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〈短歌評〉店前のソフトクリーム悲しんでいいよ垂れないソフトクリーム/初夢 あるいは、現実からスライドさせて夢を見るということ

この短歌を見た時に、わたしははっとなった。

このソフトクリームは、おそらく店前に置いてある、飾り物のソフトクリームなのだろう。これは模造品なのでもちろん溶けない。しかしこの短歌は『悲しんでいいよ』と許している。この短歌は、模造品の見えない『悲しみ』を幻視している短歌なのだ。

この短歌はどうだろう。

遊泳禁止の先はもちろん『視えない』。でも遊泳禁止のイラストはきっとこの先を『知っている』。遊泳禁止の前で泳ぎながら、遊泳禁止の先を夢見ている。すなわち、『今、ここ』現実に足を着きながら、夢を見る。現実にいながらして夢を見るということだ。

ここまで見て一つ思ったのは、初夢さんの短歌は、童話のような世界観だと思っていると、ふいに見える現実感のギャップに驚愕する。それはきっと、アイロニーの一つだと思う。

『蛇口をあけたままにできない』自分を冷静に見るアイロニー。もちろん、それは冷笑や皮肉の発露ではない。あくまで現実を視ていることから生じるアイロニーだ。

現実にしっかり足を着けていながら、その地点からスライドさせて夢を視る。夢を見ることと現実で生きることを両立させる。その方法を、わたしはずっと知りたかった。

今までわたしは、きっと現実を見ずに、夢ばかり見ていたのだ。短歌や小説に逃避して、やるべきことをきっちりやっていなかった。夢を見ることは尊いことだが、現実を無視した罰は確実にやってくる。わたしはわたしのやるべきことを果たさなければいけない。

そう思っていた矢先に、表題の短歌は『ソフトクリームの悲しみ』を幻視する短歌に思えた。それで、自分が許されたような気がした。わたしはソフトクリームではないけれど、たまには許される夢を見ていたい。現実はまたすぐにやってくる。それまで、明日また頑張れるように、もう少しだけ夢を見ていよう。