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焼け屋敷となった陣屋(其の四)

夜もすでに明けた頃。僕と弥五左ヱ門さんと七兵さんの三人は、荻野山中藩の陣屋まで戻ってきた。

「磯辺村の渡し場まで行ったときによ……」

弥五左ヱ門さんと七兵さんが、昨晩のことを話している。二人は猫又に催眠をかけられたことも、煙玉に乗って江戸屋敷まで行ったことも、そして帰ってきたことも記憶にないのだ。その代りに、僕らはちゃんと自分の足で行ったと思い込んでいるんだ。

「それにしてもよ、いくら古くからの組合とはいえ、こんな役なぁ」

二人は急に、僕に聞こえないくらいの小声になった。僕は肩身が狭くなって、何かを思いついたふりをして小走りで陣屋へと向かった。

浪人はすでに引き揚げた後だった。焼け屋敷の中に入ると、僕は悔しくて悲しくて、涙が込み上げてきたんだ。

「武器がない。着物もない。箪笥は……?全部、空っぽだ!」

「政立くん!」

そのとき、懐かしい声がした。

「真與(まこと)くん!無事だったんだな」

真與くんは、僕の屋敷の隣に住んでいる少年だ。

「政立くんもしっかり逃げたんだね。よかった。君は賢いから。だけど申し訳ない、兄上たちが……」

そこで真與くんはぐっと言葉を飲んだ。僕は猫又の言葉を思い出した。

(真與の兄貴たちは殺されたみたいだな)

まだ小さい真與くんの肩は小刻みに震えていた。僕は真與くんの肩をしっかりと抱いた。

「わかっている。僕も薩摩の浪人が憎い。屋敷を焼き払って、人を殺して、武器も衣服も持ち去って。実に無情な仕業だよ」

真與くんはその震えた小さな身体から、やっとのことで声を出した。

「浪人たち、このくらいの武器や道具がある家なら、金がなくっちゃおかしいって、くまなく探したらしいよ」

「そうだったのか。それにしても、百味箪笥(ひゃくみだんす)の抽斗までかい?見てくれよ。薬同士が混ざって、これでは何の役にも立たない」

煤だらけになった薬の箪笥は、ほとんど壊れかけていた。

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その後僕は、父上と一緒に奉行所を訪ねに行った。三浦奉行が大怪我を負ったと知ったからだ。

奉行所に着くと、僕は思わず戦慄した。二階から鮮血が滴っている。僕はこんなに人の血を見たことがない。うまく伝えられていないかもしれないけれど、浪人たちの襲撃はそれは非道なものだった。三浦奉行は、浪人に斬りつけられて重症だった。
藩の専属医である父上は、三浦奉行の傷跡を冷水で洗った。

「右の目の下から……耳の上にかけて斬られた。このとおり手の甲や胴にも傷がある。それと……足軽が一人……即死した」

父上は奉行に寄り添うように懸命に看病を続けた。

「七、八寸、斬られています。それに、深さが骨膜まで達しています。二十針ばかりは縫うでしょう」

父上は僕にも視線を向けた。

「きっと大丈夫です。援軍を待ちましょう」

そう言って僕は、父上より先に奉行所を後にした。

冬の木枯らしが、焼けた匂いや血の匂いを運んできた。僕は寒いという感覚すらないほどに興奮していた。時代が変わる。どのように変わる?僕はどのように生きて、そして死ぬ?父上は?真與くんは?

奉行所の二階から滴る鮮血が脳裏から離れない。猫又は今日は現れなかった。

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9月連載スタート・毎週金曜日 更新/幕末時代物語『天翔る少年』妖怪猫又に導かれゆく

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