じかな…
(いまいち、自分の中の感覚を、しっくりいくもので表現できていないので、今後、より、しっくり来る方へ変わっていくかもしれません。じっくりゆっくり深めながら温めたい感覚です。)

「=」でつながる。
ことばというものを通して、「対等」につながっている感覚。
年齢とか、立場とか、役割とかそういうものを一旦置いておいて
「ひと」と「ひと」として、つながれている。そんな感覚。
「わたしのなにか」と「だれかのなにか」が
重なる。はこんなイメージ。
「自分」も「相手」もどちらも大事にしたい。
バランスは難しいし、悩ましいけれど。
重なって少し色が変わるような、グラデーションがある部分が好き。


「わたし」発信のものだからこそ、きっと、だれかに届くものがある。
そう、願って。
「書く」ことが好きというきもちや、楽しいと感じる自分の心をまずは大切に、
そっと、ここに綴っていきたいと思います。

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「いかに日常をネタとして書けるかどうか」

あなたの「日常」は、他人には「非日常」かも。

「書く習慣」/ いしかわゆき

「心に引っかかる」というのは今の自分が無自覚に必要としていたり、どこかで気にしていることだったりするので…

「書く習慣」/ いしかわゆき

出来事としてはなにもなかったかもしれないけど、ぼーっとしながらでも「考えたこと」や「感じたこと」があるはず。
なにもしなかった日でも、「思い」をことばにしていくことはできるのです。
「なにもしなかった」も書くと、「なにかした」ことに気づける。

なにかに触れて、なにかを感じて、何かの感想を抱く。感情が動いたら、それがインプット。

「書く習慣」/ いしかわゆき

言葉の力を使って、平凡な毎日をラベリングしましょう。

日々の生活の中で見える何気ない世界

その瞬間のことはその瞬間の自分しか書けない。

「書く習慣」/ いしかわゆき

自分にとって、当たり前のように感じていることや
普段、考えていることも、もしかしたら「だれかのため」になるのかも。
そんなふうに思えた一文。
なにげないことにこそ、自分にとって宝物のように大切にしたい瞬間が詰まっている。
どの部分を切り取って残していくかは、まるで「カメラでシャッターを切る」ときみたいだなと。
「撮りたい」と思うときとは、自分がいいな、残したい、と心が動いた瞬間で、
「書きたい」と思うときと同じだなとわたしは思いました。

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ほかにもたくさん、メモしたところはありますが、
特に、自分の心が揺さぶられた部分と
そのとき、どんなきもちになったのか、どんなことを考えたのかを
残しておきたくて、日記をつけてみました。
同じ本を読まれた読者さんたちはどんな感想をもたれたのでしょう。
どこかで感想交換できたら嬉しいです。(コメント喜びます!!)

さて、今週はこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、次回のnoteでもお会いできましたら。

2022.04.08.

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