ドガの画集がわからない【上】
アトリエ教室の初日。今日は自由に何でも描いていいよと言うので、モコモコした毛並みの白い熊とうさぎが公園で遊んでいる絵を描いた。自分でも、小さ過ぎるくらい小さい絵を描いたと思う。5歳の私は緊張していたのだ。私の描く絵はいつも小さかった。
だから、自転車を描いたとき。目の前にドーンと置かれた大きな赤い自転車と、ヘンテコな形のパーツに混乱して、画用紙に収まらなくなり先生を呼んだら、先生は驚いたのと同時にとても嬉しそうだった。いつも小さな絵を描く私が、画用紙が足りないなんて言うものだから!
先生は画用紙をセロハンテープで貼り合わせて、大きな一枚の紙を作ってくれた。私はなんだか心がほくほくした。
アトリエ教室では、毎年クリスマス会をやった。先生の家はきれいな二階建ての洋風で、木造平屋建ての私の家とは月とスッポンくらいの差があった。さすが絵を描いている人らしく、家具も配色もお洒落だった。平成が始まったばかりか、まだ昭和の頃だったかもしれない。そんな時代に、クリスマスだからって本格的に蝋燭を使うんだもの。
クリスマス会ではプレゼント交換をした。女の子と男の子が二手に分かれて輪になって座り、歌を歌いながらプレゼントを隣の人に送るのだ。歌を歌い終わった時点で、手元に残ったプレゼントがその人のものとなる。
私は何をもらっただろうか?覚えていないのだけれど、私自身は、赤いもみの木をかたどった小物入れに、お菓子をいっぱい詰めたものをプレゼントにした。私のプレゼントは、文房具屋の女の子の手に渡った。明るい髪色のおとなしい子。私のプレゼントを静かに喜んでくれたのを覚えている。
アトリエ教室では、羽子板に絵付けすることもした。私は、ちびまる子ちゃんの絵を描いた。それと、正月らしく門松も。先ほどの文房具屋の女の子には弟がいた。彼も一緒にアトリエに通っていた。彼は羽子板にアンパンマンを描いていた。
三年間くらいアトリエに通ったある日。先生が腰を痛めてしまい、アトリエを閉じなくてはいけなくなってしまった。幼い私には、腰の痛みはわからなかったが、とてもつらいのだということは、子ども心にも感じ取っていた。
先生はまめな人で、私たちの作品の一つ一つの裏側に、評価を書き添えて、一ヶ月毎に返却してくれた。小さな細かい字。いつも青いインクで書き込まれていた。
いよいよクローズするとき。先生は私たちに画集を贈って下さった。私にはエドガー・ドガの画集を。一緒に通っていた姉には、アメデオ・モディリアーニの画集を下さった。このときは、どうして私がドガなのか?わからなかった。だけど、大人になってから先生の意図がわかったとき。ああ、この画集は今も私の心の鐘を鳴らしてやまないのだ。
(つづく)
次回は来週12/4(金)です!
どうしてドガなのか?わかったときの私の心といったら!
フランスの印象画家、エドガー・ドガ。代表作品のこの絵はパステルで描かれている。
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