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世界は、正解ではなく答えで創られている

今朝は回答を出し続けることって大切だなと思い、これを書いています。

そして目の前のあらゆるものを「誰かの答え」だという視線で見ると、その回答を出す課程が想像できて、胸が熱くなります。 (2020.10.23)

 一昨日から、新しい声の響かせ方のヒントを得て取り組んでいる。これまでよりも楽に声が出るし、録音した限りだと響のまとい方も好みだ。これを分かりやすく説明するロジックを僕なりに作ることはできるが、説明をすることは並大抵のことではない。

 僕なりの回答は確かにある。(ただ、追求していると回答と正解の意識を混同しがちで、そのことについて深く考えずに思考が進んでしまう。今回その意識にレイヤーを持つことで、一つ足かせが外れた気がしている。

 確かにあるけれど、それは相対的に動く。

例えば、基本姿勢として、喉頭蓋を持ち上げて音の通り道を確保するために舌骨を前に持っていく。その時に使う筋力は頤舌骨筋や口角下制筋、顎二腹筋など。そしてそれを刺激するための方法がある。

母音o,uはそのまま発生、母音a.e.iの際は頬筋の作用で軟口蓋を下げる必要がある。その塩梅や、そもそも響の的をどこに持っていくのか。それも音程や言葉によってスイートスポットが若干異なる。それに加えて呼吸についての考察も重なる。(今日はそのようなことを書くつもりでは無い)

 小さな正解らしき答えは、時と場合によって動く。例えば筋肉疲労が蓄積されてくると、意識とは裏腹に筋肉そのものが機能しなくなる。

 さっき言ったように、一昨日なかなか魅力的な響の場所を見つけた。

 しかしその響のポイントは以前散々試した場所で、その後上手くいかずにお蔵入りしていた。

 なぜまたその響の場所へ戻ったのか?

 それは、以前は持ち合わせていなかった小さな回答の積み重ねがあったからだと思う。ずいぶん前に試した同じような響の掴み所だが、当時はその状態を維持するロジックがなかった。掴んでも掴みきれず崩れてしまった。

 しかし今回、これまでの小さな回答がその響を掴み続けてくれたのだ。

 何より嬉しいのは、自然な感じがすること。体に無理なく響を作り出せることが何より一番だ。先天性の歌い手たちは決して無理をしていない。自然で穏やかだ。そんな状態に少しでも近づけたと思うと嬉しい。

 しかしここでまた新しい課題が生まれる。声は楽に出ているはずなのに、声帯自体がこれまでよりも疲労している。

 それは理屈で説明がつく。

 良い倍音を含む楽音は、安定した振幅を必要とする。振幅が安定して響が豊かになるほどに声帯は活発に活動する。なので、これまでよりも疲労感を持つのは当然といえば当然だろう。ただ、まだ慣れない筋肉の活動によって要らぬ負担をかけてしまっている恐れもある。

 直近の課題は、その響きを維持している状態をさらに見つめ、自分の体のどんな状態がその響を掴むことに貢献しているのかをより深く知ることだ。

正解じゃなくてもいい。

まずは、回答をしてみる。

そして疑問をもち、また回答する。

正解を出す必要はない。

世界も同じように、正解ではなく答えで創られている。

そう思うと、心が少し軽くなって、小さな答えに優しく向き合えるようになる。



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