太平洋戦争をはじめ十五年戦争を正当化した京都学派四天王の座談会「世界史的立場と日本」に関する考察です。前編ではロシアのウクライナ侵攻を正当化したアレクサンドル・ドゥーギンと京都学派の論理構成が九分九厘同じであるという観点から、「世界史的立場と日本」を考察しました。(※1)中編の今回は、京都学派四天王における人種主義的な価値観の問題性をどう論理づけたかについてご紹介します。
Japan as number one
引用
論文本文
日本がモラリッシュ・エネルギーを持つがゆえに主体的に先進地域である中国や欧米の文明を取り入れてきたという論理を前提に、日本こそが東アジア・東南アジアにおける主導権を確立するべきであるという論理展開になっている。そしてこの論理はそれゆえに日本は旧秩序を維持しようとする欧米との間で戦争を起こさなければならないと考える点で前編「世界最終戦争の夢」で述べた対外的野心の膨張による世界秩序の確立を目指すという考えとつながっているものがある。
そして大東亜共栄圏構想は、民族の主体性を認めたわけではない(※9)のだから、独自の文化や歴史を持つタイ人や中国人、アメリカに甘やかされていたと蔑視するフィリピン人などは半日本人化できないという理由から対象から除外し(※10)、日本人に都合のいいと考える民族(※11)を教育(洗脳?)することで東アジア、東南アジアを日本の支配下に置くわけであり、当事者にとっては受け入れられない考えである。
民族自決主義が建前論でしかないことを批判するが、現実と理念が合わないために植民地の民族が立ち上がるのが難しいのと、そもそも最初から理念が差別的であり、偏見に満ちたものであるために支配下にある民族が立ち上がることが難しいのとどちらのほうが支配下にある民族にとって希望が持てるだろうかと考える。少なくとも支配下にある民族にとっては、民族自決論を武器にして自分たちのことは自分たちで決めるというやり方を宗主国に認めさせるやり方のほうが結果としては望ましいと考えるのではないだろうか。
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いかがだったでしょうか。次回は京都学派四天王が個々人の自由、主体性の否定をどう論理づけたかについてご紹介したいと思います。
お知らせ
次回は都合により、3月12日日曜日の12時から16時に掲載する予定とさせていただきます。よろしくお願いします。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
脚注
(※1)
「世界史的立場と日本」(1943年中央公論社)に関する考察(前編)|宴は終わったが|note
(※2) 「世界史的民族と倫理性」藤田親昌編「世界史的立場と日本」P157~P158
なお、当時の旧仮名遣い、漢字表記の一部をひらがなに改めたほか、筆者による注釈を加える。また漢数字は算用数字に改めている。以下同じ。
(※3) 「民族圏としての大東亜圏」藤田編「前掲」P205
(※4) (※3)同P205
(※5) 「共栄圏の基本問題としての倫理」藤田編「前掲」P255
(※6) 「新しい日本人の形成」藤田編「前掲」P260
(※7) 「新しい日本人の形成」藤田編「前掲」P262
(※8) 「米英的自由の矛盾」藤田編「前掲」P351
note記事追記
イギリスが植民地独立に対して消極的な姿勢はケニアで独立闘争が起った時に蜂起した現地人を反乱軍とみなし、過酷な鎮圧をしたことに表れている。詳細は以下のyou tubeを参照のこと。ただし、それは太平洋戦争時における日本占領下のアジア諸国における統治において、日本人を指導的立場の名の下に特別扱いをしたのと対照的に現地の人々を二級市民以下に扱い、場合によっては暴力で不満を抑えるなどの行為が免責されるものではない。個別具体的な事例ついては家永三郎「太平洋戦争」第二編「第九章 「大東亜共栄圏」の実態」(岩波書店)を参照のこと。
A Very British Way of Torture | Featured Documentaries - YouTube
(※9) 高山岩男「米英的自由の矛盾」藤田編「前掲」P349など
note記事追加注釈
(※9)の注釈に関連する原文は以下の通り。
(※10) 「新しい日本人の形成」藤田編「前掲」P262
(※11) 西山啓治はマレー人、モロ族、台湾先住民を、鈴木成高はインドネシア人を半日本人として好都合とみなしている。(「新しい日本人の形成」藤田編「前掲」P262~P263)
朝鮮人については、P338西谷、P339高坂正顕を参照のこと。
note記事追加注釈
(※10)、(※11)の注釈に関連する原文は以下の通り。
〇 中国人、タイ人、フィリピン人をはじめとした諸民族に関する見解
〇 朝鮮人に関する見解