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FIELDS #02 事前トーク SASAK.RADIO文字起こし

2/23 に行われるFIELDS session02に向けた対談の文字起こしになります。音声と合わせてお楽しみください!

笹倉:よろしくお願いします。今回のFIELDSというイベント、第1回は又吉直樹さんに出ていただいて、音楽と文学というかたちでやらせていただいたんですけど。

堤:こんな高尚なイベントに私でいいんですか?チャラいですけど。(笑) 

笹倉:映画と音楽ということで、大丈夫です。今回堤さんとは、一度御縁があったので、もちろん僕も堤さんの作品は子どもの頃から。

堤:そうですか。ありがとうございます。

笹倉:子どもの頃と言っても2000年ぐらいにドラマとか、大変斬新な演出でやられていたのがすごく記憶にありまして。そのあとも映画作品、大変たくさん出されてらっしゃって、今回映画と音楽について、このイベントをしてみようかなと思ったときに、もう堤さんしかいないなと思って、ぜひと思いましてオファーさせていただいたんですけれども。まず僕と堤さんの馴れ初めというか、以前WOWOWのはっぴいえんどのドキュメンタリーで。

堤:そうですね、はっぴいえんどが出来るまでみたいなコンセプトで作った「TOKYO ROCK BEGINNINGS」という番組でしたね。どうしてもあれで、最後はっぴいえんどを再現したいというむちゃくちゃな思いの下やっていただいて、皆さんに扮装していただいてね。かつらかぶったり、当時の服着たりして。それで、大瀧さんを笹倉さんには、演じていただくっていうのもなんなんだけど、完コピしてもらったという。素晴らしかったな。

笹倉:ありがとうございます。僕がファーストアルバムを出した2008年に、ファーストアルバムを聴いてくださっていたということなんですよね。すごい驚きで。

堤:やっぱり声が、全国どこにもない、武蔵野の声って言ったらなんなんだけど。もともと私名古屋なので、センチメンタル・シティ・ロマンスとか、残念ながらボーカルの中野さんはお亡くなりになっちゃいましたけど、名古屋のいとうたかおさんとか、そういう方々と、そんなに交流はないというか、憧れているだけだったんですけど、やっぱりどこかで60年代、70年代の、当時のフォークとはあまり限定したくないんだけど、フォークやロックや様々なカルチャーの声みたいなのがあって。それを笹倉さんが体現していらっしゃるような感じがして。で、ずっと今でもその雰囲気をやっていらっしゃるから、もちろん好きなのは当たり前なんだけど、自分が信じているものがあってよかったな、っていう。で、本当ははっぴいえんどをカバーしていただくというのは、なかなか邪道だけども、どうしても人生で、あそこで一区切りつけたいというのがあって。

笹倉:なかなか思い切ったことを。

堤:そう。皆さんどこかで憧れがあって、カバーアルバムも出ているし、必ずコメントする人も多いですね。それぐらいの神様バンドではあるけれども、僕の中では、やっぱり東京出てくるきっかけだったし、その思いをずっと背負って今までいろんなことをしているけど、基本的には僕の中での神の音楽に、そんなには近づけなかった。たまに映画のエンディングで山下達郎さんの「2000トンの雨」とか、吉田美奈子さんの曲であるとか、大滝詠一さんも、初期のソロデビューのときの「ウララカ」という曲であるとか、そういうものをドラマの、本当のちょっと、エンドで使わせてもらったりはしていたけども、そんなのはもう本当にラブコールにしか過ぎなくて。でも皆さん、本当によく対応してくれて、ちゃんとやってくれたんですよ。そういう自分の中の思いがあのWOWOWの番組のエンディングで完全にコピーして。楽器もマイクも全部同じものを揃えて、1970年4月の何日かの、はっぴいえんどが初めて、こんばんは、はっぴいえんどです、って言った瞬間の2曲がほしいっていう。本当によくぞやっていただきました。ありがとうございました。

笹倉:そんな感じのWOWOWのやつが終わり、あれがもう2年ぐらい前ですか。

堤:19年の9月。

笹倉:じゃあ3年前だったんですね。

堤:そうですね。あのあとですよ、コロナ。

笹倉:あのあとすぐコロナになっちゃったんですよね。ありがとうございました、その節は。

堤:コロナ中はどうなさっていたんですか?

笹倉:コロナ中は、もともと僕は埼玉の米軍ハウスでスタジオをやっていたんですけど、コロナをきっかけに、東京に住んでいたので、そこに移して、家との距離も本当近い中で、音楽制作だけに集中しようかなと思いまして。で、今西荻のほうでスタジオを、今日本当は来ていただきたかったんですが。

堤:ごめんなさい、今ちょっと「Get Ready!」というTBSのドラマをやってて、それがもうスケジュールぐちゃぐちゃで。もう私67なんだけど、30代、40代はドラマをやるのが楽しくて。ついに俺もドラマのディレクターなんだ、と思って、肩肘張って頑張って、生意気なことばかり言って頑張っていたんだけど、60も過ぎると、これは60代の仕事じゃないな、しんどすぎると。(笑)

笹倉:そんなお忙しい中に、また今度ぜひ機会があれば。なので今日は堤さんの事務所にお邪魔して収録をさせていただいております。今回、映画と音楽ということで、まず映画と音楽、音楽に影響を受けたかというのと、どんな映画に影響を受けたかというところを伺いたいんですけれども。

堤:僕は現状、映画監督、舞台演出家、テレビのドラマの演出家なんですけど、そういうことに特化していったのは、かつて1980年代後半、秋元康さんと出会って仕事をして、会社を作って以降なんですよ。それよりも前は、正直言ってテレビはあまり好きじゃなかったです。ほとんど見なかった。テレビを見たらバカになるって母親に言われてたんです。まあこっそり見てたんだけども。しかしまあ、高校生の頃、本当に下手すりゃ60年代の末期から70年代の初頭にかけてなんですが、ほとんどバンドばかりやってたんです。見るもの、聞くもの、当時レコードでヒットし始めたブリティッシュロックとか、1970代の頭になるとはっぴいえんどとか、日本のロック、フォークにはまっていくんですけど、ほとんど音楽がフィーチャリングされてないと映画にも行く気になれなくて。だから映画マニアでもなんでもないので、例えば「小さな恋のメロディ」って、ビージーズとか、CSNYですね、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングとかの曲を聴きに映画を見に行く。エルトン・ジョンの曲を聴きに「フレンズ」という映画を見に行く。露骨なところでいけばウッドストックっていうね。記録映画。あるいは「レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ」とか「エルビス・オン・ステージ」。でもちょっとなんか違うな、っていう違和感を持ちながら。やっぱりストーリーの中にそういうレジェンドロックの名曲がはまっていると、それだけで感動して、涙腺緩むみたいなね。内容はあまり関係ないみたいな。そういうふうにしか映画は見てこなかったですね。だから基礎的な勉強も何もせず、ただ好きだっていうわけ。

笹倉:もともと音楽を聴いてて、その音楽がこの映画で使われてるぞというのをキャッチして、それで映画を見に行くみたいな。

堤:そうですね。ネットも何もない頃です。音楽雑誌の1行にちょっと載る。で、しかも地方で、名古屋です。で、名古屋の映画館なんて狙って宣伝はしないんですよ。二本立て、下手すりゃ三本立てて、例えば長谷川和彦さんの「青春の殺人者」っていう血みどろの映画と、「猿の惑星」が二本立てとかね。もうマーケティングも何もない、ただ館主が面白がってかけてるぐらいな感じのもの。だから、東京に来て、映画1本の値段で1本しか見れないっていうのがすごく損だなと思ってたことがありますね。千何百円払うと、実際千円以下だったですけど、名古屋だと2本、3本見れて当たり前。で、暇をそこで潰すことができるっていう感じでしたけどね。ただあまりそういって映画に行くよりは、当時はロック喫茶って当時は言っていましたけど、たむろして、ちょうど僕の世代で本山っていう交差点、名古屋の東のほうの地区ですけど、そこにはシティマジックというロック喫茶があって、センチメンタル・シティ・ロマンスのアルバムのタイトルにもなったところで、そこに行っては、レコードいっぱいあったので、これかけてくださいとリクエストして、ずっとコーヒーを飲んでいるみたいな。そんな感じの暮らしをしてて、ほとんど映画、ドラマには縁がなかったと。

笹倉:音楽マニアというか、いい音楽を使う映画って、そこそこのこだわりがやっぱりあるじゃないですか。

堤:そうなんです。そこに絶対共通項があるはずだと思って、そこを見に行く。で、僕も監督して、まだまだ未熟だけども、何か共通する世界観というか世界線みたいなものが絶対あるはずだ、というのがあるわけですね。

笹倉:それはありますよね。

堤:それはミュージシャンの間でもあると思うし。

笹倉:そうですね。僕、そういう意味で言うとライ・クーダーとか、ヴィム・ヴェンダースの映画とか。

堤:「パリ、テキサス」ですね。

笹倉:映画とか、堤さんの作品にも音楽がすごく影響されてらっしゃるんですよね。

堤:そうですね。いろんなタイプの組み方、それから、例えばそれこそ達郎さんや吉田美奈子さんにオーダーした、大瀧さんにオーダーしたみたいなこともあるけれども、やっぱり自分の核にも縛られない何か新しいものも欲しいなと思って。例えば「SPEC」というドラマをやったときは、たまたまニューヨークの知り合いがバンドを作ったっていって、東京でライブをやるから、BGMはまたちょっと違うんですけど、テーマソングを決めるとき、どうしてもドラマって行政的っていうか、いろいろなプロダクションとテレビ局の関係の中で決まってくることも大きい。ほとんどそうだと言っても過言ではない。それがかなり嫌で。プロデューサーもそういうのが嫌で。

 で、誰も知らないアーティストを作ろうやってなって、たまたま知り合いがニューヨークからバンドを連れてきて、それを渋谷のラママに見に行った。4人組のロックバンド。全部英語。日本人なんですけどね。それがめちゃくちゃかっこいいんです。ライスクッカーズという名前のバンドだったんですけど、1曲目で、かつてロックを聴いて脳天を打ち砕かれるなんてよく言っていたんだけど、ほとんどそんな感じで。で、すぐその場でプロデューサーに電話して、今すぐ来てくださいって言って、6曲目ぐらいにプロデューサー来て、2人でガンとなって、決めようって言って。お客さんはあのときに10人ぐらいしかいなかったよね、確か。で、映像撮っているから、その10人カメラ前に集まってくれ、いっぱいいるように見えるから、ってぐらい、全く知名度ない無名のバンドだったけど、それをテーマソングにして。だったら自由に組もうというんで、1話から10話まで全部テーマソングのアレンジを変えてもらって。最初はアカペラ。だんだんとベースが入ってきて、みたいなことを10話分作ってもらったりとか。

自分で自分の作品の中に何か音楽を入れようと思ったら、もちろんレジェンドの力を借りるってこともあるけれども、やっぱり自分の手で作り出したいっていうのはありますね。

笹倉:堤さんが考える音楽の役割というのは?

堤:これはやっぱり、魔法です。全くドラマ、映画の内容的方向性を変えてしまうぐらい力のあるものだと思っているし、特にテーマソング以外の、いわゆる僕らは劇伴と呼んでいますけど、BGMですね。BGMの力の大きさたるや、半端ないんですよ。特にテレビドラマは、ある時間の中で感情をこちらから操作していくというのも変だけど、ある程度の波にお客さんを持っていくためには不可欠のものだし。

笹倉:やっぱり音楽がないと。

堤;ないとダメですよね。簡単に言うと、ダメな芝居でも音楽によって何十倍もよくなるっていうことが、本当によくある。ある種の魔法ですね。

笹倉:作品を撮りながらも、ここには魔法が必要だみたいなものを考えながら。

堤:もう完全にはめていきますね。ここにはこういう感じって。最近ですと、音楽家を先に決めて、想定する感情のメモを渡すんですね。簡単に言えば怒りとか、スピードとか、嫉妬とか、困惑とか、混乱とか。それで1分ぐらいの、なんでもいいんで手持ちの楽器、ピアニカでもいいので何かデザインいただけますか?って言って、で、それを撮影しながらはめていくんです。で、はまるものもあるし、はまらないものもある。はまるものはそれをまた音楽家へフィードバックして、すごく相性がいいので、これによって魔法のように芝居のテンポ感も出るし、それもうちょっと膨らましていきましょう、みたいなことはやりますね。

笹倉:撮影していく段階で、そのオーダーした素材が、怒りだったり喜びだったりっていうのが素材としてあって、それをリアルタイムではめていくっていう感じですね。

堤:そうですね。それが最近、5年、6年ぐらいの作り方。それより前はどうしていたかというと、坂本龍一さんの曲を勝手に使って、ほとんど坂本龍一さんの曲でいいのを選んで、大体フラワーイズ・ア・ノット・ア・フラワーとかああいうのばっかりなんだけど、それで現場で編集したものをより雰囲気を出して。なんでそんなことしているかっていうと、オーダーしてくれたプロデューサーとか、演じてくれている俳優さんに、僕の映画はこういうことなんだよ、というのをあまり言葉で説明することなく見せたいので、そういうやり方をしていますね。

笹倉:映像に音がついているもので判断してもらうっていうことですよね。

堤:そうです。

笹倉:音楽の力っていうのはかなり大きいんですね。

堤:ものすごくでかいですね。だから、テレビだとMAって言います。映画だとダビングって言うんですけど、特に映画のダビングっていう、音、音楽、効果音の処理。一番最初はセリフ。セリフを均等にきれいに整音していく。それから音楽を選曲して、編集して入れていく。それから効果音を入れていく。この3種類の作業をほぼ同時に、映画だと4、5日かけて。昔は本当に1ブロックずつ、10分ずつぐらいやっててえらい時間かかって。今はもういっぺんにやるんですけど。それがさらに最近だと、置き位置ですね、5.1、6.1チャンネルっていってスピーカーがいっぱい、左右にサラウンドとしてあって、どこからその音が出るかっていうところまで考えて作りますね。だから音楽は上下の真ん中のスピーカーを中心に鳴らしてもらって、ちょっとウーハー強めにしてもらって、セリフはど真ん中に、割と細めで入れてとかっていう、立体音像として作っていくことは多いです。テレビはそこまでしない。逆にテレビはがちゃがちゃっていっぱい音を入れたら、1回忘れよう。で、この編集室にある古いテレビの、この小さいスピーカーで聞こう。なぜならみんな多分スマホでしか見ないから、っていう判断で、逆にこっちはガッとオペレーションして、想像力思い切り詰め込んだ音と音楽を、一番環境の悪い状態で聞くっていうことはやりますね。

笹倉:音楽制作とちょっと似ていますね。最近はスマホで聞く人も多いし、パソコンでしか聞かないとか多いですからね。その制作の現場の機械とか、技術的なスペックはどんどん変わっていくじゃないですか。で、僕面白いなと思ったのが、監督がモニターを見ながら、実際に演者さんに見せて指導するみたいな方法を取ってらっしゃると思うんですけど、それって最初に思いついたときというのはどんな感じだったんですか?

堤:一番最初に思いついたのは、アメリカに行って、90年代かな、うろちょろしていたら、ウディ・アレンの撮影をたまたま公園でやってて。で、日本の撮影みたいに、入っちゃダメです、とか、見ちゃダメとか、写真撮るなみたいなのはない。もう本当に市民の中で、ワシントンスクエアみたいな広場で、ぐちゃぐちゃとやっているわけです。でも向こうは権利に厳しいから、映っちゃった人は全部20ドル払っていくんだけど、やっぱりすごいことやっているんだなと思って。で、ウディ・アレンは真ん中でアーミーの服来て、あ、本物だ、いつも同じ格好しているんだな、と思って。いや、役の衣装かな?とかって考えて、ふと見たら、アナログ時代なのにパソコンで編集してる人がいて。パソコンそのものも珍しかったです。何してるんだろう?って見たら、映像を編集しているんです。

で、フィルムで撮っているカメラの、覗きのレンズの、こういうのあるんですよね。そこから電気信号に変換して、白黒の画面にしたやつを、当時ビジコンって呼んでいただけども、それを編集しているわけです。で、たまに監督がふっと見に来たりする。すごいなと思って。よくよく調べたら、コッポラさんとかは割と普通に、車1台それ用に作ってやっていたりとか。アメリカじゃ普通なんだと。なんとかそれを日本で導入したいなと。それを日本で導入すると、自分の確認っていうのもあるけれども、俳優や周りの人々に見せる、伝える。最初は何やっているか分からないわけだから、そのために必要だなと思ってやり始めた。

笹倉:そうなってくると、演じる人の動きとか全然変わってきますね。

堤:変わりますね。これでいいんだとか、まだ足りないなとか、もっとブチ切れてやったほうがいいんじゃないですか?

笹倉:リアクションがその場で分かりますもんね。

堤:そうそう。そういうことに役に立ちますね。前のめりにしていただくというか、なってもらう方法論の一つとしてある。

笹倉:録音のあれと似ているなと思って。モニターできないと、昔は本当にライブのダイレクトカッティングだったじゃないですか。だけどだんだんその技術が進歩していって、演者が実際何をやっているか確認ができるようになったということで、みんなどんどん上手になっていくというか。だからなんかそれと似ているな、なんて思っていて。

堤:音楽って、ディレクターと言っていいのか、プロデュースの人と言っていいのか、ミュージシャンと言っていいのか、あるオーラの中にくるまれるのが曲のあり方だとずっと思っていたんだけど、例えば極端な例で言うとユーミン。荒井さんの頃の、例えば「ルージュの伝言」。あの人は、ってやつね。あの大ヒット曲は、もうそういうもの。ある種のランドマーク的というか、広告的っていうか、それで頭の中に入るじゃないですか。ところが最近出た「ユーミン万歳!」っていうアルバムが、リマスターっていうか、ミックス変えているんですよね。それを大音量で聴いたら、自分の思っていた、誰かの概念の下まとまっているんじゃないというのが、ミュージシャンの方はダイレクトに伝わると思うけど、全部聞こえるんですよ。細野さんのベース、茂さんのギターとかね。全部聞こえるわけ。かつ、コーラスが匿名的ではないわけ。吉田美奈子の声がそこに入っている。達郎さんがいるんですよ。このミキサー、すごいな、結構好きなんだな、って。松任谷さん本人なのかどうか知らないけど、ほぼ前編に渡ってそれをやっているんですね。かなり概念が変わりましたね。

笹倉:でもやっぱりマスターの状態がよかったですよね。録り音とかもう多分当時の、よかったんだと思います。今はデジタルの中で編集されちゃっているから、めちゃくちゃトラック多すぎて訳わからなくなっちゃったり。多分あの頃16とか32ぐらいなんで。

堤:24の始まりって言ってましたね。

笹倉:そこに全部入っているわけですもんね。

堤:よかったですよ。感動しました。

笹倉:それで、どんどん技術が進歩していくじゃないですか。今最近5.1チャンネルとか。でも結局iPhoneチェックみたいな。今の現場の中で当時のような新しい革新的な何かがあるとしたら何ですか?

堤:それはもう、実は今、スーパーサピエンスっていって、本広さんとか共テレの佐藤さんと今始めてるんですけど、NFTで映画作るっていう。コロナで自主映画しかできない。でも無名の女優たちが頑張って、そこにある「truth」っていう半分エロ映画みたいなのを作ったんですけど、面白がって、何の制約もない、コンプライアンス無視で作った。ところが世界8カ国で賞を取ったんですよ。え?俺普通に何億円も掛けて映画撮ってて、1個も取ったことないのに、文化庁の600万だけで作ったんですね。っていうまず成り立ちの問題で、プロアマ意識の壁が完全に崩れた。やっぱり意欲のある者が面白いものを作れるっていう最も原則的なことが分かったということが一つ。

 それから、デジタルの映像技術の皮切りって、ほぼほぼ僕らだったりするんです。ハイビジョンのシステムができたとき、それこそニューヨークに2年ぐらいいて、ずっとNHKが開発したカメラを使って、限界までそれをいじめるっていう仕事をしていたんですね。で、そこから戻ってきて、ドラマがすぐハイビジョンになり、カメラがどんどん軽量化し、逆に言うと、レンズは映画に近づき、信号はデジタル化するっていう、今大変アンビバレンツな状況になっている。光学とデジタルが一つになっている。だから最近のドラマを見ても、なんかちょっと狙ってる深さみたいなのがどの作品にも出ていて。自分も、あまり好きじゃないんだけど、そうしていって、質を合わせていくみたいなことになってて。これ、始めたの俺なんだよな。要するに何が違うかって、ドラマって30フレーム、1秒で30コマで撮るとあのピカピカのドラマの映像。で、24フレームで撮ると映画みたいになる。で、みんな映画に憧れて、デジタルが映画寄りに近づいてきて、レンズが映画っぽくなって。でも撮っているのは、可変で60でも30でも20でも全部撮れるもので撮っているんですね。そうすると、初期の映画監督たちが追求していった、気持ちとか心とか、人間の情緒みたいなものを映像にしてきたことがすぐできる、誰でもできそうになっているんだけども、逆に遠ざかっているという、変なアンビバレンツな状況になっているというのにすごい危機意識を持っていて、いっそフィルムでもう1回撮ってみようかなという気持ちにもなっている。そう思ってそうやっている人たちもたくさんいるし、アメリカにもいっぱいいるんですね。というのが2点目。

 3点目は、そんなような思い込みは僕らがプロだから考えるわけであって、VTuberやらYouTubeの全盛期にあって、プロアマの意識どころか、そんなこと考えること自体ナンセンス。iPhoneあればあなたも映画監督っていう時代です。しかも、Tik tok風の縦の映像で表現しているLINE映画とかいっぱいありますし、本当にメディアが完全に民主化されている時代だと思うんですね。その中でわれわれ、たくさんお金をもらって作品を作っているプロはどうすべきかというのが、例えば「シン・ゴジラ」あたりにはその回答が1個ありますね。iPhoneで映画作っているパートもあるし、CGで作っているパートもあるし。だから、そういういろんなことをみんな試行錯誤し、でも手書き風のアニメに勝てないとか、非常に悩み大きい時代ではある。だから本当に最もアナーキーな、映像表現においては混沌とした時代なんじゃないかって思いますね。もうそうなると、自主映画と一緒で、革新とか、私はこれが好きなんだということしかないんですけどね、結論としては。でもそれを最適化するテクニックというのは、無限に選択肢があるがゆえに、はて困りものだな、というのはありますね。

笹倉:確かに選択肢があるというのは逆に酷でもありますよね。でもはっぴいえんどのとき、最後に、もう何十回もやったじゃないですか。で、最後に何をやるのかなと思ったら、スタッフが全員iPhoneで撮ってたじゃないですか。なんかiPhoneに囲まれて、すごい下からiPhoneで来るし、みんなウロウロしてて。

堤:あれ、我慢してたんです。通常ビデオクリップを撮るとき、ああいうことばかりしているわけです。ひどいときは200人ぐらいが同時に撮っている。この間撮った嵐の、これ127カメですけど、結構しょっちゅうやっているんです。でも、はっぴいえんど撮るから、当時風は距離感がないとダメだっていってずっと我慢して、後ろだけとか、横だけとか。当時もしはっぴいえんどのフィルムがあったらそうだろうっていうのを想定して撮ったら我慢できなくなっちゃって。

笹倉:でもあれが今だからの、当時を完全再現したけど、今のニュアンスが入っているっていうのが、今お話を聞いて納得いきました。ありがとうございます。

堤:それで、イベントに向けて映像を作っておくんですね。

笹倉:今回作品のテーマとしては、日本の文化とか、特にフォーク、民族性だったりっていうもので、今回僕の中で、フォーク・アンビエントっていうカテゴリーを、フォークロックとかあるじゃないですか。で、設けさせていただいて、アルバム発売させていただいたんですけど、今回堤さんとイベントをやるにあたって、日本の50音。あいうえお50音をテーマにして、要するに50音全て使う。はっぴいえんどでも「愛餓を」ってあったじゃないですか。あれは「あ」から「ん」までずっと行くんですけど、僕の場合は、「あ」から始まって、「あうん」ってあるじゃないですか。「うん」で終わるってことだけ縛って、そのあとは全部50音を使って一つの作品にしたいなと思っているんですよ。

堤:即時的に言えば文字が映っているっていうことですか?いろんな仕方で「あ」だの「い」だのを拾ってきて。かつて東京百景というテーマでタイトルバックを作ったときは、世の中の丸いものを全部同じ大きさにして、それはミリ単位もあれば何百メートル単位もあるものを、全部丸だけを撮ったということありますけど、そんなイメージですかね。

笹倉:そうですね、まだ曲もできてはいないんですけど、堤さんに映像を作っていただくにあたって一つテーマとして50音を掲げてはいるんですが、これは曲が先にあったほうが。

堤:まあやるならそのほうがありがたいですけど、せめてメロだけでも。メロというかコードだけでもあるとうれしいかな。

笹倉:堤さんの中で日本の文化とか民俗分野で影響を受けたものってあったりするんですか?

堤:一番大きいのは縄文ですね。縄文と言うと、皆さん土器しか浮かび上がらないけど、縄文って何万年もありますからね。弥生時代は何千年だけども。要するに、スーパーサピエンスというのもそうだけど、人類とは何かというところで、今こうやって文化文明でこんなことになって、地球の支配者みたいにふんぞり返っているけど、地球と上手くやってたのは縄文時代。もっと言っちゃえば、世界中ホモ・サピエンスが20万年ぐらい前に出来上がって、火を使い、犬を使い、耕作みたいなことを始めるまでが一番地球と上手く付き合っていた長い時代ですね。

 で、同時にそのときはネアンデルタール人とかデニソワ人とかほかにもいっぱいいて。でもそいつらを物理的にやっつけたり、あるいは交わったり、あるいは食糧の取り合いしてこっちが勝ったりとか。そのために犬って重要なんですけど。みたいなことで、実は生々しい、肉肉しい時代ではあるが、地球との暮らし方という意味では一番平和な時代。それが日本における表現が縄文時代。で、そこに岡本太郎さんとかも、みんな何か命の息吹を、三島由紀夫とかも、命の原初的なあり方、理屈じゃない人みたいな、動物としての人みたいなところを見ているというところが一番興味深いところですね。青森とか佐賀県とかに、吉野ヶ里遺跡とかあるけど、見に行くのが大好き。

笹倉:その頃って言葉とかってどうなっていたんですか?

堤:言葉は今の言葉ではないけれども、発声が違うと思うんですね。ただ人間は言葉でネアンデルタール人とかに勝っていたっていうんだけど、コミュニケーション伝達能力でもって。でも実はそうじゃなかったみたいなんだね。目、アイコンタクトができる動物だったから、目で見れば大体怒っているとか、やばいこと言っちゃったな、ってあるじゃないですか。人間と犬がそれができる唯二の動物らしいです。だから犬は友達になれた。といっても彼らは本能で、飯を食うために育っているんだけど、われわれも飯を食うためにお互いを、距離感を見計らうんですね。

 だから、言葉よりも先に目ありきなんだけど、さらにその補助表現として言葉ができたわけですが、縄文時代は何らかの言葉、確実にあったと思うんですよね。それを記録して残すっていうのが、さらにそのあと、1万年、2万年かかるとりと思うんですけど、全然別にその和の者という意味で言うと、縄文時代というのは自分の中では大きいテーマではありますけれども、でも昭和の町並みは自分が暮らしてきた時代だから、そのへんはわざわざ、ちょっと時間あると中野の裏のほう行って探したりとか、玉川上水の取水口、羽村の取水口とか、わざわざ見に行ったりとかね。そういうことしますね。

笹倉:僕が今のお話聞いて思ったのが、縄文とか、要するに人間の元祖みたいな時代から、言葉もなくて。で、ずっとその言葉を作り上げてきたじゃないですか。だから、名前のないものに名前をつけて言葉を作ってきた時代があって、恐らく昭和とか近代というのは、全てのものに大体名前は付き終わった時期だと思うんです。で、今は名前のないもの、見つかってないものはたくさんあるんでしょうけど、名前がないものっていうのはほとんどなくなってきて。そうなってくると、逆に意味をずっとつけてきたからこそ、意味のないもの。例えばアンビエント的な、要するに環境だったり、感じるものみたいなものに人間自身が回帰しているんじゃないかなっていうのは思っていて。僕がフォークとアンビエントをくっつけたっていうのも、人間とそのアンビエント感というのが、ずっと独立していたものが1回交わって、今度はもうちょっと感じる時代だったりとか、逆戻りしていくような、混沌としたものになっていくような気がして。今回その50音というものに関しても、まだ構想段階なんですけど、意味のある言葉にしてくのか。

堤:ああ、意味のないほうがなんか面白い気がする。

笹倉:音だけを使って、縄文人の言葉じゃないけど、そういったものにしていくのかというのは。 

堤:ホーミーみたいなのと近いっていうのは聞くけど。自分なりに1回作りますんで、それを先に見てください。なんとか頑張って1回作らせてもらって、それは写真になるのか動画になるのか分からんけど、1月の20日ぐらいまでには何か1回作りますので、それを見てもらって、もうちょっと攻めてくれとか、何かリアクションいただいて。で、例えばそれを作った曲に対して今度は編集のリズムを変えていったりはもちろんできるようにはしておきますので。今聞いた話ならなんとなく見えてくるとは。映像にします。

笹倉:ありがとうございます。では、今日は堤さん、本当お忙しい中ありがとうございました。

堤:とんでもございません。楽しみです、とても。

笹倉:めちゃくちゃいいお話いっぱい聞かせていただいて楽しかったです。じゃあよろしくお願いします。ありがとうございます。

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