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いつかの日記と

6月13日(木)
久々に日記を書こうと思い開いた、
去年の夏に、この夏を残そうと決意したのに全然続かなかったことを思い出した。生粋の三日坊主なので気ままに思い立った時だけ残そうかなぁ、
 世間ではミセスのMVが炎上していててんやわんやです。私はミセスの曲は青と夏くらいしか知らないレベルであまり聴かないので、盛り上がる文字の羅列を眺めながらシンプルに学がないって恥ずかしくて危ない事なんだなぁとか思ったりしました。無知というのは、知らぬうちに誰かを傷つけていたり、何かを冒涜していたり、そういったことに自然と繋がりかねないことが今回の件でかなり浮き彫りになったのではないでしょうか、知らんけど。知らんけど、さえつけとけば文字に責任を持たない感じがする、ずるい言葉!これってなんのために勉強するん?将来役に立たなくない?って思いながら勉強していたことも、この歳になってからはあの時の勉強は必要な事だったんだな〜と思うことが増えた。これが歳をとるということですか。ちょっと良いかも。
そういえば最近ミセス大好きな知り合い(高校で全然話したことないから友達と言うのも烏滸がましい気がしている)がよくnoteやフィルム写真を公開している。私とは違って綺麗な言葉ばかりを残していて、何かを悪く言ったりすることが全くなくて、正直とても気持ち悪い。いやその子は何も悪くなくて、本当に性格が良いだけなんだけれど、何も汚されていない小学生の言葉を見ているようで私にはあまり理解できない。人は理解できないものに対して恐怖心を抱くというが、本当にそれ。怖い。私の友達にも本当に汚れのないガラス玉みたいな子がいるけれど、尊敬の念を超えて怖い。ということで私はその子のインスタのフォローを外そうか迷っている、近々外すと思う、何も悪くない子の紡ぐ言葉を見て気持ち悪いと思う自分が普通に考えたら気持ち悪いだろ、これは自衛。

最近毎日話しているサークルの同期(もう東京に就職してしまった😭)に、「俺とお前は意地の悪いところ、人を細かく見るセンスが似ている」と言われた。こいつとは本当に話が合う、話してて面白いし幾らでも自分の黒い部分を曝け出せる。

気分が乗っている時はいくらでも文章が書けてしまうな、ここら辺で
おやすみなさい。

気づいたらかなり日にちが経っていて、びっくり!
やっぱり毎日日記をつけるのは圧倒的に向いていない、心が躍った日に書き留めておくのが丁度いいかも。

友達にライブのグッズ販売でyonigeのやまのてZINEを買ってきてもらった。
牛丸ありさちゃんが、何かのブログ?で自分が作った曲の背景について綴っているのを見た事があって、それが想像以上に昔の男に引っ張られていたのが好きだった。
一つ一つの場所に思い出が散りばめられていて、1人を思って出来た曲が沢山あって、こんなに思われているなんてこの男の人は幸せだろうなと思った。
yonigeの歌詞は日常をそういう言葉回しで表現するのね、みたいな部分が多いのがかなり好きだ。それでいて、複雑な表現ではないから恐らく解釈の仕方のパターンは少なそうなのも良い。これはどういうことを表しているんだろう、みたいな小説的表現が多いハヌマーンの歌詞のようなものは人によって解釈の違いが生じるがゆえに色んな推測が出来て面白いけれど、yonigeの歌詞のような、あの場面のことを言ってるんだろうとダイレクトに想像しやすいものは余計な考察がない分ストレートに心に入ってきて聴きやすいと思う。
私は特にyonigeのリボルバーが好きで、これはハヌマーンのアパルトの中の恋人たちをオマージュしたものらしい(?)
あの人のおへその形なんてもう忘れてしまったし、
特別だと思い込んでいたことも後から考えると失くなっても替えがあるビニール傘みたいなものだったことなんて沢山あるよね〜、かなしいな

このやまのてZINEで1番好きだ!と思ったのは上野駅に「好きな人との初デート 上野博物館の深海魚展」って書き込まれているところ!好きな人との初デートが水族館とかじゃなくて、博物館の深海魚展なんですか、絶対面白いやんな

ZINEといえば、去年の札幌で九月に開催されたネバーマインドというZINEイベントに参加して友達と2時間半かけてゆっくりまわった時に来年はなにか面白いものを作って私たちも出したいね!と言ったのに、なんだかんだで忙しくて手が回らないまま一年が経ってしまった。
今年こそは手を出したいなと思っている。学生のうちの目標の一つです。
出すなら写真一択だなと思っているのだけど、私、心に残った風景とか友達の素敵な瞬間は沢山切り取っているのに1番身近で大切な家族の写真をあまり残していないことに気づいてしまった。昨日祖母に会いに行って、昔より増えた皺の数と小さくなった背中を見て、どんな友達よりも会える時間に限りがあるのは間違いなく私よりもずっと長く人生を生きている大切な家族なのに、私は大事なことを見落としてたんだなと思った。こういう時の為に気軽に時間を切り取れるコンパクトデジタルカメラが欲しい。
 このnoteでたまたま読んだ文章に惹かれ、読み進めていると自分の所属する大学の、自分とは別の軽音サークルの先輩が書いていたものだったことがあって、その方のZINEを最近買った。表紙の猫ちゃんが可愛くて、それこそ日常を表現するのが上手いなぁと惚れ惚れします。密かなファン。
会ったこともないんだけど(笑)
会ったことないのに自分と近い世界にいるのがとても不思議な感覚。世界って本当に狭いですね。

後輩が七夕だから、とおやすみプンプンを読んでいた。
去年の七夕は私も流行りに乗っかっておやすみプンプンを一気読みした。多分1日半くらいで全部読んだと思う。人間のグロテスクな部分が繊細に書かれてて、結構気分が悪くなった、名前もおんなじやしな。
Twitter(X?笑)で、おやすみプンプンは「田中愛子」と名付けたセンスが良い、みたいなことを語ってる人がいたのを見た。たしか、人から愛されていることを連想させる「愛子」なのに実際は愛に飢えていて、「田中」っていう平々凡々な苗字を敢えてつけることによって対比がうんたらかんたら、、、、
、、、そうなのか?そこまで考えての「田中愛子」なのか?笑 私にはよく分からないかも、と思ったりした。
関係ないけど私、愛ちゃんとか、愛華ちゃんとかなら可愛いのになぁってずっと思っていた。子がつくと古風な感じがしてそれがあまり好きじゃなかったんだけど最近はわりかし好きかもしれない。理由は分からないんだけど。

本は一気読みタイプなんだけれども、一気読みすると細かい部分に気づけないことが割とあって後から後悔することも多々ある。おやすみプンプンもその中の一つだから、今年も読み返すか迷う。
先に書いた気が合う友達は哲学科を出ていて、授業でおやすみプンプンの細かい考察をやったらしく、PDFで授業資料を去年私に送ってきた。その当時はそこまで仲良くなかったけど、わざわざこういうものを送ってきても余計なお世話だと思うタイプの女子ではないと思われてるんだろうなと思ってちょっと嬉しかった。

こんなふうに私がなにか文字をぶわーっと書いている時は、大体自分の中でこんがらがってどうしようもなくなった感情がぐわぁって押し寄せている時だなと思う。
とにかくなにか消化しないと落ち着かない感じがして、その手段の一つがこれになっている。

一年前、本当に色んなことがあって、本当に色んなことがあったのだけど、笑
昨日ある友達から手紙を貰い、一年越しに謝られてどうしようもなくなってしまった。
ずっと心の隅で気にしていたことで、ずっとなんともないフリをしていたことで、1年間という時の流れが勝手に癒してくれていたと思っていたけどそうじゃなかったみたい。
すぐに人を信用するし、信頼するし、期待することは私の良いところでもあるのに、悪いところだと思うようになってしまった、悲しい。
「もう大丈夫だよ、信じて良いからね。」って言われた人に裏切られてからというもの心のどこかでずっとブレーキがかかっている。
自分の性格ならまた全てを水に流して、元通りになれるんだろうなって思うけれど、友達からの「だから関わるのやめといた方が良いって言ったじゃん」を聞くのはもう嫌だな〜〜、、
駆け引きとか嘘とか、信頼とか裏切りとか、もう全部全部めんどくさくて、悲しくて、苦しいから
真っ直ぐに伝えてくれる人だけを大切にしたい。
今回のこの「真っ直ぐ」は、また信じても良い「真っ直ぐ」なのかな、どうすればいいか分かんないです。
また傷つけられても良いっていう覚悟がある人だけが信じるべきで、私にはその覚悟が足りていないのにそうやってすぐに元の友情を築こうだとかするからおかしくなるんだろうな〜、というかそもそも普通だったら一度傷つけられたら元に戻ろうとは思わないのか
優しいのと諦めは違うっていう話をいつか書いたけど、私のコレは優しさなのか諦めなのか、自分が1番分かっていないのかもしれない。別に自分のことを優しい人間だとは思っていないんだけど。

私の幼なじみは本当に私の事をよく分かってる
これは例の哲学科同期
芦田愛菜ちゃんの話は物事の真髄を得ている気がするよね

 幾重にも重ねた布団の下にコーヒー豆を一粒置いて、その存在に気づくかどうかで本当のお姫様かどうかを判断する童話があるらしく、その一粒のコーヒー豆の違和感を物語の中の違和感と重ねている湊かなえさんの小説がある。
昨日コーヒーの専門店の様なカフェで湊かなえさんの話を少ししたなぁと思って、思い出した。今回の件も然り、こういう些細な些細な違和感を見逃すか、慣れてしまうか、布団を剥がして取り除くか、で自分の将来かなり変わってくるんだろうな、何が正解ですか。
この一粒のコーヒー豆への向き合い方を理解した時、大人になれたって言えるのでしょうか。

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