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戦後世代は戦争にどう向き合うべきか-家永三郎「戦争責任」より-

 本記事は、明日8月15日を迎えるにあたって、家永三郎著「戦争責任」の第4章「日本国民の戦争責任はどのような点にあるか」のうち、第2節「「戦争を知らない世代」にも戦争責任はあるか」の部分に関する勉強会でのレポートを再編成の上、掲載するものです。

1.はじめに

 日本国民の定義だが、家永三郎の言葉を引用すると、

本章で言う日本国民とは、植民地住民であった人々を除く、内地出身の日本人、法律的には当時の戸籍法上の適用を受けた日本国民(※1)

とあり、この定義を前提とした人びとの戦争責任について言及することが第4章第2節のメインとなっている。第2節はページ数においてP337からP341とごくわずかであるが、戦争を知らない世代、いわゆる戦後世代の戦争責任について言及しているところがあり、戦後70年を迎えた現在(※2)、戦後世代が大半を占める状況において、戦争についてどう考えるかを考えることが今日的課題と思われるので、戦後世代の識者による戦争責任も踏まえ述べたい。

2.戦後世代の戦争責任の是非を考える

 家永の真摯な思いを踏まえると、戦後世代である私が戦争責任を考えるには厳粛な気持ちにならざるを得ない。家永は戦後世代にも戦争責任がある根拠として以下のことを述べている。

純戦後世代の日本人であっても、その肉体は戦前・戦後世代の日本人の子孫として生れたものであるにとどまらず、出生後の肉体的・精神的成長も戦前世代が形成した社会の物質的・文化的諸条件のなかでおこなわれたのであった。(略)たとい戦後の激変した諸状況に、あるいは自分たちの戦後での新しい創造的努力にそれぞれよって獲得した戦後の要素がどれほど大きかろうと、それらも戦前からの遺産を基体とし、あるいはそれを改造したり変容させたりして形成されたものであって、戦前世代から相続した遺産とまったく無関係に戦後に別天地から飛来したものではない。 (※3)

 そのうえで、戦前世代の遺産の上に成り立っているシステム、財産、利害などの資産だけを得るのではなく、占領地、植民地の人々や資産等の損害という負債も負うということで

戦前世代の遺した責任も当然に相続しなければならない(※4)

としている。

 この部分について、高橋哲哉は「歴史/修正主義」(岩波書店)の中で次のような見解を述べている。

戦前・戦中世代が行った侵略や戦争犯罪の直接の責任―罪―が「自動的に相続される」と考えることは無理がある。戦後世代の「日本人」は、戦前・戦中世代の「日本人」が侵略や戦争犯罪の「行為」をなしたがゆえに負うこととなった「罪」そのものを、「自動的に」引き継ぐことはできない。「罪」を負うのはあくまで、その「行為」を行った当人―戦争指導者や、戦争犯罪の責任者、実行者など―でしかありえない。戦争宣伝や戦争協力といった「行為」の責任も、それらを行った人々自身が負うべきものであり、戦後世代がそれを「自動的に」引き継ぐことはできない。(※5)

私には高橋は「自動的に引き継ぐ」という表現に対して違和感があるように感じた。家永は別のところで、この考え方は封建的な連帯責任だとの意見に対し、

国家・民族という単位での集団生活が現在ではいまだ大きな比重を保っていて、家族・地域共同体・職場・有志集団などからの離脱と同様に国家・民族から離脱するのは容易ではない。国家・民族に所属する一員として世界人類社会に生きているかぎり、国家・民族が集団として担う責任を分担する義務を免れない(略)個人の独立が強いからこそ、その責任を個人の自発的意志により進んで背負うのである。(※6)

と述べている。この部分について、人によっては国家有機体論をイメージするとして、反論をする余地はあるのかもしれない。だが、高橋の批判の趣旨はそうした批判ではない。戦後世代の責任と、戦前・戦中世代の行為に対する責任は同じという主張に対して批判をしているわけである。しかし、本文を読んでいると、直接の責任-罪-、を負うという表現やそれを意味すると判断される文章の根拠が、私が引用した高橋の文章からは感じられなかった。また、直接の責任すなわち罪とする根拠もわからなかった。私が高橋の文章を誤読しているか引用の仕方が不適切なのではないとすれば、根拠なく主張をするのには私は同意できない。(※7)

  私は、家永は、国籍の離脱をはじめとした日本の国家からの保護、帰属から離脱している日本人については責任を除外しているものの(※8)、 日本国家に属するために利害を得ている日本人は戦後世代の人間であっても、その利害が占領地や植民地の人々の犠牲によって成り立っている側面がある以上、その犠牲に対する責任を負うべきなのだと立場なのではないかと考えた。そして、この本を著述した1985年段階において、すでに2015年の今日(※2)における戦後世代が戦争責任を問われることの忌避感情を察知し、そうした忌避感情に対する戒めの文章だとも言える。現に、従軍慰安婦と称されているwartime sex slave=戦時性的奴隷者であることを余儀なくされた人々や支援者が日本の国家及びそれを追認する日本人に対する批判、責任を問題とするデモ、抗議を行うことに対して、いつまで言い続けているんだ、いい加減にしろとうんざりした様子で会話している若者らがいるという事実がある。その言葉から判断するに、家永の

日本軍の残虐行為により殺された人々の遺族や傷つけられた人々の遺族や傷つけられた本人に出会ったときに、自分の生まれる前のできごとだから自分には何の関係もないことであると、あたかも第三者のような顔をしてすませられるであろうか、すませられる人があるとしてもそれでよいものであろうか。(※9)

との問いかけに対し、残念ながら第三者のような顔をしてすましているという現実があると言わざるを得ない状況にある。

 この若者らの会話には当然自分たちが国策に追随することによって得ている利益があることを自覚はしていないだろう。したがって、徐京植の

日本国民の皆さん、自分はたまたま日本に生まれただけであって「日本人」であるつもりはないとか、自分は「在日日本人」に過ぎないとか、どうかそんな軽口は叩かないでいただきたい。あなた方が長年の植民地支配によってもたらされた既得権と日常生活における「国民」としての特権を放棄し、今すぐパスポートを引き裂いて自発的に難民になる気概を示したときにだけ、その言葉は真剣に受け取られるだろう。そうでないかぎり、「他者」はあなた方を「日本人」と名指し続けるのである。(※10)

という言葉を聞いたとき、おそらく文章の背景を理解せずに、従軍慰安婦にされた人々や支援者に対する同様の、最悪の場合は徐が日本人ではない、それも直接日本から被害を受けた当事国の民族というべきか、一民衆というべきか、というそれだけでそれ以上に、感情的な反発をすることだろう。 (※11)高橋や徐の戦争責任に対する理念や思想はそうした感情的な反発に対してそれでいいのかという提言(高橋の表現を借りれば応答可能性としての戦後責任)なのだが、そもそも最初から自分とは関係がないと他人事のように考える人は、そうしたことを聞きたくもない、面倒くさいから考えたくもないという気持ちが優先されてしまう。したがって、同意するかどうかは別にして、一度そのことの是非に対して立ち止まって考えてみようという発想ですらその人たちにはない。そして、他人事のように無関心でい続け、やがて忘れてしまうのである。だから今日の事態は深刻と言わざるを得ない。(以上。敬称略)

3.解説  

 いかがだったでしょうか。文章が普段よりも長く、難しい表現が使われているために読むのに大変だったかと思われますが、結構大切な部分なので語句や言い回しを修正したほかは敢えてそのまま掲載しました。

 「戦争責任」の著者である家永三郎氏は教科書裁判で有名な元東京教育大学の教授でした。氏が教科書裁判を起こすことを決めた背景にあるのは二度と戦争を起こしてはならない、あの時代を繰り返してはならないという想いにあると言えます。

 今回紹介した「戦争責任」は、満州事変から無条件降伏までの十五年戦争における戦争責任について、昭和天皇も含めた指導者層の責任、当時を生きた一般の民衆、今回紹介した戦後世代の戦争責任、連合国の日本に対する責任などに言及した上で、戦争責任の追及のあり方および将来どのような形で追及がなされるべきかが記されています。戦争責任を追及することについて氏は次のように語っています。

戦争責任の追及は、徒らに国家または個人を非難して快しとするものでないのはもちろん、復讐のためでも、被害感情の発散のためでもない。今日および将来において、かつてのような、否、むしろ過去のそれとは比較にならない悲惨きわまる状況の再現するのを防止するためである。(※12)

ここからも氏の不戦、戦争を止めることができなかったことへの反省の意志が表現されていることがお分かりいただけるかと思います。今回のレポートはそうした氏のスタンスを踏まえて書いたのですが、いかんせん拙さは否めません。皆様の建設的なご意見、ご感想をお待ち申し上げる次第です。

今回紹介した本

皆が集まっているイラスト1

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1) 家永三郎「戦争責任」岩波書店 P297

(※2) このレポートは2015年1月17日に報告した

(※3) 家永「前掲」 P338

(※4) 家永「前掲」 P339

(※5) 高橋哲哉「歴史/修正主義」岩波書店 P10

(※6) 家永「前掲」 P340

(※7) このほかに、高橋は「歴史/修正主義」(岩波書店)の中で、家永が記述した「純戦後世代の日本人であっても、その肉体は戦前・戦後世代の日本人の子孫として生れたものであるにとどまらず、出生後の肉体的・精神的成長も戦前世代が形成した社会の物質的・文化的諸条件のなかでおこなわれた」((※3)を参照のこと)について、血統主義的で本質主義的であり、帰化による日本国籍取得者の視点がないという批判をしている。しかし、私が引用した(※1)の部分を踏まえると、家永の定義する戦後の日本人とは、戦前・戦中の内地出身者の日本人の子孫を対象としたものと解釈するのが適当ではないかと考える。
 高橋の解釈を好意的にするとすれば、内地の日本人だけを前提にするという考え方は帰化による日本人や将来的に移民によって日本人となるだろう人々の存在を捨象しているという批判なのかもしれない。しかし、家永の日本国民の定義というものがどこにあるのかということを踏まえないで、血統主義、本質主義的との批判を行うのは、私には読者に家永を誤解させることになるのではないかと考える。

(※8) 家永「前掲」 P341

(※9) 家永「前掲」 P338

(※10) 徐京植「半難民の位置から-戦後責任論争と在日朝鮮人」 「日本人としての責任」をめぐって 影書房 P80

(※11) 徐のこの発言の念頭にあるのはおそらく進歩派の中に潜む責任転嫁に対する批判の意味合いがあるだろうが、日本人の民衆に対しても姿勢としては変わらないものがあるのではないかと考える。

(※12) 家永「前掲」 P435

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