ドカの画集がわからない【下】
姉はアトリエ教室で、アメデオ・モディリアーニの「赤ん坊を抱いたジプシーの女」を模写していたから、先生からモディリアーニの画集をいただいたのはよくわかる。だけど、私が模写したことのある絵は、パブロ・ピカソの「黄色い背景の女」以外ない。
ではなぜ先生は、私になぜピカソの画集ではなく、ドガの画集を下さったのだろう?
(前編はこちらです↓ )
ところで私は、昔からぼんやりした色しか出せなかった。手直しされるところといえば、陰影がはっきり表現できていないところだったり、色が足りないところだったり。
小学五年生の頃、図工の授業で学校の近くにある神社を描いた。みんな絵具で、はっきりくっきりと神社を描いていく。それなのに私といったら、何度も絵具を画用紙に重ねても、ぼけーっとしたにじんだような色なのだ。自分の絵がみんなと違うのが恥ずかしくて、何度も何度も色を重ねたけれど、結局、最後までぼんやりした表現しか出せなかった。
作品が出来上がり、先生が教壇で、みんなの作品を一枚一枚、評価しながら紹介していった。私の作品がきた。先生はひと言、こう言った。
「こういう表現もいいですよね」
私はもう天にも昇るような気持ちになってしまった。なぜなら、自分がダメだ、ダメだと必死にどうにかしようとしていた表現を「いい」と言ってもらえたから。初めて「自分の表現」を他人に認めてもらえた瞬間だった。
私のこのぼんやりとした色彩表現について。こんなこともあったのだ。大人になると、私は声楽教室に通い出した。もともと歌が好きだったし、シャルロット・チャーチというイギリスの歌手に憧れて、聖歌やウェールズ民謡を歌ってみたいと思ったのが始まりだった。
歌うとやっぱり表現は「ぼんやり」しているのだ。
「もっと声を見せて。口の中でごにょごにょ言ってるみたいだから」
先生に言われる。声を見せるという感じはわかった。これは修正できた。だけど、やっぱりあと一歩のところで、この独特な「ぼんやり」からは抜け出せなかった。
最初、私は男性のテノールの先生に就いていた。その後、そろそろソプラノの先生に就きましょうということで、ドイツリートを専門とする先生を紹介してもらった。そしたらなんと、全然歌えなくなってしまったのだ!
新しい環境だったから?ドイツ語が難しい?自分でもよくわからなかったが、どんどん学びづらくなってしまって、結局、自分で新しい先生を探すことに決めた。
そして出会ったのが今の先生だ。今の先生からは、ドイツリートも教わることはあるけれど、イタリア、フランス歌曲を勧められることが多かった。
「ドイツかぁ……。詩子さん、どちらかというとイタリア、もしくはフランスじゃない?」
新しい先生はそう言った。ということで、まだ歌ったことがなかったフランスの歌曲やアリアを始めることにした。
フォーレの「蝶と花」、グノーの《ファウスト》より「宝石の歌」、デラックァの「ヴィラネル」。すると、なんだ、なんだ!?歌いやすい。言葉もそれほど苦労せず口が回る。
「絶対にお声に合うと思って!」
先生は言った。そのとき、私はアトリエ教室の先生が、私にエドガー・ドガの画集をプレゼントした意味がよく理解できたのだ。そして心から感謝した。フランスの印象画家であるドガの表現は、実に私らしい表現だったのだ。
私は、ピアノも繊細な表現を必要とする印象派の曲を弾くと喜ばれた。ドビュッシーなんて、昔はポップスにしか聞えなくて、みんなが夢中になる意味がわからなかったのだけれど、良さがわかるようになると、ああ、こういう表現もありなんだなぁと、不思議と心の荷がおりて、自分の表現もちゃんと受けとめられるようになったのだ。
アトリエ教室の先生は、私のことをよくわかっていた。私は確かにドガだった。ピカソじゃない。
自分の表現を必要以上に恥ずかしいとは思わなくなった私は、むしろ、雰囲気のような、グラデーションのような色合いを出す自分の表現が、独特の空気感を生み、心地よいリズムとなって、読んでくれる人、聴いてくれる人に伝わっていくことを目指していくようになった。
私の表現は、ぼんやり伝わって、わかりづらいかもしれない。テーマもマイノリティなことばかりかもしれない。だけど……。
この独特なグラデーションのようなリズムも「美しさ」のひとつだと思っていただけるように、この地上に、私らしい花を咲かせることができたらこの上ない喜びだ。
(おしまい)
お読みいただきありがとうございました!嬉しいです!
ドガってこんな画家です。複雑な人だったようですが、それもまた私らしいですね。
ちなみにフランスの歌ってこんな感じ。デラックァ「ヴィラネル」
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