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#04 命の根幹を問う 君たちはどう生きるか を紐解く

朝一で「君たちはどう生きるか」を見てきました。宮崎駿ファンとして、そして宮崎駿の静かなる世界を観て、訳も無くうるうるしていた私ですが、「意味がわからん!」と口々に言っていた観客の方が居たので、自分なりの感想を綴ろうと思う。

※ネタバレにほとんどなっていないので、前知識程度に見ても大丈夫です。

この作品を一言で表すと「宮崎駿の同人」
「引退宣言として最後に伝えたかった事」が映画の中で語られていた。


宮崎駿の同人作品

おそらくこの作品は過去作品のセルフオマージュを構成別に入れているし、今までの謎の生物達や、特技としていた表現技術をこれでもかとオマージュし詰め込んでいた。

それらは全て「宮崎駿が最初から命の物語」と「命と戦争」をテーマに描いて来たからだ。
その説明をセルフオマージュしながら、全ては命の根幹、誕生する前に繋がっていると今まで自分の作品を語りたがらなっかた宮崎駿が、まるで"自分の作品達の同人誌"のようにまとめて伝えたかたっかのではないかと思う。

特にハウルの動く城を思い出すシーンや曲、造形物、火、ヒロインが出てくるが、それらも全て「ソフィが命を授ける魔法使い」であり「ハウルは命が終わっていく悪魔の星」のカルシファーと契約した命の始まりと終わりの物語だったから。

ハウルの世界もまた「戦争は終わらない」とコンテに描いてあるくらい宮崎駿の軸にある作品なのだ。

※ちなみにセルフオマージュはファンサの意味ではない

観客が騒めき出した謎の世界

宮崎駿はこうも描いている「命が終わる事は怖いことではない」「貴方と出会えた喜びがあれば人生は美しい」生と死の世界は直結している。
だから「生物が生きる為に生物を食べ、搾取し、命を育み、そして死んでゆく。」その食物連鎖にただ人間含めているだけだと。
これは死を悟った宮崎駿の価値観が反映され、これまで「生きねば」と描き続けた宮崎駿作品のその前の話。
なぜその経緯に至るのかを命の「根幹」をテーマに描きたかったのだろう。

つまり主人公が飛ばされた世界は、魂の世界「天国」と「地獄」を繋ぐファンタジーな概念的世界観であり、ある種仏教のような悟りから来ている空間の中で、命の発生と終わりについて語られている。

余談だが、オウムと人間の立場が反転していた地獄は「オウム返し」という皮肉になっていると解釈したのだが、みなさんはどう受けとただろうか、。?

子供という人類の親族者へ

そして「天国」の中で、世界の創造主(いわゆる神)として宮崎駿らしき人物が登場し、この世界で「我々の世代は戦争、政治、利権、それら含めてギリギリの均衡と醜さを生み出して来た。それらは最早腐敗し、1日1日世界の終わりに近づけている。」

しかし、心の腐りかけた叔父さん達にはもう綺麗に戻す事は不可能だろう。だから宮崎駿含めて、上にどっしり構えた上の世代は引退して、
君たちや、これから生まれてくる命に「任せるよ」「僕はさっさと引退して引導を渡そう」「心の綺麗な君達ならきっと一人一人が綺麗な世界を作って行けるはずだよ。僕は信じてる」と自分の引退宣言と共に端的に伝えようとしたんだと思う。

また、物語の終盤「積み木が13個ある。それを丁寧に積み重ねるんだ」と神とも言える人が発言するが、おそらく「13は大人になる年齢」を比喩している。
大人になるまでに色んな経験を経て、丁寧に心を積み木を積み重ねて、穏やかに優しく、それが争いを起こさない心になると。
宮崎駿の根幹にある子供たちに「この世は生きるに値するんだ」というメッセージが添えてある。

そして最後の台詞でこうもいった「この世界の出来事は忘れてしまうんだ」と。
そう「千と千尋の神隠しのオマージュ」だ。場面の描き方もそっくりだ。

忘れてしまっていい。成長過程も、産まれる前の記憶も、全部忘れても心に残っている物や遺伝、それらが君の心を作ると。

だから多分この映画も内容は忘れてもいい。伝えたかったこと、僕が信じてる子供達が何かを受け取って、それを積み木にしてくれればいい。と。

この世の全ては”生まれ、死に、そんな中で戦争や醜い争いも起こる”それもただの食物連鎖の生と死でしかないのだ。それ以上はないのだ。


そんな悟りの境地の中で改めて宮崎駿は問う。

「さぁ、ただ死に、生まれゆく君たちはどう生きるのか」

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