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町のお豆腐屋さん

小さい頃、近所にお豆腐屋さんがあった。昭和後期。あの頃、町にはまだ〇〇屋さんというお店がけっこう残っていた。私の町にも、文房具屋さん、団子屋さん、駄菓子屋さん、そしてお豆腐屋さんといったお店が並んでいた。

ときどき、私は母からお使い物を頼まれた。お豆腐を買ってくるのだ。まだ小学生に上がったばかりくらいの年齢。とはいえ、お豆腐屋さんには幼稚園の頃から母と訪れていたので、場所も買い方も熟知していた。

私は、お豆腐屋さんが好きだったのだと思う。店主の男性は50代くらいで、私のことを子供扱いし過ぎず、ベラベラ話しかけたりもせず、ちょうどいい距離感で接してくれ、私は心地よかった。

母も私がお豆腐屋さんを好きなのを知っていたようだ。だから、ときどき面白がってお使い物を頼むのだ。

「詩子、お豆腐買ってきて」

私は目をキラキラ輝かせて母から100円を受け取ると、勢いよく玄関を飛び出した。

お豆腐屋さんまでは、子供の足でも走って5分もかからない。だけどその5分は、私にとって喜びと冒険の詰まった5分だった。お店を見つけると、少し背伸びをして銀色のカウンターに100円玉をカツンと置く。カウンターは私の目の高さくらいだった。

「木綿豆腐一丁ください」

お豆腐屋さんは短く返事をすると、笑うわけでも笑わないわけでもなく、職人らしいポーカーフェイスで機敏に動きだす。冷却水槽からサッと豆腐を取り出す。豆腐は白くて四角いプラスチックの容器にストンと収まる。なんと豆腐は崩れることもなく、容器の水の中、綺麗な顔でタプタプと揺れているのだ。私は、お豆腐屋さんのこの一連の動作をカッコイイと思っていた。

豆腐が入った容器は、確かビニル袋に入れてくれたように思う。裸では持ち帰らなかったような……。「ちびまる子ちゃん」のように自分でボウル等は持って行かなかったのはよく覚えている。

小学校3年生頃になり、いわゆる物心がつく年齢になると、私はだんだん人の表情が読めるようになってきた。ある日、いつものようにお豆腐屋さんにお使い物に行くと、お豆腐屋さんが私を見て、ああという顔をした。あたり前だけれど、私は常連なのだ。だけど私ときたら、そのとき初めて、お豆腐屋さんが私をいつもの子だと認識していることに気づいたのだ!

なんだか妙に恥ずかしくなってしまった。「あいつ、また来たぜ」みたいな存在で。何となく行きづらくなってしまって、お豆腐屋さんに行くのを躊躇っていると、私たち家族の引っ越しが決まり、慌ただしく私たちはその土地を離れた。

しばらくして、あのお豆腐屋さんがもうお店を辞めてしまったことを聞いた。心の底から、もったいないなと思ったのを覚えている。あの俊敏な動き、豆腐を作るという技術、店の中にある機械・道具、そしてお豆腐屋さんの存在そのものを、私は貴重だと感じていた。

付かず離れずのちょうどいい距離感、職人らしいポーカーフェイス、時代の宝物のような忘れがたい店の存在。町のお豆腐屋さんは、私の記憶の中で鮮明に生き続けている。

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