見出し画像

#08 五条悟は単なる軽薄だったのか

五条悟は軽薄だったのか。生徒は「花」でしかなかったのか。について、彼は「超合理主義者で、頭が良すぎてしまっただけではないのか」という彼への想いを整理するために自己満足用に述べていきたいと思う。

まず最初にお伝えしたいのは私は呪術廻戦の複雑性が好きだということ。

gg先生の「現代的な面で正解を出したくない」と述べてる作家性からなのか、作品の意図か。
呪術廻戦の"善悪・正義と悪"の一言では語れなさ。人間が"動物を飼い・食べるよう"に、呪霊の視点では"人間を飼う・呪いを生み出す"食物連鎖の対象に、上位互換として差別的に祓われている苦しさ。
漏瑚や花見は人間的立場になりたかったんだと描かれている立場を反転させた時の"正義と悪"の不明瞭さに喉がグッと締まる感覚。

漫画特有のキャラクターというデフォルメされた分かりやすさや一言で語れる性格や目標も、呪術廻戦では主人公のことが殆ど分かっていない。善人だけど「殺意」も持っているし、呪霊に対して生物的認識を持ったのは壊相たちの涙を見てから。彼は善人だけどそれだけではない。

伏黒恵くんも筋が通っているようで、善悪の指針が津美木に置かれていたり、野薔薇ちゃんも正論を述べているようで作家から否定されてしまったり。とにかく漫画としてのキャラクター以上に人間味のある複雑性。

五条悟も同じで「いい先生」「軽薄」「優しさ」の一言では片せるものではないんじゃないだろうか。

ここから本筋を語っていきたいと思う。

五条悟は薄情だったのかを紐解くとそれだけではない。
gg先生が言った「諦念の人」
頭がよく、それでいて理数系=論理的な思考の持ち主だからではないだろうか。

五条悟はmbtiで言うENTPとされている。特徴としては

「感情を無視した合理主義者」
「感情より論理を信用し重きを置く」
「自分に無頓着」
更に頭のいい人間の特徴として「感情的になれない・恋愛が苦手」なのも当てはめるとより理解出来る。

つまり五条悟は単に「無責任」とか「軽薄」な訳ではなくて、頭が良くて論理的故の「諦観の人」だから"感情面"に走るのではなく状況把握をして落ち着いてしまうのではないだろか。

彼は呪専時代は感情的だが、夏油傑の一件でかなりしっかりした性格になったと述べられている。加えてゆうじくんの死後「珍しく感情的」と言われるほど、日頃から冷静で、あの酷使されてる日々に対して激情的にならない人だとも分かるので
後天的に感情コントロールが出来る人物になったと認識できる。

封印されそうになった際も
「呪力が感じられないこれは詰みだな」と即座に判断して諦める清さ。
夏油と再開して一瞬戸惑うも冷静に分析しようとする頭の良さ。

だからこそ封印されても「不味ったな〜やばいよな〜期待してるよみんな」と、実力差や危険性を分かっていても、感情的になっても仕方がない。何も解決しないのだからと詰みの状況で出来る事なんて信じるしかないと判断してしまう。

だからと言って、本物の感情の機微が浅い人とはちょっと質が違う。論理的で感情的になれない自分にも寂しい気持ちにもなる。人が花に見えてしまうのも「宿儺が快・不快の感覚で捉えてる」ものを、彼は論理的に分析し理由を見つけて言語化して、現実の事実と距離を測るからこそ「花に見えてしまう」と認識するし、これ以上に人との距離は縮められない、無理と分かって諦念したからこそ自分の性格に多少の寂しさを感じてただけのように思う。

それに本物の軽薄さなら死後の世界(個人的に魂の存在する生得領域の心象風景だと半分思ってる)で鹿紫雲と同じように関わった人間が全員出て来ないし、夏油傑に激重な親友への愛情も向けない。虎杖君や乙骨君を「強けりゃいいじゃん的な」軽さで助けたとしても「一人は寂しいよ」「君はまだ救われる気はあるのかと」試すような、面倒を見れるだけの愛情も持たないし、伏黒君の稽古みたいに人の機微に察しがよく動いたりもしない。

そして特に感じるのは「彼は割と言動と行動がよく合わない」ということ。
・「花にしかならない」ことを人に話してしまうだけの寂しさを発露する。
・「強けりゃいいじゃん」で救った子が死んだら、珍しく怒る。
・伊地知が死なないよう呪術師を辞めさせる
・弱い立場の呪術師を護ために多くの人が救われている現状
・休みもほとんど取らずに他人軸で生きている

要は「感情を無視した合理主義者」として頭で結論付けたことを言葉にして話すし、脳内で整理はするけど、内面の感情は無駄だから損切りしてるだけではないのか。というか彼自身が無頓着・鈍感でないと、背負っている事柄が多すぎてこの世で精神的に生きていけないのではないか。

宿儺戦だって死ぬ直前まで勝つつもりだし、恵に謝るつもりで責任感も持ってる。自分が闘いの中で力を宿儺に"誇示"する事も倒せるなら一石二鳥だから気にしてなかった。でも結局負けてしまった時に感情的になれる人じゃないから、死んでしまった事を「よくねぇよ」の一言の間に情報処理して、「諦めた」のではないかと思う。勝てる確証もないからこそ家入に任せたり、自分がピンチになった時のメンバーに頼んだりやることはやっておいたと。

”本気で勝負して負けたなら言えることは何もない。だって死んじゃったし。”

そして死んだ後のことは誰にも分からないから、最後は"人の為の人生"ではなく”自分の為に南”に帰った。生徒達にとって先生をやり切ったなら、その姿しか知らないのだから”責務は果たした”よねって。
感情抜きに考えたら事実でしかないし、死んだ後に「あれもこれも出来たかも。」なんて無駄な論争をやっぱり彼はしないだけ。でも信じてるから家入に任せたからいいやと言える自信もある。

最後の「後悔のない死はなかった」とにこやかなのも自分の『生き様』を振り返った時に本人なりに満足だったし、過去や負けてしまった事を悲観する事が「無駄」である事を理屈で理解して、感情を持ち込まないからこそ、あそこまで割り切ってしまった。

今までの彼が何かに無駄に怒らないのも、呪いの言葉を吐かないのも、死んでしまった事で今までの鬱憤を述べないのも、強いからこそ呪いの本質を知ってるし、同時に「感情を無視した合理主義者」として無駄なことをしないかったから。

だから改めて、五条悟が本当に「軽薄さ」や「無責任さ」だけかと言えば多分違う。彼は特段と頭が良く、冷静で、感情を表に出さないだけだったし、自分の境遇上「自分に鈍感でないと生きていけなかった。」

そしてそんな自分が時々ひどく虚しく、贅沢にも、もっと満たされ愛が欲しくなってしまう。そんな人間味を秘めていた、どうしようもなく意地らしい人だったと私は改めて思う。

そしてそんな彼や漫画がやはりどうしても好きだと改めて感じる今日この頃。


この記事が参加している募集

マンガ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?