流される、或いは流すノイズ。それは私から、決して発されることはない。 申辷蛇崩

 夏風が心地良い日。西から東に窓は開け放たれて、南の窓が間に入って尚風を吹き込ませる。やはり部屋の温度は高くて、じつとしていると、その場の空気ととけあう感じがする。自分の体温が、気温と同じくらいになって、そうやって一つになれる感覚。

 私はあおいちゃんのお家の、あおいちゃんの部屋にいる。呼ばれて来た。この家には、私の自宅よりも、なんだろう、居心地の良さがある。ここをとても知っている気がする。少しいい匂いがする。

 あおいちゃんは好きな曲を流して、お部屋のお掃除をしてる。よくお掃除に呼ばれる。今はジャミロクワイが流れてる。あおいちゃんは いつも部屋が汚い。ものを散らかしてる。でも、いざお掃除ってなると、てきぱき、慣れた手でものをあそこへあそこへしまっていく。彼女は、お掃除が好きで、わざとすぐ片付けないんだって。限界まで汚すんだって。きれいになった時の気持ち良さが、いいんだって。私は、めんどくさがっているだけだと思うな。

 片付け終えた時、いつも、椅子に座って、人のことを考えるような顔をして、整頓した机の上を見つめる。何を考えているのか、知らない。でもそんな悲しいことじゃないと思う。

 掃除の間私は、当然手伝わないし、その様子を見てもいない。あおいちゃんのベッドに座って、今はブラックジャックを読んでる。曲はバンプになっていた。あおいちゃんはちょっと休憩らしい。ベッドにぼすんと横になる。私も倣って、体を倒してあおむけになって読みふける。音楽が流れてると、集中しにくい。一話読み終えて、本を閉じて、力を失った腕はひじから落ちて、私の身体はできそこないの大の字を作った。 天井が見える。 右手をあおいちゃんが触った。掌のふくらんでいる、親指のつけ根をつまんで、指先で揉んでいる。私は二人の揉む手揉まれる手をじつと見ていたかったけれど、すぐ放された。

 指先の感覚がじりじり残る私の手を、彼女はあの目をして見つめた。

 あおいちゃんは、疲れていて、ぐったりして、近寄って、私にまたがった。私たち、身長も体重も一しょ。重いとも軽いともとくに思わない。

「目、つぶって」

 面倒くさいと瞬時に思ってしまった。死んだ目であおいちゃんをじつと睨んで、私は眠る様に目をつむった。

 何も怖くなかった。あおいちゃんは何も怖くない。人っぽくないところがある。目をつむれば、世界は少し広がる。せみと、カーテンと、生れる音たちがつくる静けさと。まぶたがつくった闇と、彼女の心地良い重みと、あつさと。みんなに浸ってた。音楽も、欅坂が流れて、少しうるさくて、でも私の浸る世界に入りたがってる。そこで、あおいちゃんは私のお腹を触ってかんじてる。ゆっくり、私の身体に血肉がついているか、感じてる。押されてなでて、確かめる様に。肌着を通して伝わる手の、感触はくすぐったいとか、気持良いとか、なかった。触られているって、ただそれだけ。それより上も下もあまり無かった。

 さわるさわる手は胸の高さまで来て、指の先っぽが、私の汗でしめった胸元の、肌に直接触れた。そこでじっと止まった。首を絞められる気がした。やられたことないけど、やりかねない。心臓よりちょっと上だったから、心音はきっと伝わっていない。ようやく手は身体から離れた。でもそれからも、ずっと上に乗られっぱなしだった。

 私はまだ、瞼の裏の暗闇で、あおいちゃんを待っている。

 口に何か触れた気がした。でも確かなモノの感触がない。ちょっとわからないぐらいに、息をかけられたようなかんじだった。わからなかった。すると私の上のあおいちゃんが、ゆったり大きく揺れたと思えば、あおいちゃんは静かに、首に回す右腕を、擦れるシーツを奏でて、私を抱きしめた。抱きついたのかもしれない。あおいちゃんの膨らんだおっぱいが、平べったい私の胸板につぶれる。羨ましいものでもなかった。別に。ただ早まる心音は伝わってほしくなかった。暑くない。私はぼんやり目を開けた。

左手は肘をぴんと伸ばして、恋人つなぎした。ぎゅっと握ると、ぎゅっと握り返してくる。私の、首の、左側に顔を埋めて、呼吸をして。抱く、うでとか手に力が入ったり抜けたり。腰を擦りつけたり。じっとしているけど、少しの動きで生きているのを感じた。私は何か言いたかった。疑問が浮かんだ。私たち、恋人じゃないよ。どうしたの。眠いの。さびしいの。疑問がいっぱい浮かんだ。何か言いたくて、しかたなくて。黒目を左へ動かした。

「私、目あけたよ」

 あおいちゃんは誰にも聞こえないように、小さな小さな声で「うん」と言った。弱い生き物が出す声だった。私の、手を繋いでない方の手、あおいちゃんの腕が首に巻き付いているので、ベッドに放ったままだった右手。あおいちゃんが触った右手。うまく動かなかったけれど、私は彼女の背にぽんとおいた。曲はTM NETWORKになっていた。

 私とあおいちゃんは友達じゃない。と私は思ってる。そうやって関係に名前をつけると、距離を感じて、いやだ。私たち、いつだって触れ合えて、いつだって分かってるつもり。

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