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なんという武士の有様!(其の五)

父上と僕が三浦奉行のもとを訪ねた二日後、再び猫又が姿を現した。猫又は不思議の力を使う前に、自分で自分の妖力を高めることができるのだそうだ。僕と弥五左ヱ門さんと七兵さんの三人を煙玉で送り出したとき、久しぶりに大きな力を使ったため、少し山に籠って妖力を蓄えていたのだそうだ。妖怪っていうのも、人間と同じように苦労しているんだなぁ。

僕らは陣屋の焼け残った部分に集まり、江戸屋敷からの援軍を待っていた。その間、猫又は鼻をひくひくさせることが多かった。

「焼けた匂いが気になるか」

空を見つめている猫又に、僕は声をかけた。猫又はすぐには返事をせずに、黙ってその場を一周して座り直すとこう言った。

「三浦奉行とやらは気丈な武士だな。あっぱれ。俺は惜しいぞ」

「えっ?何のことだ」

しかし猫又は答えることなくそのまま眠ってしまった。その翌日のこと。三浦奉行は亡くなった。

江戸屋敷に飛脚を立ててから、援軍が来るまでにずいぶんと時間がかかった。その緩慢な対応に、僕は子どもながらにも驚いたものだ。それに……もう!聞いてくれよ!彼ら、ようやく来たと思ったら、酒を飲み、歌を謡い、何やらわからない暴言を吐く始末で。ああ!ここにおいて武士道の精神が廃れてしまったとは!僕は心密かに彼らを蔑視していたんだ。

「なんだい。三浦奉行のことを考えているのかい」

見張り役をしていた僕の前に現れたのは、聡明な顔立ちの少年だった。

「真與(まこと)くん」

僕は顔を上げた。真與くんは僕の隣に立つと、さっきまでの僕の視線の先に気づいて、小さく頷いた。

「きっと僕は政立くんと同じことを思っているよ。援軍を要請する急報をもらってから、ここに来るまで、どうしてこんなに遅かったのか知ってるかい?浪人に会うのが怖かったんだ。だから、広い東海道を避けて、細い裏道を通ってきたんだって。目付役の渡辺さんが言っていた」

僕は呆れて言葉も出なかった。

「それじゃあ、宮崎隊長の言葉は嘘だったんだね。この度は死を覚悟して出兵せし。そう意気揚々と言って来たのに」

真與くんは悔しそうに俯いた。

「渡辺さん、宮崎隊長は、六十人もの隊員の前で臆病な顔は見せられないんだって言っていた。たとえそうだとしても、酒を飲んで歌を謡うなんて……」

僕は真與くんの肩に手を乗せた。兄をみんな殺された真與くんは、僕の何十倍も悔しいだろう。

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そのとき、何者かが門を叩く音がした。僕は咄嗟に真與くんを自分の後ろに隠した。息をひそめて門に身を寄せる。

「宮」

僕は門の向こうに尋ねた。僕たち陣屋内の者たちは、合言葉を使って仲間か否かを確かめている。「宮」と問えば、「崎」と答えるのが決まりだった。

「おい、答えろ」

黙っているので僕は詰問した。それでも門の向こうの相手は答えない。

「おい!合言葉を知らないのか!」

この陣屋内で、合言葉を知らない者がいるとは!相手がどんな階級の者かはわからないけれど、合言葉を知らない者を中に入れてしまえば、どこかで思いもよらない被害が出るかもしれない。僕は迷わず抜刀した!

「ちょ、ちょっとちょっと待ってくれ!本庄だ!本、庄、だ!!」

まさかと思ったけれど、門の隙間から確認すると、そこには幕府軍の兵士の本庄くんがいた。

「本庄くん!?えっ、何をやって……」

門を開けてやると、本庄くんは僕の刀を凝視して、間合いを保ちながら中に入ってきた。

「いや、いや、まさか抜刀するとは。味方を敵と間違えるなよ」

本庄くんは痩せた身体を震わせて、僕と、僕の後ろにいた真與くんを交互に見つめた。

「まさか抜刀するとは……って!あのなあ!合言葉を知らない者を相手に、刀を抜かないでいられるか!士卒階級の者でなくても、こんなときだ、何かあるかもしれないと考えないわけがないだろう!?」

僕も本庄くんを見つめ返しながら、怒ったような困ったような声を出した。ようやく刀を鞘に戻した。

「これより後は、この陣屋内にいる者には、合言葉を周知させてくれ。宮と言ったら崎だ」

刀を向けられたのがよほど悔しかったのだろう。本庄くんは、僕と真與くんに汚い言葉を吐きながら立ち去って行った。

「驚いたね、政立くん」

僕の背中に隠れていた真與くんが、恐る恐る出てきて言った。

「僕だって怒りたくなかったよ。だけど、こうも言っておかないと、今度は誰かを斬ってしまいそうだ」

僕は額の汗をぬぐった。

「そらあ、お前たちは武士じゃないからな」

気がつくと、屋敷の中にいたはずの猫又が僕の足元にいた。

「ね、猫又。お前いつからそこに?」

「あの幕府の兵士が門の前に来たときからだよ。変な奴だと俺も思ったんだ」

猫又は前足でひげをいじりながら、いかにも嫌だという顔をした。

「武士道も廃れたと思っただろう。だけどよ、廃れるものだろうよ。最後に戦ったのはいつだ?」

その三日月のような細い目で僕を見やる。

「これから戦が始まるかもしれないといっても、何百年と戦ってなかったんだ。下級武士なんか金がないから、鎧や刀を質屋に売ってしまっているじゃないか。慌てて買い戻したところで、馬にだって乗り慣れていないんだから、戦いようがない。まあ、乗ろうったって鎧の重さで乗れないだろうけどな。ハハハッ!」

誰にも聞こえないとわかっていても、僕は思わず、猫又の口を塞ごうと手を伸ばしかけた。猫又は僕の手を払いのけると、ずしりと言い放った。

「お前たちは武士じゃない。武家なんだ」

細い目の奥をきらりと光らせる。僕は、うっと言葉を飲み込んだ。確かに猫又の言う通りだった。僕らは稽古はするけれど、戦で刀を使ったことはない。鎧をつけた自分が重くて、馬にだって乗れないんだ。僕らはもう戦うための武士ではなかった。

猫又は尻尾を振りながら、あざ笑うように、楽しんでいるように続けた。

「あれ?旦那。さっきからお尻をさすってどうしたんだい?ふうむ……。なにせ二六〇年間、馬に乗っていないものだから。馬から落ちて落馬した」

そしてブフフッ!と噴き出すと、僕の足元で腹を見せて笑い転げた。

「なんだいこの猫。さっきからマタタビを食ったみたいに、にゃあにゃあと鳴いて」

真與くんがしゃがみ込んで猫又を眺める。真與くんには、猫又はただの猫に見えるらしい。僕には、いったいどういう仕組みで、妖怪が見えたり見えなかったりするのか?わからないけれど、真與くんに、猫又が人の言葉を喋って、二本足で立っているところは見られていないと知ると、なんだかほっとした。

「ああ、人間の薬を舐めちまったみたいだな」

僕はすっとぼけた。

「そりゃひどい。何の薬だい?」

「ええと……。び、媚薬?」

猫又は僕の顔をチラッと見あげると、ニヤリと笑った。

「おあとがよろしいようで」

そしてぺこりとお辞儀するのだった。

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9月連載スタート・毎週金曜日更新/幕末時代物語『天翔る少年』妖怪猫又に導かれゆく

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