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月に吠えるため、いざ萩原朔太郎に会いに行かん!

詩とは、言葉以上の言葉であり、音楽であり、感情の神経を掴んだものであり、生きて働く心理学であるという。(※)

『月に吠える』『青猫』など、文学好きにはそそられるタイトルをつけてくれちゃう萩原朔太郎。私が学生時代から、大好きを超えて絶賛愛し中の詩人です。彼に会うために、群馬県にある前橋文学館とその周辺を散策しながら、詩について、表現について考えました。

萩原朔太郎は、口語自由詩を完成させ、近代史詩に大きな影響を与えた詩人です。芥川龍之介は、彼の詩に「嘘がない」と評価しました。うむうむ。龍之介、よくわかっておる♥(嬉)もしも私が、萩原朔太郎の詩を表現するとこんな感じです。

魂から吠えている非力な疾患の犬
その「疾患」に垣間見えるキラリとした気品にも似た美しさ

ハテナ???と思った方もいるかと思います。見たほうが早いです!まずは館内のこの↓演出をご覧ください。この感性で以心伝心することが、朔太郎の詩の楽しみ方なのではないでしょうか!

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懺悔者の背後には美麗な極光がある…?!!

これ、何の躊躇いもなく、館内のしかも階段を上がったところにバ~ン!!って見せるって、考えた人すごいよ…。以心伝心しようとしてきてる…!!この媚びない思いきりと視点、そして切り込み方。あなたはアーティストですね?

この詩で表現されている孤高の魂は、生きていること、自分自身に懺悔しているんですよね。痩せた犬が、自分の影に怯えながら、どこまでもトボトボとついて来るんです。だけどその背後には、芳しい香りを放つ気品にも似た美麗な極光がある。光じゃないんです。極光なんです…!!!ここポイントです。

こういう人間の「疾患」にも似た意識を表現するって、鬼才だなあと思うんです。現代でいうと、鬼束ちひろさんみたいな感じだなぁと私は思っています。私も彼女の歌は大好きで、ピアノ弾き語り譜も3冊持っていますが、彼女にも非力な魂からの叫びがありますよね。

館内には、ところどころに似たような演出があります。こんな感じです。

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ちなみに、萩原朔太郎も音楽を演奏・作曲します。詩はリズムであり音楽ですからね。特に朔太郎の詩は音楽性があります。

彼はマンドリンを演奏するんです。接写ができないので遠目からですが、館内には直筆の楽譜も展示されています。実際にマンドリンで演奏した音も流れていて、私は、イタリアの古典音楽に似たような曲に感じました。

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私も、音楽があればこの上なく嬉しい人間で、20代の頃なんかは、詩と音楽の世界と称して、詩にピアノ曲をつけてリーディングをしたり、音源にしてブログで聞けるようにしたりしていました。

今も、音楽のための音楽というよりは、音楽のリズム、リフレイン、ゆらぎなどの香りを文学のように楽しむ音楽を作るのが好きです。私の音楽は詩でありますから、余白のある曲が多いです。長編小説ではないですね!

ちなみに、余白がある分アレンジもしやすいので、朔太郎でこんなのも作りました!

ところで、朔太郎の詩にはなど動物が多く出てきます。文学館の看板も猫ですし、すぐ近くにある萩原朔太郎記念館(朔太郎の書斎、蔵などがあります)にも、屋根の上に猫がいます。

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この屋根にいる猫ちゃんは、「」という詩に出てくる子なんですね。屋根の上で、おわああと鳴くんです。

「猫」(詩集『月に吠える』より)

まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』

ぐっ!最後の「ここの家の主人は病気です」がくるぅ~!!切ないよぉぉ、懺悔しちまうよぉぉぉぉぉ(涙)

このぐっ!となる感じ。これがまさに、冒頭でも述べた「詩は、感情の神経を掴んだものであり、生きた心理学である」証拠なんですね。朔太郎の詩には、ぐっ!となる表現がいくつも出てきます。

例えば、「悲しい月夜」のこの文章。

いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあわせの犬よ。

ぐっ!なぜおれはこれなんだ、とかやべーですね。魂からの自己への疑問を魂全力で訴えている感じ。「さびしい人格」なんかも、わかりみが深いです。

さびしい人格私の友を呼ぶ。

夢女かな?(笑)さらに「内部への月影」も、わかりみが深いのなんのって。ちなみに内部とは、心の内側です。心の内側の景色を描いているんですね。

暗く憂鬱な部屋の内部を/しづかな瞑想のながれにみたさう。
ああ内部へのさし入る月影

ふうー、そろそろ心臓がもたないので、この辺にしておきましょう。朔太郎がもし監督になって映画でも作ろうものなら、役者さんたち、我こそはとオーディション受けるのではないでしょうか?魂からの表現力を必要とされるでしょうから、きっと表現しがいがありますよね。

さて、文学館の周辺には、朔太郎ゆかりの地がいくつもあります。そのうちのひとつ。臨江閣(りんこうかく)にも行ってきました。明治17年に迎賓館として建てられた国指定重要文化財の木造建築です。茶室や150畳もある大広間など素晴らしかったです。

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萩原朔太郎は、ここで結婚式を挙げたそうです。近くには利根川が流れていて、とてもいい場所でした。

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この迎賓館の隣にも「るなぱあく」という小さな遊園地がありまして、ここも朔太郎の詩に出てきます。日本一小さな遊園地です。

帰りは、駅前の天然温泉ゆ~ゆに寄ってから帰りました。ちなみに駅を出てすぐのところにレンタルサイクルがありますので、そこで1日200円で自転車を借りて回りました。

萩原朔太郎は、今だからこそ読まれそうな詩人だと、私は思っています。病める魂なんかは、現代人のほうがよくわかるんじゃないかな?
詩とは、理解はするけれども、頭で文章を読むものではないです。自分の心と交流ができそうな詩人さんを見つけて、いっぱい交流してみてくださいね!

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今の時期は、密を避けるために来館には電話予約が必要です。文学館のカフェも静かで品がよく、手ごろなランチでおいしかったです♥

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※ 詩集『月に吠える』序文の言葉です。
「詩とは、感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である」
「詩は言葉以上の言葉である」
「リズムは以心伝心である」
「どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは用意のわざではない。この場合には言葉は何の役にも立たない。そこには音楽と詩があるばかりである」

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