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こんにちは〜〜_(:3」z)_

6月も半月ほど経った今、みなさまはいかがお過ごしですか???
私は落ち込んだ記憶が強すぎて、前半のことを全く覚えていませんが、適度に堕落しながら過ごしています✌️

さて、6/12〜16 王子小劇場にて上演された
『それしか,知らない』をみた上で、私の一週間を振り返りながら、その感想もお話しさせていただこうと。


このnoteは私のための日記でもあるので、そりゃ当然自我が強すぎる。
というわけで、もくじがありますので、もし感想見たいよ〜って方がいらっしゃれば、そちらだけ見てください。

週明け

そもそも、
この週は、もう本当にダメダメでした。

後輩ちゃんに仕事を教えることになって、
だけど、それは今の私じゃできない、まだまだ無理ですってことでして。
それを土曜の帰る直前にサプライズで知らされた私はもうこのままいなくなってしまおうかと考えるくらい、本当に本当にどうしようって。

でも頑張ってみてと送り出されたから、気持ちだけは作っていざ実際に月曜日にスタートしたら、考えてきたはずなのに何をどうしたらいいのか全くわからなくなっちゃって、あ〜私じゃダメだなってすぐに察した。

そこでやっぱり無理そうですって相談してみたけど、色々お話しきいて「もうちょっと頑張ってみます」と奮起した月曜日。

結局泣きながら帰った。


火曜日、今日もダメそうだなぁって不安を抱えながらやり始めて。私の声はちゃんと届いているのだろうかと超絶不安になって、どうしたらいいんだろうって一日をなんとか終えて。

でも最後にあたった内容が正直私にも100%理解できるようなものじゃなかったから、それを見たときに、こんな人が教えていいわけがないって思って、
ごめんなさい、できません
って休み明けに宣言しようって決めて退勤。

家に真っ直ぐ帰れなくて、1時間くらいベンチで泣いてた。


そして、この時に初日のチケットを買いました。


公演の詳細がみえた辺りから「行きたい〜!」とは思っていたのだけど、中々チケットの購入ボタンを押せずにいて、だいぶギリギリになっちゃった。

明日が初日だよって告知ツイートをみて、
同時に添付されたフライヤーのことばをみて、

あ〜いま、私はこの作品に触れたい

って思って。

結論からいうと、この決断は、火曜日の私ができる最善の道だった。そして、今はこうしてよかった、って心から思ってます。ファインプレー🥳


水曜日、観劇をした日。

お休みなのに朝からじめじめした気持ちで目が覚めて、参ってるな〜〜って思いながら準備してた。

でね、夕方、王子駅に初めて降り立って、
飛鳥の小径』のあじさいたちを見に行って、ふう、と一息ついた時の肺に空気が入り込む感覚に、疲れすぎてるんだな〜ってわかった。笑

めっちゃきれいだった〜〜!

という感じで、それなりにメンタルぼろぼろな私がみるには『それしか、知らない』は良薬でもあり、同時に劇薬でもありました。



きれいな物語だなって思った。

懸命に今を生きるひとたちに近い題材に、
私のようにひとりでは抱えきれずにいることが多い人に届いたら、きっときっと、その人がすくわれることもあるんじゃないかなって。

広がってほしいなと思うのは、わがまま?


そんなこんなで、私は序盤から涙が止まりませんでして。

ゆらと藤の、自分のことを他人には見せないようにしまっておきたいって気持ちが、それとなく分かるから、とーっても苦しかった。


ゆらも藤も、やさしすぎる。

自分のことは置き去りにしてでも、他人の感情を最優先にして顔色をうかがって、それが結局自分のことを何よりも苦しめている要因なのに、染みついてしまったことを今更変えるなんてできなくて、どんどん重圧を受け止めてしまう。

それを横から見ているのが、何よりも苦しい。

だけど、
他者からぶつけられたことばって

『あなたのためを思って』
『あなたを理解してるからこそ言ってるんだよ』

というその人にとっての正義が根本だから、自分のことばがゆらや藤を傷つけているなんて思っていないところが、どうにも責められないというか。

というのも、
私はこの一幕を作品としてみているから、
「違う!そうじゃない!」「その言葉使っちゃダメ!」
って思えたけど、実際に起きている現実だと、私もその誰かの使ってほしくない言葉を言っているかもしれないなって思うから、こういう現実との境目がぼやけるような作品に対しては強く言えなくなっちゃう。笑



観劇しながら、ふと頭の片隅に浮かんだ曲がありまして。

僕のこと、知ってる? / 乃木坂46


ここにいる『僕』は、ゆらと藤だと思ってる。

周りからの評価やことばに傷ついて、
殻に塞ぎ込み、自分の心を隠したことで
本当の自分がわからなくしまったふたりだなと。

ゆらと藤は青空が似合わなそう。

『雨の音って、責められている気がする』
『分かる』

それはふたりが邂逅したのが夜のクラブで、雨が降っていて、その後も藤のアトリエで名前のない関係性を築きあっていたのだから、そりゃそうかもしれないけど…💧

天気が感情を表すとよくいうじゃないですか。

あの環境で生きたゆらと藤は、
心が晴れていたことはもうしばらくなかったんじゃないかな〜〜。

その生き方ばかりを見た私は、ふたりが青空の下にいる姿が想像できない。

だから、この曲をゆらと藤にあてがった時、
目が眩むほどの澄んだ青空に、涙が止まらなくなったのかな❗️って、勝手に解釈して苦しんでいる私であります。

晴れている日に外に出たとしても下ばかりみていたら、どんな空模様なのかなんて分からないし、ゆらと藤の生きている感じからしたら、足元ばかり見ていそうだし……
気持ちが軽くなった時にふと見上げたら、雲ひとつない青空だったら、歌詞のような気持ちになるんじゃないかと思ってます。



雨の音、私はなんとも言えないな。

雨の匂いは好き。
そろそろ降りそうだねって、駆け足で家へ向かう帰り道はなんと表現していいのか分からない、たまらない気持ちになる。

でも雨は嫌い。

雨が降るから、雨の音がする。

そしたら、雨の音も嫌いってことなのかな?

ぷつりと「嫌い」と言ってしまうこともできるけど、それだとゆらと藤が傷ついてしまうので補足をしますと、

私は雨は嫌いだから
雨が好きな人へ共感はできないけど、それ自体を否定はしません。

こんな感じ。


駆け足になっちゃった。
もう少し詳しくは、日曜マチネをみた感想としてかきたいなって思ってます🌌


木曜から土曜日

観劇を終えた翌日の木曜日、後輩ちゃんはお休みでした。
(ちなみに言っとくと、後輩ちゃんを責める意図はありません。そういう風に捉えられる文章になっちゃてるようにも思えるけど…)

なんとなく、朝から気持ち悪いな、胸がざわざわするな〜って思いながら始業を迎えて、そこから1時間半とか経った時に、もう本当にびっくりなんですけど、涙が止まらないんですよ。

誰かに責められたり、嫌なことがその時にあったりとか、そんなんじゃないけど、

今やっていることは私は後輩ちゃんに理屈を含めて私は説明できないんだよなぁ

とか、ぼんやり考え始めたら、涙が溢れてしまいまして。

近くにいた先輩になんだか涙が止まりませんみたいなことを言いながら言葉の通り泣きついて、隅っこで休んだりしたけど、全然止まらなくてむしろ溢れるばかりで、一旦落ち着いたなって戻ってもやっぱりダメで、涙が勝手に流れるってこういうことか!という学びもありつつ、めちゃくちゃしんどかった^ - ^

人間が壊れる過程ってこれか〜〜!って思うのは、きっと文字を書くのが好きだから。体験できたことをプラスに捉えてしまうの、ほんとはよくない。笑

そりゃ明らかな要因があってひたすらに泣いてるもんだから、上司との面談に突入して、色々お話ししてもらって聞いてもらって、一旦その要因とは離してもらうことになりました。

でも、私はね、自分のことを甘えていると思うわけです。やんやりと否定されたけど、そう思う。
だって仕事なのだから頑張らなきゃいけないのは事実というか、やらなきゃいけない与えられた内容を途中でぶん投げるのって社会人としてどうなのかな〜と思うわけです。

何が最善だったんだろう。

後輩ちゃんを教える先輩の声を聞きながら、
私にはやっぱりできないと思うし、だけどいつかやるべき日は再び訪れるわけで。
どうしましょうね〜……と、胃痛を感じながら仕事をしておりました🙂

ただいまの日曜日

追いチケし〜ちゃお🎶ということで前楽にお邪魔しました。

デトックス効果がありすぎるんですよ。

心を軽くしてくれるいい薬だけど、
やっぱり心にのしかかってくるほどの重みがあるからそこは劇薬でもあるな〜って。

穏やかにみれた2回目。

胸が苦しくなるのは相変わらずだったけど、
初日を見た時よりは自分の感情も整理されていたから、自分と切り離してひとつの物語として没頭することができました😌


ゆらの言い淀む姿とか、言葉をぶつけられてそれをしっかりと受け取ってしまうところが本当に苦しくて、
藤も言っていたけど「ひとりで背負うには重すぎる」のに、きっとやさしい子だから投げ出すことはできなかったんだろうなぁ。

すきだなって思うのは

ゆらが『知らない町の店員さん』『成人式であった友達だった人』というようなことばを矢継ぎ早に語っていくところ。

体の中でぶわぁって風が吹いていくような感覚になる。

ことばが印象的な作品だったな〜!!!!!
台本をお迎えできなかったのが悔やまれる🥲



気になった3人のお話を少しだけ。

友樹先輩。あの感じが良い……!

クラブにきたゆらに
「ゆらがきてくれて嬉しい」ってぼそっと呟いた後に、周りの音が大きいのもあるけど「オールだよ!」って耳元で言うの、ずるいわ〜ってにこにこしてた^ - ^

でもずるいだけじゃないから、好き。
ちゃんと先輩としての面もあったから安心できた。

あとね、飲み終わった空き缶をゴミ箱に投げ捨て、それが外れた時に「失敗」って少し笑いながら言うのが、なぜだかとても刺さった。
すぐに入れ直すけど、狙ったことができなかったら、その時点でそれは失敗なのか〜〜…って。

その場面が母親の望み通りにならなかった藤とゆらのように思えて苦しかった。



伊吹くん。真っ直ぐな人。
あんなお友達ほしいな〜〜と眩しさ感じつつ。
彼だってじゅうぶんに優しい人なんだなと。

藤が苦しんだ過去を知った時、
何も知らない藤を悪くいう人がいた時。

人は自分が知っていることでしか他人を評価できないから、その内側を知った時に悔やんだり悲しんだりするんだよな〜〜って思って、その感情の向け方に「わかる〜……」って唸ってた。

悔しいなって呟いたときの表情と声色頭に残ってる。
自分だって悔しかったんだろうなぁ。

陽菜ちゃんに早々に振られるの可愛かった😂
いや〜〜あれは陽菜ちゃんが上手ですわ✋

陽菜ちゃん。良し悪しのバランスが好き。
ここでは敢えてサクハルではなく陽菜ちゃんとお呼びしましょう!

インフルエンサーとして暮らす陽菜ちゃんの心が和らぐ時間ってあったのかなぁ。
私が見れた場面だけだと、常に気を張っているように思えたし、それは今だけじゃなくて、学生だった頃も人気者だったであろう陽菜ちゃんは常に誰かと行動してそうだし、昔から他人の視線を気にしてたんじゃないかなぁ……
と、思うと、陽菜ちゃんが藤を選んだ理由もわかる気がして。

なんでも受け身というか、感情の起伏が平坦な藤の隣は、落ち着く場所だったんだろうなって。

自分が来ていることにすら気がつかない彼氏の横顔を眺めるだけでいい、なんて、陽菜ちゃんもとってもとっても綺麗な子。

はっきりとした物言いは、藤には彼の母親を思い出させてしまうきっかけになるのは、苦しい。

陽菜ちゃんは、ちゃんと藤のことは好きだったんだろうと思う。
でもそれを藤がやんわりと拒絶するのも、数年間音沙汰のなかった藤と関係をはっきりさせたいと「別れよう」と伝えた陽菜ちゃんを引き止めることも理由を聞くこともなく、すんなりと受け入れる藤はね、私はそこは嫌だよ〜〜〜

伊吹くんの言葉が真実なら、藤は自分を守ってくれていた大切な人の手を自ら離したわけで…🥲
でも陽菜ちゃんも結構きついこといってたしな……

今はインフルエンサーとして暮らしているし、
学生の時の天真爛漫さと戦略家な一面に、
器用な人なんだろうと思ったけどけど、不器用な一面も多く持ち合わせているんだろうな。
そこが人間らしくて好き。


陽菜ちゃんが着てたギンガムチェックのワンピースが可愛すぎて、おんなじの買っちゃった🥹


物語の設定もそこに生きる登場人物たちも、質感がリアルでだからこそ心えぐられたわけですが、いいものをみた…で頭が支配されるの好き〜〜!!映画みたいだった……

あらすじで惹かれるっていいなって思った。メインビジュも素敵だし。
実質ひとめぼれだもんね〜!

とっても素敵な団体さんを知れて嬉しいな〜
次回作も都合がつけばお邪魔したい……



私はふたりにとっての『雨の音』は、
他人から向けられたことばの数々だと解釈してる。

良いことも悪いことも、
信じたいことも信じられないことも。

というのもやはり、相手からのことばってその人の気持ちが100でのってくるから、そのまま受け取れば「良い」ことでも、その隙間を覗いてしまったら、とてつもなく鋭く冷たいものもあると思う。

そう感じたことのひとつにゆらのお母さんが

『あさちゃんはいい子だよね〜、ゆらのお友達の中で一番すき。娘みたいに懐いてくれる』
『お母さんと同じようになってほしくないの』

と投げかけた時。

じゃあ、お母さんの夢を壊したわたし(ゆら)ってダメな子?わたしのせい?わたしがいなければよかった?

ってゆらは思ってしまったんじゃないかな〜と。

親子ふたりのシーン、苦しかった。

きっとお母さんは純白そうだしお母さんも傷ついてる人だから悪意なんて本当になかったんだろうけど、だけど、自分が叶えられなかった夢をゆらを通して叶えようと、ゆらに投影しているところはすごく嫌。

占いに頼っているのも、なんだか寂しい人だなって。

申し訳ないですが私は熱狂的に占いを信じるタイプではないので、お母さんが「大丈夫よ」と言いながら、カードを混ぜる姿には狂気を感じてしまった。

占いの結果(たぶん良いものだけ)を信じれば、必ず良い方向にことが運ぶと思っているし、その結果を絶対迎えるのだから、もし今の状況が悪くても「大丈夫」って言い聞かせているんだろうな〜って。



藤もお母さんからの言葉にひどく傷ついてしまった人ですけども、あんなにもやさしく綺麗な子が壊れていく姿はめちゃくちゃきつかったなぁ………


藤の感情が消え去ってしまったような目がとても印象に残っておりまして、あれはまさしく笑うことをやめた/笑えなくなってしまった人だと。

過ぎゆく時間に抵抗することなく、淡々としているようで、ふとした時に一人では抱えきれない苦しみを味わっていたのだろうから、その苦しみをゆらを通してでも緩和できていたならそれは藤にとっては良いことだったのだと私は思うよ。

過去の自分も救って、守れているんだったら、それが藤の選んだ正解の道なんだから、否定する人はいないので大丈夫だよ〜の気持ちでいた(勝手に)

藤の心をかき乱す音が、水の中に沈んでしまった時の耳を抜けるような雰囲気なのがとーっても苦しくてさ。
手を伸ばしてもひかりには届かない、
どんどん息がしにくくなっていくのだろうな
って胸が張り裂けんほどの思いでした。

深青 / mol-74


私はこんな感覚に陥ってた。

藤が小さな子供のように背中を丸めて三角座りをしているところは、藤が大人になりきれていないところを表しているようで、その苦しさを半分こできる人が現れたらいいなって思うから、ゆらという存在に藤が出会えて本当によかったよ。


藤がゆらにかけた言葉って、
自分自身が欲しかった言葉なんだろうな〜〜

お互いのことに共感できるから、
相手のほしい言葉を贈ることができて、
それがふたりのことを結びつけた。

名前のない関係くらいがちょうどよかった

恋人はおろか、友達ですらない
だけど他人とよぶには踏み込みすぎている

互いの名前と、察せられた環境だけ、

それしか、知らない 

それだけは、知っていた ふたりの話。


おわりに

濃い一週間だったね。

この先も辛いことはきっといくつもあって
それはこの出来事を上回る内容かもしれないけど、
きっとその時はまた別の救われる何かに出会えていると信じたいな。

思い出たち

私は『それしか、知らない』にとても救われました。

出会えてよかったって心から思ってます🥲

きっかけを作ってくださった高岡さんには超絶感謝してます…!!!!!!


楽しかった〜〜〜〜!!!!!!!

『それしか、知らない』に携われたみなさま
素敵な作品を届けてくださって本当に有難うございました。

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