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砂上の楼閣

こんばんは!お疲れ様です!

黎明の王ディレイ配信、心から楽しませていただきました。マルチアングルに加え、全景、そして主要3人の推しカメラと「よろしいんですか…?」と驚いてしまうほどオタクにやさしいイルミナスさん。
頭があがりません。本当に嬉しかったし、幸せすぎる時間でした。有難うございました☺️

とはいえ色々な都合があるのは承知の上で期間がみじけ〜よ…とオタクは嘆きざるを得ません(笑)
Blu-ray届いたらまた沢山みよ〜!(家に再生機器はないけど)(買わなきゃね)

改めて、本当に黎明の王という作品が大好きで。
どうしてこんなに刺さってるんだろうねぇ。

(書き出しからわかるように、これは夏頃に書き始めたものです🤗 Blu-rayプレイヤーはちゃんと買いましたし何度も見させてもらってます!)

上記でも色々書いているんだけど、今回は物語の軸にがっつり触れながらお話ししようかなーって。
もし読んでくださる方がいたら、これから先は私が感じたこと/都合の良い自己解釈/ゆるりとした考察を書くだけなので、ふーんこいつはそういう受け取り方したんだーーくらいで見てもらえれば。
当たり前のこと言うなよ〜も含まれていると思うけど、文字におこなさいと忘れちゃうから許して!


OP/ED

再生し始めたら中々先に進むことができません。どうしてでしょう。困っちゃいます。
YouTubeで見れるので是非‼️本当に‼️みて‼️

ああ 忘れていないか
人は生かされている 食物連鎖の檻で

ああ 覚えているか
人は死にはしないと 残された人の心に

生と死の狭間 生と死を超えて

不死者の王となれ

誰が王となる 誰が王になる

夜が明ける 何を望む

メインテーマ

私はマリアタのファンなので、自然とOPをみている時はヴラドに向けている歌詞と感じていたけど、本編を通してEDでは夜明け後のジェリコを歌った曲だと気づき。同じ歌詞でも受け取り方が変わるのおもしろい。
以下サビ前(で合ってる?)までの二人に対しての個人的受け取り方と解釈。

◎ヴラド編

ああ 忘れていないか
人は生かされている 食物連鎖の檻で

・いくらヴラドが人間と共存したいという思いがあろうと、ヒトの血を飲まなければ地獄のような苦しみが待っている
→ヒトを襲わなければいけないという悪魔の囁き

ああ 覚えているか
人は死にはしないと 残された人の心に

・かつてヴラドがかけられた「お前は少し変わった人間だ」という言葉と "死して永遠となれ" というフレーズを思い出しちゃう。
・死ぬことはできない永遠の命に囚われたヴラドと、命に限りはあるけど誰かの心に残れば永遠に記憶として残り続ける人間の対比がえげつね〜って思うわけです。

生と死の狭間 生と死を超えて
・ジェリコにも通ずるけど、決して死ぬことはない不死者=生が芽生えてから死を迎えるまでの終わりなき時間を過ごしている
・物理的に傷つきはするし、命を落とすことすらあるのに、すぐに傷も癒え再生してしまう不死の主従

誰が王となる 誰が王になる
夜が明ける 何を望む
・古城での数日とそれまでの経験からマリアタが望んだ 人間との共存=夜明けのサイン なんだろうな。
何のために生きているのかわからなくなった薄暗い旅をしているマリアタにとって、(多少なりとも憎いはずであろうに)自分が唯一持ちうる不死者というアドバンテージを交渉にしたのだと思うと胸がぎゅっとしてしまう。

iPhoneの手書きメモむずぃ〜〜


◎ジェリコ編
本編を経た、新たな時代の幕開けだ…と謳ったジェリコに対しての解釈

ああ 忘れていないか
人は生かされている 食物連鎖の檻で

・ここでの"人"はジェリコだとして…
→最後のシーンをみると、恐らくこの先のジェリコは欲のままに人を殺めていくのだと。自分を人間ではないと自嘲するように叫んだ姿から、きっと、数年、数百年後には自らの手で殺めた人間(その血液)によって生かされていることを忘れてしまうんじゃないか?って。

食べ物は巡る。葉を動物が食べ、動物を人間が食べる。

その人間を、ジェリコ様が食べるのが自然の摂理だというのか!

台本より引用

確かにジェリコは頂点に立ち得る存在になったけれど、先述の通り、それは自分を生かす存在があるからで。大切だった従者ふたりが、自らの手で人を殺めたことを後悔するように言った上記の言葉の重みもいつしか薄らいでしまうのだろうなぁ。

ああ 覚えているか
人は死にはしないと 残された人の心に
・だからこそジェリコには覚えておいてほしいのです。最愛の従者たちは崩れ行く城に取り残されるように命を落としていってしまったけど、ジェリコが忘れることなく彼らの存在を胸にしまっておけば、ずっと残り続けるから。それこそジェリコは嘲笑したし、自ら切り捨てたものではあるけど、アイヴァンがビクターのそばに居続けたように。

生と死の狭間 生と死を超えて
不死者の王となれ
誰が王となる 誰が王になる
・最終的に人間を支配するという闇に生きることになってしまったジェリコの行き先きつくないか?
・ジェリコは"不死者の王"って感じ。一緒なんだけどヴラドとは少し違うように思ってる。ヴラドは不死者である意味(=王座を取り戻すため自らその道を選んだ)を分かっているし、納得してるとも思うし。だからこそヴラドは今の生きる意味を探しているけど、ジェリコは欲望のまま(=ニコラを生かしたい、ただそれだけ→それがなくなった)に生きることになるから
人間を支配する黎明の王、って言葉がきつい。
それは不死者だからできることであって、だけど一番やっちゃいけないことだと思うんすよ……


個人的に解釈を深めたいな、と思ったのは

誰が王なる 誰が王なる

の助詞の違いがもたらす意味ですよ。
一旦個人的受け取り方を話すと、

誰が王になる
→自ら望んだ…みたいな (マリアタ)
誰が王となる
→誰かに選ばれたって感じ (ジェリコ)

調べました!個人的にわかりやすい、なるほど、ってなった解説はこちら。

ジェリコだってニコラのことがなくとも王になる存在ではあったけど、この『王』が指すのが『不死者』であるとするならば、さっきの受け取り方はわりかし合っているのかな。

さっきも言ったけど、ヴラドは何としてでも目的を達成させたく、その手段として自ら悪魔召喚の儀を行なった。一方ジェリコはニコラを助けたいという想いの元、儀式を始めてしまった。
"ニコラを救いたい"という気持ちは、目的とか目標ではなく願いなんだろうな。 悪魔にとっては、願いを叶える=救済 それは神が与えるもの。だからジェリコに永遠の命を与え、その分ニコラを生かす契約になった。
私はジェリコのことを半端だったとまでは言わないけど、悪魔からしたら、人間は他人のためにそこまでするんだなぁ…くらいにしか思ってなさそう。面白がってそうだなぁ、という所感。結局契約者であるジェリコが望んだニコラを生かしたいという願いは、他の不死者によって打ち砕かれるわけですし、悪魔はいいオモチャを見つけちゃいましたね!(最低な感想)

◎ビクターアイヴァン編

生と死の狭間というフレーズをビクターとアイヴァンの兄弟ふたりに歌わせたのよくないよ⁉️(嘘、好きです)
結局あの場でのアイヴァンという存在は、ビクターの妄想という話じゃないですか。そこに存在していないのだから、生きても死んでもいない、その狭間にある人。

YouTubeでいうところの0:44〜のマリアタパート
ああ 覚えているか
人は死にはしないと 残された人の心に
で後ろにいる兄弟のシルエットも見てください。
私はビクターの方が若干俯き加減が大きいことに日々悩まされています。残された人(=ビクター)の心に、アイヴァンはずーーっと存在しているわけですよ……

てかさ〜、このオープニング、悪魔が頬杖つきながら口ずさんでるところ想像したらめちゃしんどくない?^ - ^


ビクターが好きだよ〜

ビクターを経由して推しが増えたオタクです。ビクターめちゃくちゃ好きです。かわいい、愛でたい。
ごめんなさいちゃんと話します!!

ジェリコにとっての想定外の出来事=ビクターの存在っていうのがさ、こう、互いの存在が互いの運命の歯車を狂わせていくようでめちゃ好き!!!!

初日の鏡の部屋での場面。ジェリコは鏡に文字をなぞっているけど、もしそれをビクターが読めていたならだいぶ焦っただろうな。
↑後の答え合わせで、昼間にだけ文字が浮かび上がるのでは?とマリアタが言ってるからね。主従は検証はしていないらしいので、ここでビクターが解読していたら計画丸潰れだし。

(その当時の識字率は調べていないのでわからないのですが、山に住んでいたビクターは字を読めないのでは…?と私は思ってて。村組や主従ふたりはきっと読めるから、鏡の間に現れたのがビクターでジェリコは僅かに安堵したんじゃないかな)
(…と思いましたが訂正!!書斎に入った時に、ペラペラとページを捲って、こんな内容の本だ…と理解しているのでビクターも字は読めそうだね。ごめんねぇ………。でも残しとく!)

一方、夜の鏡の間。
ジェリコがビクターを連れ出してビクターが持つ毒が仕込まれた弾丸を奪い書斎へ閉じ込め、さっさと食糧を手にする目論みがあった、と考えたら自分の行動を監視するように邪魔者である主従が現れたことにジェリコはかなり苛立ったただろうな😄

先に言っておくと、今の私はアイヴァンのことを、全てのことをお見通し〜って視点を持つ存在だとも考えている節があるので、
(それだと納得できない場面があるのも承知ですが)

閉じ込められて、逃げ場がないかもしれない

とビクターに忠告する言葉の主語。
最初は"主従に" ジェリコとビクターがだと思ったけど、城主であるジェリコは城のことを全て知っているだろうから、"ジェリコに" 主従もろとも閉じ込められて だったのではないかと考えちゃって震えました。違和感が、とビクターを奥へと連れ出したのはジェリコだしね。


あーんなに周りを警戒していたビクターが村組、そしてジェリコに心を許すようになってしまったのが本当に苦しくて。村組は似た境遇を持つからいいのよ。だけどジェリコは違うじゃん……?😭😭


ビクターは家族を奪った憎きヴァンパイアという暗闇に生きる存在を自分の手で殺すことを、その暗闇に微かに浮かぶ星に願ったんだろうなぁ……

幸せな時間 不幸せな時間
どちらの方が多いのだろう

を兄弟ふたりに目を合わせて歌わせたの、とてもとてもずるいと思ってる。だってこの時、本当はビクターしかいないわけじゃん。

多分ここまで、ビクターがどうしてヴァンパイアハンターとして生きることになったのかはジェリコ以外知らないと思うの。そこで『お前たちも…』というビクターの言葉で村組もビクターにだって辛い過去があったと理解して、ビクターも村組の境遇を知ってようやくビクターの閉ざされた心がほぐれたのだと思うんだよ。だからミロサフの件もあり協力して主従を閉じ込めようという計画に至ったのに、ジェリコの正体がさぁ………

『一度下ることにした』というビクターの少し不貞腐れたような声色が好きです。不本意だけど、って様子が見えてるのが良い。
だけど私は未だにビクターがこの結論に至った理由をあんまり解釈しきれてない……。なんでだ…

あとビクター自身の話ではないけど、輝山くんから伺ったお話なのでこの場を借りて少しだけ。
ビクター登場前、ジェリコが『お二人から離れて』とウラジミールと負傷したラドゥロヴィッチに背を向け言っているけど、最初は謎の二人の人物に対してだと思ってて。でも"剣先が村組二人に一瞬向いている"というお話と全てを知ってから、"自分が村人を仕留めるから君たちは何もしなくていい"って裏があるように捉えることもできて。タラ山での道中、ジェリコにとっての唯一の恐るべき存在は猟銃を持つラドゥロヴィッチだから、彼がいなくなれば食糧も存分に手に入るしね…。ねえ、吉田さ〜ん!!!!!ずるいです〜!!!!!!


最後に気になったのがアイヴァンの呼び方。兄貴、兄さん、兄とアイヴァンのことを表現しているわけだけど、兄と言ったは一度きりなので、果たして兄貴と兄さんの違いはなんだろう…と。

兄貴
:兄を敬って、また、親しんでいう語。にいさん。

コトバンクより

結局、兄貴=兄さんなんですけどね。(それはそう)

あくまでも私の受け取り方ですが

兄貴呼びは家族を殺した憎きヴァンパイアを殺すために生きるハンターとして。
一方で兄さんと呼ぶ時は、大好きな兄に対して当時は守られるべき立場であった弟が出ているのかな、と。

『兄貴』
→初登場シーンと主従を一度閉じ込めた時

『兄さん』
→「起きてるよ」と目を覚ます時、鏡の部屋に初めて入る時、そして仇を討とうとジェリコに向かう時。

前者はまさに戦闘してるし、自分は家族、村組も友人や家族をヴァンパイアに殺されていて。
輝山くんがアイヴァンもヴァンパイアハンターだったんじゃないかな?と仰っていたので、それを基に考えて、兄が達成できなかった目標をようやく自分の手で達した。
これがハンターとして生きるビクターの存在理由。だから語気が強めな兄貴なのかなって。

後者ではビクター自身がアイヴァンに対して発していると思うの。兄からしたら弟はいつまで経っても弟で、きっと死んだ兄の年齢を越そうとも弟からしたら兄は兄なのです。
だからちょっと可愛げのある兄さん呼びをしてる時は、素のビクターなのではないかと思ってる。普段から"兄さん"って呼んでたんだろうな〜って妄想した。
家族を殺されたことでハンターとして生きる道を選んだとしても、目の前に本当に憎むべき存在がいた…ってなったら自分の肩書きなんてどうでもいいじゃん。一人の人間として、ビクターはヴァンパイア(=ジェリコ)に恨みを抱えているからさ。

妄想とこじつけでごめん……


マリアタ…マリアタ…………

私なんぞが語ってはいい人ではない……
だけど好きなんです、とっても……。
そんなことしか言えないんだけど、じゃあなんでそう思うのかってことをゆっくり紐解いていきたいな。わたし、立ち直りは結構はやいタイプです。

前回は曲を多用して文字に綴ることを逃げてしまったのだけど、どうしてそうなったかっていうと私のマリアタの解釈が甘いからなんですよ。
わたし、何事においても、 好きだから好き なんです。絶対伝わらないよね、そうなんです。
推しに対してここが好きになったんだろうなってふんわりとしたきっかけはあるけど、気づいたら抜け出せないくらい好きになっているから、それを言語化することができない。こういうところが好き、は言えるけど、どうして好きになったかを伝えるのはちょっとばかり難しい。
それが情なんてことは決してないはずだけど、そう捉われかねないような気もして、余計言葉にするのがこわい。

そんなわけで、
マリアタが好きな理由を言うのは難しい。

……ヴィンツェルに刺されそうだな。

推しが演じているのがヴラドで、推しのお芝居を初めて生で見たのがヴラドで、そりゃ好きにならざるをえない環境ではあるんだけど、それだけじゃないってことをいつか証明できたらいいな〜〜

さて、自分語りはこの辺にして。
ここから色々書いているのだけど、やっぱりマリアタに関しては感想になってしまう。

今作のマリアタは久しぶりに人間らしい姿を見ることができましたね。私はそれがとっても嬉しく。
前作の屍の王では人間たちの醜き様を面白おかしく、その場の一番近くで観測者として眺めていたように思えたから、今作では様々の渦巻く感情の当事者のひとりとして関わっていたことに安堵した。
外から眺める と 内側で巻き込まれる そりゃ全然違う。


私がマリアタが人間らしいな、と感じた大きな要因は感情の揺らぎが見えたこと。

揺れがわかりやすいな〜というのと、中でも私が好きなのが

俺は殺したくない。殺したくないんだ!

と否定する場。
いやいや、あなた昔はかなり血気盛んだったじゃん…と思う気持ちは若干ありながらも、今のマリアタが人間との共存という道を望んでいるから出た言葉で、村組(と古城組)に提案したことに裏はなかったとも受け取れるんだなぁ。
あとこれまでヴィンツェルと共にした旅路の中で、出会った人やかけられた言葉、得た感情は全てマリアタの中に染みついているんだろうな。

屍の時に『少し変わった人間』と評されたマリアタは、じゃあどうしたら人間らしくいられる……?というマインドに

ジェリコの言葉をかりると、
人を殺す=人間だったら決してしないこと

人を殺さない(殺したくはない)

みたいな考え方になっていたら、それらしいのかなぁ。自分たちが生きるために人を殺める必要はあっただろうけど、タラ山でジェリコが残した遺体の血を吸う時にかけた言葉に、目の前にある食料への感謝の意が表れているように思える。育ちがいいね〜〜

それと、マリアタは本来優しすぎるきらいがあったようなので誰かからかけられた言葉を呪いのように胸にしまっていそうだなって。私の考えですが、父からうけた『愛に溢れた人生を』という祝詞に苦しまされる彼がいてもいいじゃないかと思ってます。

マリアタはお兄ちゃんで、誰かの大切な息子という立場で。これまでのシリーズの中心人物と通ずる部分もあっただろうから、その対比もたまらんですよね。

この "愛" についての話ですが、
やっぱりどう考えても『光は愛』なのです。
でね、わたしは "愛" という感情の中に、誰かを大切に思う気持ちも包含されていると思うわけで。

今作のヴィンツェルがマリアタへ向ける気持ちはいつも通り重たいものであるけど、
大切な人だから、ひとりでも自由に生きて。
……かなしいです。わたしはとってもかなしいよ!!ヴィンさん!!!!だけど大切だからこそ、なんだよね。
例えばよく(?)漫画で見る、雨宿りしている好きな女の子に傘を押し付けて自分は濡れて家に帰る、みたいなシーン。その自己犠牲って、他人を慈しむこと。どうでもいい人間相手だったら素通りするところを自分がその人へ好意を抱いているから、その人が損をするのは避けたいんだろうね。
というのを主従に置き換えると、なんかそれっぽくないですか???
(わたしの文章力と語彙力がないせいで絶対伝わらない)

その後マリアタはヴィンツェルを、地獄まで道連れだと救いにいく。これって従者のことを大切に思っているからできること!!自分の行き先も不安定なのに、崩壊した城に戻り従者を探し続ける。これって紛れもない愛じゃん……?


マリアタが悪魔を斬りつけたヴィンツェルのことを閃光だと評していて、じゃあ、あの時にヴィンツェルはマリアタのことをどう捉えたのだろうと。
確か王子様ってご本人は言っていた気がしてとても頷いたのですが、折角の場なので閃光に返す表現を使うとしたら曙光だなと。

曙光(しょこう)
① 夜明けの光。夜明けにさしてくる太陽の光。
② (比喩的に) 前途に見えはじめたかすかな希望。明るいきざし。

コトバンクより

光も差し込まないような暗闇、たったひとりで飢えに苦しむことを選んだヴィンツェルにとって、マリアタが現れることは本当に想定外のことだったのではないかと私は思っていて。
もしかしたら僅かな期待をしたかもしれない、だけど、主が従者のために自らをかけられるか?というジェリコの問いを答えさせなかったのはヴィンツェル自身だし、これまでの過ごし方をみても答えはかえってこないだろうと感じたんじゃないかなぁ。

そこでみえたマリアタの姿はきっとヴィンツェルにとって、いっとう眩いものであったのだろうな。
主人と従者という枠をこえて、黎明で初めて互いにとって大切な存在になったのではないか?と思ってます。思わせてください。

正直私たちが得ているヴィンツェルという人物の情報があまりにも少なすぎていくらでも解釈できる余白があると思うし、誰も救われない、誰も報われない物語というフレーズがあるからとっても怖いのだけど、せめて今くらいはヴィンツェルはヴラドにとって唯一の救いの存在あってほしい。


安定のイメソンタイム

黎明のことを考えながら何かする時によく聞いてたプレイリストの一部を紹介させて🥹


終わりに


思ったよりもだいぶ長くなってしまって、かつ分かりにくい文章を羅列してしまったので、果たして読んでくださった方はいるのか……というかこんな文章を読む気になる方はいるのか…と考えながらも、今のわたしの考えを文章に残せたことが大事なので。そもそも夏頃に書き始めたものをようやく書ききれたことが偉い。それと楽しかった。

受け取り方次第でいくつもの解釈が生まれるだろうから、わたしはこう受け取ったんだ〜という記録を大きな声で残すのはどうなのだろうとかね。思うことはあります。けどね、私は言語化することが一番性に合っているようなので、残しちゃいました。

王ステという作品たちは私にとって、心から大切な存在で。出会わせてくれた推しにも、つくりあげてくれる方々にも、楽しさを共有してくれるたくさんのお知り合いにも日々感謝の気持ちです。

好きという感情を "大切"

と表すことをすごく気に入っている。

来週末に開幕予定の蒼穹の王
とてもとても楽しみにしています。心の中ではお祭り騒ぎです🥳🥳

王ステに関わる全ての人に、
小さくともちょっとしたラッキーが積み重なって、大きなしあわせが訪れますように。

これからもご縁の糸が途切れることなく、
続いていきますように。

そしてどうか健やかに過ごしてください。

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