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「世界史的立場と日本」(1943年 中央公論社)に関する考察-補足説明編-

 太平洋戦争をはじめ十五年戦争を正当化した京都学派四天王の座談会「世界史的立場と日本」に関する考察です。前編では、ロシアのウクライナ侵攻を正当化したアレクサンドル・ドゥーギンと京都学派の論理構成が九分九厘同じであるという観点から「世界史的立場と日本」を考察しました。(※1)中編では、京都学派四天王における人種主義的な価値観の問題性を紹介しました。(※2)後編では、自由と個性の否定を京都学派四天王がどう論理づけたかについてご紹介しました。(※3)

 今回は「世界史的立場と日本」の背景について学習会で指導の先生(以下「指導教授」)からの解説を踏まえての補足説明となります。

はじめに

 3回に渡って「世界史的立場と日本」に関するレポートを皆さんと考察してまいりました。序文を除いたこと、語句や不自然な言い回しなどを一部修正したほかは当時のレポートのまま作成しました。内容的に拙い部分が多いと感じさせられますが、誤字脱字や文脈がおかしい点などを修正した以外はレポートのまま敢えて掲載させていただきました。

 私の掲載の趣旨としては、私の拙いレポートよりも引用した「世界史的立場と日本」の内容を通して、当時の知識人がどのようにして戦争を正当化したのかということを皆様にご紹介したいというものでした。ただ、それだけでは当該座談会が行われた背景、内容について専門家などはどう考え、どう批判をしたのかを伝えて切れていないと思いました。

 そこで3回だけで終わる予定だった「世界史的立場と日本」について、学習会の主催者である指導教授からの解説レポートを踏まえた補足説明をさせていただくこととしました。

戦後の研究家による「世界史的立場と日本」に関する見解

 今回取り上げた「世界史的立場と日本」の参加者については戦後様々な層から批判的な考察がなされました。竹内好は、京都学派のイデオロギーは戦争中の国家思想を祖述した国家イデオロギーの代弁であると評しています。また、広松渉は、高坂正顕がヨーロッパ世界史を中心とした世界観に代わる新たな世界観を創出する戦争として、太平洋戦争を大東亜戦争と称して正当化したとして、枢軸国の戦争を正当化したものとしています。

 これらの見解に対して京都学派に属する田辺元、高山岩男に師事した大島康正は米内光政系の海軍と京都学派の新人グループの結びつきに言及した上で、座談会の目的は陸軍に道義的責任を感じさせることで戦争を速やかに終結することにあったと主張しました。大島は、座談会では「外観的に帝国主義的にみられる不透明さがあった」といった発言も出ていたとして、当時としては極めてきわどい発言もあったと主張しました。

 ただ、指導教授は日本の中国への侵略について「外観的に帝国主義的にみられる不透明さがあった」という程度では帝国主義的行動を認めたわけではなく、それでは座談会のメンバーも陸軍と五十歩百歩の違いでしかないとの見解を示しています。また、後述しますが、高坂正顕は戦後、偏狭な軍部、当時ショービニズムを否定しようとはしたが、きちんと否定しきれなかったと自省しています。

高山岩男、鈴木成高、西谷啓治の対中観

 高山岩男は満蒙権益(※4)は日本の生存に重大な意義があるが、中国が満蒙権益を蹂躙したこと(※5)が満州事変の原因であるとしています。また、満州事変に基づく満州国の建国を英米が国際連盟を用いて圧力をかけたことにあるとの見解を示したうえで(※6)、日中戦争を事変(戦争ではない)とみなしつつ米英に対する闘争であるとの見解を示しています。そして高山は、日本は中国と提携をした上で米英などに代わる世界新秩序の建設に協力するべきと結論づけています。

 また、鈴木成高、西谷啓治についてですが、鈴木が「世界史的立場と日本」の中で、日中関係について「生存圏」(※7)の論理を持ち出す形で中国を日本の生存圏とみなしています。西谷も鈴木に同調して中国の存在は日本の生存の安危にかかわる関係と述べて日本の中国侵略を否認しています。(※8)

座談会参加者の戦後とそれに対する課題

 指導教授は、戦後においても「世界史的立場と日本」の座談会の参加者は、高坂正顕以外は自身が行った発言についての批判、反省はなかったとしています。高坂については、自身は偏狭な軍部やショーヴィニズムには反対し戦争を道徳化しようとしたが、戦争自体を否定していない態度をとり、否定すべきものにも十分に否定していなかったとして旧日本軍の軍国主義、全体主義的体質を批判しきれなかったことについては自身の責任を認めています。ただ、指導教授は高坂についても満蒙権益を日本の既得権であるとして正当化したことへの反省がないのではとの指摘をしています。

 文化人、知識人はいつの時代においても自立性を保たない限り、権力の行いを正当化する手段と化するのだということをアレクサンドル・ドューギンについても、京都学派四天王についても感じます。だからこそ知的権威とされる人たちの主張に対し、それを鵜呑みにするのではなく、主体的かつーもちろんメディアやSNSの受け売りではなくー批判的に考察できるかということの大切さを認識させられます。学ぶこと、教養としての学問に主体的に取り組むことが、市井に生きる私たちにも自分の身を守るために必要なのではないでしょうか。

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私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1)

「世界史的立場と日本」(1943年 中央公論社)に関する考察(前編)|宴は終わったが|note

(※2)

「世界史的立場と日本」(1943年 中央公論社)に関する考察(中編)|宴は終わったが|note

(※3)

「世界史的立場と日本」(1943年 中央公論社)に関する考察(後編)|宴は終わったが|note

(※4) 関東州における租借権(中国の主権が当該地では日本に貸し与える形で放棄されている)、南満州鉄道及び周辺地での日本の行政権独占による事実上の支配権、南満州鉄道に並行する鉄道敷設の禁止など、中国領でありながら事実上日本が主権を行使できる権益一般を指す。

(※5) 中国の立場からすれば、日本に奪還された主権を回復するための民族自決の一環であり、私個人は中国の立場には正当性があると考える。

(※6) アメリカは国際連盟未加盟国

(※7) ドイツ人の人口を十分に賄える食糧などの生産拠点を東ヨーロッパに求める必要があるとして、東ヨーロッパ、ソビエト・ロシアなどの侵略を正当化する根拠となった論理

(※8) 原文は以下の通り

「日本民族の生存というものが支那(筆者注:原文ママ「以下同」)の存在と結びついている。そこに何か帝国主義的でないある特殊関係がある。つまりそこに、今の僕らの言葉で言えば生存圏というものが、非常に原初的な形だけども出てきている、ということに着目されたんだと思う。そいつがだんだん拡がって日清・日露の戦役となり、今日の事態に及んできたものだと思う。それが日支の特殊関係・特殊地位の原理でしょう。ハッキリ言えば日清・日露の戦役は満州に対して日本の投資がなんぼだ、という有形のものにあるのではない。単に利権を擁護するために我々は満州を経営し満州国を創ったのではない。それが日本の特殊性なんだ」(鈴木成高の発言)

「日本と支那」「世界史的立場と日本」 P176

「東亜における日本の特殊位置ということが、非常に大事なことだ。英米の支那に対する関係は、畢竟するに経済的利害の関係を出でないが(注:原文ママ)、日本にとっては経済的と同時に、生存の安危にかかわる関係だ。そこには直接に国防的な意味も入ってくる。」(西谷啓治の発言)

「民族の倫理と世界の倫理」「世界史的立場と日本」 P184

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