護られなかった者たちへを見て※マロ回答
こんばんは!こちらのマロを見て映画を初鑑賞しました!下記回答になります💪
法律は多数決のようなもので、社会の秩序を保つための平均値だと私は思います。
相手に殺されない為に人を死なせてはいけないルールがないといけない。詐欺が横行し騙されないように、ルールを作って貰わなきゃいけない。
一方で人を殺してはいけない法律はなく、戦争では殺した人が英雄になる。それくらいあやふやなものでありながらも、弱者はそれらに生活を守られたりもしている。
矛盾してますよね。
きっと人類はこの答えを知らないのです。
だから色んな作品が色んな角度で答えや疑問提示をしているのだと思います。
そして答えがないからこそ、受け手に委ねて作者は生き方の答えを見つけてくれると信じるしかない。
何より法律は心を救うものではなく、理屈的観点からしか救済できません。気持ちを重視すると感情的な公平性のより省かれた危険なものになるからです。
だから「護られなかった者たちへ」の答えはカンちゃんの主張の「声を上げてください」でした。阿部寛も佐藤健が声を上げたことによって息子の最後を知ることができた。そして作品の全体像としてカンちゃんが声を上げることで「生活保護・震災」への問題が浮き彫りにする事ができた。
リーガルハイでこんなセリフがあります。
「医療の発展の為の死は希望である。我々が享受してる者は実験で死んだ者達の上でなりったっている」と。確かにカンちゃんは殺しをして報われなかったし、殺された人たちにも善性があった。
法律や規則はそんな人達の行いで新しく生まれ変わり、新しく守られていく人たちと犠牲者が生まれる。きっと法律も「我々が享受してるものは誰かの犠牲の上でなりったっている」んじゃないでしょうか。だからそ、これからも変わり行くものだと思います。
だとしたら、法や規則と衝突した時、憎しみに打ち勝ち「正しく声を上げる」しかないのではないでしょうか。
それは法の解釈を弁護士に委ねる方法かもしれないし、先日の宗教問題のように法改正を訴えるやり方かもしれない。刑の軽さを指摘することかもしれない。
そしてその苦しさと憎しみに打ち勝つ心の強さを日本の漫画はよく訴えています。
きっとこれも人類はその答えを知らないから。
私も長々書いたけどやっぱり答えは出せません。
きっと大切な人が死んだら殺したいと願ってしまう。死刑にならなかったら許せないかもしれない。その苦しみは一生続くのだろうと思うとカンちゃんの気持ちは痛いほど分かります。でもその犯人にもきっと待ってる人がいたりする。
私の好きな漫画の銀魂は、そんな憎しみに打ち勝ち、憎しみの連鎖を止めようよと訴えていて、この答えが1番私はしっくりきているので信条にしています。
ちなみに「石子と羽男」というドラマは正しく法律は弱者を護るためにある。だから声を上げて助けてと訴えて欲しいというドラマで、一方MIUでは法や規則から転げ落ちてしまう人達を描いていたり、
リーガルハイではそもそも法律の見方と世間と戦うドラマでした。
よかったら見てみて主さんなりの答えを探してみてください。
いつもみてくださって、そしてマロを送ってくださってありがとうございます!
答えの出る解答じゃなくてごめんなさい!!!
色々考えたけど、やっぱり主張して少しずつ平均値の在り方を時代と共に探すしかないのだと思います。
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