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放熱駄文

音楽でも書物でも、作品が出版ってレールに乗るということは『創作物が商品に変わる』ことだと思う。

その際に見落としがちなのは、創り手は100%自分の作品に集中してほしいと思い、商品に変える側のヒトは複数の案件を抱えているって事実と傾向。

「自分を大切に扱ってないと感じたヒトとの関係はさっさと切ってしまう方がいい」と、ある物書きが主張していた。でも、作品を商品に変える役目の側の事情も、オトナになってくると察することができるようになってしまい「自分のことだけに集中しろ」とは主張しづらくなってくる、でしょ?

そういうときは「待て、はたして自分はこの作品を本当に商品に変えて
もらいたいのか?」ってとこに戻ってみるのも有りなのかな、と思う。

先方が大切に思うのは「この作品」を商品に変えることなのか、または
「作品を商品に変える」こと自体なのか、そのバランスは?と想像してみるのも一興かも。

というのは、作品を創るのも、商品を送り出すのも
いまや、その道の玄人だけの独占作業じゃなくなって
いると思うから、出版に旨味や名誉を夢見ていられた
時代とは違ってきている中での選択肢は増えている筈。

てなことを、モリコーネのドキュメントの予告篇で
彼とキューブリックとのすれ違いエピソードを知って
以来、ことあるたびに考えている。

双方のうまい寄り添いかたに解決の鍵があるよね、きっと。。。

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