私の繊細リーマン生活【適応障害1回目!】
皆さん、こんにちは。
繊細リーマンゆうたろうです。
このnoteは適応障害で休職と転職を繰り返す繊細サラリーマンの体験談を、一方的にあなたの脳内に語りかけていく記事です。
私はこれまで、2度の適応障害で休職と転職を繰り返し、今も「普通の会社員」が出来ずに苦しんでいます。
この記事の内容で、共感できることが1つでもあれば嬉しいですし、読んでいただいているあなたが、
そんなことを実感いただけたなら、この記事を晒す甲斐があったなと思えます。
初めて適応障害と診断された日
こんな症状が続き、いくら休んでも体が休まった感覚が無い・・・。
カスタマーサポートのマネージャーとして働いていた私は、日々の報告や分析、提案、改善活動、メンバーフォロー、、、
マルチタスクで頭のメモリが悲鳴をあげていました。
その日は上司への報告メールを、震える指で送信ボタンを押し終え、新しく入社したチームメンバーと面談。
自分自身の気持ちが沈んでいて他人の相談に乗れる気分ではありませんが、立場上そんなことは言っていられず、面談室へ向かいます。
面談相手の新人さんの顔は曇っており、話を聞いてみると、どうやら研修講師と上手くいっていない様子。
次のようなことを話されました。
この新人さんが所属する現場では、新規採用を繰り返しても、人が育たず、人間関係を理由に離職率の高いチーム。
このような相談は過去から何度かあり、都度担当講師や直属の上長へ改善をお願いしていたところでした。
しかし、自分の力不足から状況がまったく変わっていない。
それどころか、悪化しているようにも思える…。
こんな話を聞いているうちに、申し訳なさやら、不甲斐なさやらで、、
思い出すにこんなことを一気に話をして、一緒に泣いていました。
詳しくは後述するのですが、自分の気持ちとリンクする部分もあり、自分の感情も噴き出してしまいました。
我ながら情けないマネージャーだったなぁと、恥ずかしい気持ちになっちゃいます。
面談を終え、この対策をまた考えなくては…と席に戻ったら、
上司に提出した資料の表現修正の指摘メール。
画像の位置がおかしい、日本語の表現はこれにしろ、などの細かな内容。
ー なるほど、この資料、TEDにでも出すやつだったんかな?
溜息をつきながら指摘の文面を眺めていたら、他メンバーから仕事の相談がチャットで舞い込みます。
集中できずにうわの空でそれを見ながら、
ー ああ、そういえばクライアントへの月次報告、明日だっけ。何も準備できてないな。
とそこで、
ギブアップ。
気付いたらパソコンがいつのまにかシャットダウン中の画面。
(自分がやったんだけど)
これまで我慢してたものが一気に決壊した感覚がありました。
何がどう大丈夫なんや?と我ながら情けないへなちょこ口調で上司へ告げ、荷物をロッカーからとり、会社を出ました。
明るい時間に退社したので、一瞬気持ちが浮かれてしまいましたが、この症状はさすがにまずいと思い、心療内科へ。
そこで優しそうなシュッとした心療内科の先生が、
と、しばらく休職するよう診断書を渡されました。
蓄積していた3つの恐怖
きっかけとしてはあっけない感じで適応障害の診断となりました。
新人さんの状況も改善しないといけないのに、自分がダメになってしまいました。
言い訳ですが、ここまでに次の3つの恐怖感が蓄積された結果だと思っています。
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1.会社は自分を守ってくれないという確信
2.上司に振り回され、遠心力で心がペシャンコ
3.改善しない現場と上からのプレッシャー
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それぞれ思いをさらさせて下さい。
1.会社は自分を守ってくれないという確信
突然ですが私は社内恋愛で、結婚後も妻と同じ職場でした。
部署は異なるものの、ランチは一緒にとったり、業務上協力しあったり。
周りの人にも認知され、応援してもらいながら上手くやっているつもり、でした。
しかし、ある日妻とも私とも全く違う部署のある女性Aさんが、会議室に妻を呼び出し、もの凄い剣幕、口調で妻を罵倒したんです。
(二人っきりでのことだったので、状況は妻や同僚からの情報収集のみにはなります。)
内容としては妻の普段の行動が気に入らないというのが主。
妻の落ち度は多少あったにせよ、完全な言いがかりでした。
ただただ妻を傷つけることが目的だったと私は思っています。
というのも、その女性Aさんの彼氏さんと妻が昔、交際していたことがあったんです。
Aさんの彼は、元カノである妻への批判や不満を言うことで、彼女を安心させていた様子。
そのせいもあって、Aさんが抱く妻への印象がかなり偏っていて、批判的な感情で固まってしまっていました。
妻は、あまりの罵倒っぷりに恐怖で仕事へ行けなくなり、混乱し、自分を責め続けます。
毎晩眠ることができず、情緒不安定で突然泣き出すような状態。
私は妻が極端な行動に出ないか心配で、1日だけ無理を言って仕事の休みを貰い、看護をしていました。
しかし、休みをもらったその日の朝、上司から電話が。
スマホの着信があった瞬間、嫌な予感がしましたが、案の定の出勤命令。
現場には迷惑がかからないよう調整し、事前に休む許可は取ったのに…。
当時の私は昇進したばかりでその本部の上司の言いなりでした。結局やむなく出社し、同じ部署の皆にお詫びしてまわることに。
お詫びされた相手も「なんで謝るんですか?」と驚いていましたが、私も納得いかず、この時点で価値観が合わない組織での出世に疑問を持つように。
ああ、この会社は何かあっても自分を守ってはくれないぞ、と。
2.上司に振り回されて遠心力で心がペシャンコに
先述の事件から何とか妻は持ち直し、出社できるようになりました。
私も心配しながらも、普段通りに仕事をするようになったころ。
担当している窓口には問題が山積み。
高い退職率、上がらない生産性、管理者と部下のいがみ合い、無くならない致命的ミスなどなど。。
さて、どこから手を付けようかと頭を抱えていたとき。
例の上司から連絡が。
当時新人マネージャーだった私は、これも洗礼だ、登竜門だ、と思って受けました。
ただ、コロナが徐々に流行りだし、自粛のムードが日本に初めて広まりつつある時期だったので、「人数は最小限で進めます」と伝えたところ、
そこで参加者が40名ほどになってきたころ、また上司から電話が入り、
「普通に集めて」をもっと具体的に確認しなかった私が悪いんです。。
そう思いながら、
参加とお返事いただいた方に一人ひとり状況説明。
連絡連絡・・・。もうここだけで午前中がつぶれてしまいました。
とはいえ、絞りに絞った参加者をリストに入力。
よし、終了!プレゼントとか用意して、あとは当日だと思ったその次の日。
え!!?しまった・・・。
自分を除いた参加者をリストにしてたので、それをそのまま最終版にしてた。。
ちょいとしたポカだ。と思い、
ええええええええええ。
何度か上司へ電話かけるも、取り付く島もなし。
まじかよ、プレゼントとか寄せ書きとか準備したのに!泣
泣く泣く、幹事の代役を立てるためにあちこちに電話・・・。
中々見つからない・・・。皆いそがしいもんね。。。詰んだ。
もう一度上司に電話するも、出てくれさえしない。。
と、ここで一大決心し、上司の上司に連絡して状況を説明。
すると、私も参加OKに。
それを上司に連絡すると、
お店に予約人数を再訂正で連絡し、無事終了!と思ったらもう19時・・・。
おーーーーい、マネージャーってこんな仕事じゃねーだろーい!
こっちはぶんぶん振り回されて、遠心力でぺちゃんこよ。
目の敵にされたか、育てるつもりだったのか、こんなことがよく起こりました。
3.改善しない現場と上からのプレッシャー
当時カスタマーサポートの現場で、新人マネージャーとして6つの窓口を担当していました。
その中で高い離職率、低い生産性、雰囲気最悪、といった問題を抱えていた窓口が2つ。
その窓口を担当する管理者のマインドが、もう目がくらむほどに低い。
勤務中に寝てるわ、部下への指示を間違うわ、それでも謝らないわ、人によって態度を変えるわで。でも、ここが変われば現場も変わるな、と。
そこでまずは山本五十六さんよろしく、
を泥臭く実践。
何事もまずは先頭に立って自分がやってみる。そして、やったことの理由や背景、考え方を伝える。
などなど、地道にコミュニケーションを取りながら管理者のマインドを変える方向で奮闘していました。
しかしそんな中で、例の上司から無茶な要求が日々やってきます。
まずは雰囲気から変えたい、という私の思いもむなしく、現場の負担を考えない改善施策を強要されました。
私の部下にあたる管理者たちは「忙しい」を理由に施策を実行してくれず、結局一人で現場を奔走。
ストップウォッチを持ってどのプロセスで時間がかかるのか、全席にお邪魔して計測なんかもしてました。
そして、現場から片道1時間かかる本部まで毎週呼び出され、進捗を報告しなければなりません。
その時の報告資料のクオリティも高いものが求められ、数値的根拠、今後の見通しを完璧に仕上げなければなりませんでした。
施策を実行し、効果を測定し、また次の修正案を考え、資料を作成する・・・
全て一人でやらざるを得ず、毎日遅くまで、休みの日もパソコンで分析や資料作成に追われていました。
4半期ごとにある本部での取り組み事例発表があり、そこで分かりやすい派手な施策、効果を、上からは求められていました。
しかし、それを実行する土台というか、雰囲気づくりから先に手を付けたかった。。
自分の思いを伝える力がなかったのだ、と今は後悔しています。
期待されるような効果も出ず、むしろ悪化していく数値を見ながら、自分の心が重く暗くなっていっていました。
まとめ 妻の妊娠中に適応障害で休職するという辛さ
こんなことが積み重なって私は適応障害となりました。
そこから3か月間仕事は休職し、生活は不安定な状態に。
妻はその時妊娠しており、私がこれから支えなければならない時期でした。
私も順調に出世して、これからも順調な人生が待っていると思っていただけに、ショックが大きかったです。
先のことを考えてしまうと、体中が緊張し、口が乾き、体温が下がり、思考が暴走し、座っていられなくなることもありました。
と、妊娠中でしんどい妻の前で泣き崩れたこともあります。
今考えるとなんと情けないことでしょうか。でもその当時はまったく余裕がなかった。
あの時、毎日を無事に過ごせたのは、妻が聖母のように私のことを受け止めてくれていたからです。
感謝という言葉では足りません。圧倒的に感謝しています。
・・・と、ここまでが1回目の適応障害発症から休職に至った経緯です。
3ヶ月休職したのち、転職を決め、新しいスタートを切りました。
そして、残念ながら転職先でも症状が再発し、また働けなくなってしまうのですが、これはまた次回の記事で晒そうと思います。
ではまた。
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