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文化部の意義について

 スポーツを扱った雑誌Numberのウェブ版に「令和の部活事情「帰宅部が1番人気って本当?」「部活でサッカーやるのはカッコ悪い」イマドキ中学生の本音」という記事が掲載されていた。(※1)記事の内容としては、本当にスポーツで技術を磨きたいと考えている生徒は運動部に入部せず、地域のスポーツクラブに加入する傾向にあるという記事であった。技術を磨くのであれば、一部の私立の強豪校は別としてノウハウを知らない顧問が当該運動部の指導を行うよりも、その道の専門であるスポーツクラブに加入したほうがいいのは自然の流れである。

 学校の部活動は生徒、教師に負担のない形での活動にするべきことは前々から指摘されてきたところではあるが、OBや当該運動部に参加している生徒の一部の親などから運動部での活動強化の声が強いこと、またそれらに同調する教師がいるために部活動のあるべき姿が歪められているのが実態であり、私がnoteに掲載した「緊急投稿-部活至上主義は知性と個性を否定する-」(※2)でもそのことを述べた。生徒にとっても教師にとっても部活動に時間を割かざるを得ない状況というのは負担でしかない。しかし、それでも部活、とりわけ運動部での部活動を熱心にすることがいいことだという雰囲気があることは次のことからもわかる。

スポーツチームは、選手個人の技量をアップさせ、試合で結果を出させることが目的のはず。だが、学校の部活においては、そこに加えて教育的効果が求められるのだ。高校時代にハードなスポーツ部活を経験してきたという教師は、その効果をこう解説する。
「苦しい練習を共有することで得られる仲間との連帯感、そんな仲間と試合を勝ち抜いた喜び。そうした思春期の経験が、わたしの人格の大部分、8割くらいを形成してくれたと感じています。だから学校教育のなかでスポーツをする意義は大きい。校務がどんなに忙しかろうと部活の指導は手を抜きたくないし、生徒にとっても部活は貴重な場ですよ。その点で、週イチ程度の活動しかしない文化部は、わたしから見れば実体としては『隠れ帰宅部』みたいなもの」(前出、神奈川県中学教師)(※3)

 ここで引用をした中学教師は自身の高校時代に運動部で苦労をしてきたことへの郷愁と相俟って、運動部での指導を教師が行うことを称賛するとともに、文化部を「隠れ帰宅部」と揶揄する態度を見せている。部活動への入退部は生徒個人の判断によってのみなされるべきものであり、部活動に参加をしないことを軽視する態度が教育者として問題であることはもちろん、文化部を蔑視する発想も、文化部が生徒が自己表現の場としての活動の場であるということへの無理解の表れであると言える。

 文化部には、吹奏楽部、軽音部、美術部、演劇部、新聞部(※3)、文芸部、弁論部などがあるが、自己表現をすることは時に社会や自分のコミュニティーである学校に対しての批判的洞察をする可能性を秘めている。したがって、これらの部活動がない、もしくは活発ではない場合、その学校は管理教育の傾向にあるか、生徒の活動自体が不活発である可能性がある。批判的考察、主体的な活動がない社会は低迷の道をたどる。その意味では自己表現の場が提供する文化部が軽視されることは大きな損失となる。

 私の中学校時代は運動部の部活が圧倒していたのに対し、文化部の部活が少なく、またそれらの部活はほぼ女性が占めていた。しかし、そうした中にあって演劇部に唯一の男子生徒の部員がいたのを覚えている。その人は私が1年、2年のときの文化祭で演劇部の演劇に出ていたので、私よりも1学年上だったものと察する。その人の演技は人を惹きつけるものであったし、決して演劇を軽視していたわけではないと感じた。女性しかいない中で男性がそこで活動をすることはプレッシャーを感じさせるものがある。まして中高生であればなおさら感じることだろう。しかし、そうした中にあって演劇部で演劇をしていたということはその人は本当に演劇が好きだったから、本当に好きなことのためにプレッシャーを乗り越えたと言えるのではないか。

 しかし、文化部活動を軽視し、文化部活動が衰退することになれば、おそらく中学校の文化祭は合唱コンクールの競争の場でしかなくなり、生徒が自身の表現を活かす場としての発表の機会が奪われることになるだろう。また、高校の文化祭でもパフォーマンスを中心としたイベント中心のものとなり、自己表現の場としての意義がなくなるのではないだろうか。

 技術を磨くために運動部でなく、地域のスポーツクラブに入る生徒が増えることを嘆くのであれば、むしろこれを運動部、文化部とも部活動の意義を改めて考え直す機会として考え直してはどうだろうか。非合理的な苦労それ自体を意義があるものとする倒錯した思考ではなく、何のために部活動があるのかを考え直し、それを実行することこそが本来の部活動の再生につながるものと考える。

皆が集まっているイラスト1

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(※1) Number 2021/05/31 17:05 沼澤典史

(※2)

(※3) 前掲

(※4) なお、校内活動の一環として広報委員会というものがあるが、広報委員会は広報という点では生徒に対して「お知らせ」するという形をとる傾向にあるに対し、新聞部という場合部活動の一環となるため、校内活動に対しては相対的な関係にあると言える。余談ながら筆者の高校時代の部活動は新聞部である。

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