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「世界史的立場と日本」(1943年 中央公論社)に関する考察(前編)

はじめに

アレクサンドル・ドューギンの露宇戦争観

 先日、BS-TBSの「報道1930」を見ていたら、ロシア大統領プーチンの思想的基盤とされるロシアの極右思想家アレクサンドル・ドゥーギンがロシアのウクライナ侵攻に関するインタビューに応えていた。インタビューの中で、ドゥーギンはロシアのウクライナ侵攻を次のように正当化した。

「国民はこの対立の規模を理解し始めました。これは限定的な反テロ作戦や領土の統合ではなく、文明の戦いだということを国民が理解し始めたのです。特別軍事作戦の目的を国民も政府も理解している通り、多極世界の構築であり、ロシアは中国やイスラム諸国や南米諸国等と同様に独立した極になります。一極集中の世界と多極世界との戦いである長期的で大変な戦争に準備しなければならないということを理解したのです。」(※1)

国民はこの紛争、この対立の本当の目標を理解すればするほど、素早い勝利への期待は甘い考えだったことを理解し、一極集中の世界と多極世界との戦いである長期的で大変な戦争に準備しなければならないということを理解します。(※2)

(ロシアが)勝利するか、人類滅亡になるかの2択です。3つ目のシナリオはありません。勝利する以前の平和はありえません。(ロシアの)勝利そのものが平和です。ロシアが勝利してから、平和になります。ロシアが勝利しなければ、終末の日(最後の審判)が訪れます。(※3)

西側陣営に所属する日本に住む私たちは、このドゥーギンの発言をロシアのウクライナ侵攻を無理やり正当化する開き直りと感じることだろう。しかし、このような(疑似)文明論によって戦争を正当化したのはドューギンだけの十八番ではない。1931年の満州事変から始まる十五年戦争を、京都大学で教鞭をとっていた京都学派は文明論的見地から正当化した。

「世界史的立場と日本」とは

 今回は前編、中編、後編の3回に渡って、京都学派がどのようにして十五年戦争を正当化したのか、19年前に私が勉強会で発表した拙い論文を通して皆さんと考察して参りたい。私が発表した論文で引用した「世界史的立場と日本」の内容が、今回のドゥーギンの発言と共通するというより論理的思考が九分九厘同じであることに私は衝撃を感じた。

 「世界史的立場と日本」は今から80年前の1943年に出版された京都学派の高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高という、いわゆる京都学派四天王と呼ばれる学者たちによる中央公論に掲載された座談会の記事(※4)をまとめた書物である。同書は、太平洋戦争を英米主導の価値観に代わる新たな日本による価値観の世界に変えるための戦争であるとして、戦争の思想的正当性をどのように論理づけるかという内容で構成されている。同書は当時の思想的状況がどのようなものか、という歴史的資料として意味がある資料と言えよう。

 今回のnote記事は引用部分が多く読みにくい文章となるが、当時の思想的状況を細かくていねいに読者の皆さんへご紹介したいという筆者の想いからであり、ご容赦いただきたいと思う。

世界最終戦争の夢

引用

「この動乱の世界において、どこが世界史の中心となるか。むろん経済力や武力も重要だが、それが新しい世界観なり新しいモラリッシュ・エネルギー(筆者注:ドイツの歴史家レオポルト・フォン・ランケ
が主張した概念。「道徳的勢力」と訳す場合がある。 https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2021/03/67a3578cf4db8375c1e83afbfc4fa89d.pdf
によって原理づけられなければならない。新しい世界観なり、モラルなりができるかできないかということによって世界史の方向が決定されるのだ。それを創造し得たものが世界史を導いてゆくことになりはしないか。日本は今言った風な意味でもって、かかる原理を見出すことを世界史によって要求されている、後ろから押されている、世界史的必然性を背負っているという気もするんだ。」(高坂正顕の発言)(※5)

「戦争を避け難いものとする原因が我々の外にあった、即ち、世界の中にあった。その必然は(1941年)12月8日に日本が立ち上がった(筆者注:真珠湾攻撃)ことによって初めてその意味をはっきりさせてきたわけです。」(鈴木成高の発言)(※6)

「今日の戦争は一面で倫理の戦い、ヨーロッパ倫理と東洋倫理の衝突という意味もあろうが、他面では倫理と反倫理の戦いという意義がある。歴史的現実の中で、アングロ・サクソン的な世界秩序のみを超歴史化しようとする、旧秩序を永遠の秩序と考えようとする、そういう反歴史的な力に対しあくまで歴史的生命の立場から戦う。僕は今後の戦争を持てる国と持たざる国との戦いとか、資源戦争では解し得ないものがあると思うし、根本には今言ったような道義的な意味があると思う。」(高山岩男の発言)(※7)

「今度の戦争は秩序思想の転換、畢竟は世界観の転換ということでなければいかぬ、かと思う。」(高山岩男の発言)(※8)

「今度の戦争ではその国民意識が世界史的国民の意識ともいうべきものに展開している。つまり世界全体の秩序を決定する主体的国民という自覚が現れている。そして、現在の場合の総力戦がトターレル・クリーク(全体戦)といわれたものと非常に違った意味をもってきているという事情の一つの理由もあるのじゃないかと思う。外に向かっては世界秩序の変革、世界観の変革ということを目標にしているし、内に向かっては国民各自の意識の深い根底にまで、変革が起ることが要求されている理由がある。(西谷啓治の発言)(※9)

「今度の戦争の原因は世界そのものの中にある。日本の中にあるという以上に、世界の中にあるというところに今度の戦争が世界史的使命を担った戦争だということの根拠があると思う。東亜の新秩序建設ということは日本が任意に取り上げた問題でなく世界から課せられた問題だと思う。」(鈴木成高の発言)(※10)

「我々が勝利を獲て新秩序を樹立するということは、思想的に我々の歴史観の勝利を意味する。我々は秩序変革の歴史的必然性を確信して、その確信のもとに戦争している」(鈴木成高の発言)(※11)

論文本文

 軍国主義体制下の日本は、太平洋戦争を東亜共栄圏の確立という美名の下に戦争をしているという理由から大東亜戦争と名付け、聖戦と位置づけていたわけだから、戦争を美化する文章が続くのはある意味予想されていたことではある。しかし、軍国主義体制下の日本の価値観を世界に認めさせ、それを新しい世界の価値観とするという主要は視野が狭く独善的である。

 歴史から学ぶべきは歴史の過ちや失敗を教訓とし、人類が長年培ってきた知恵を継承することにある。自分たちが世界の歴史を動かす主体になろう、歴史において評価されようという発想は歴史へのおごりである。

 明治維新以降の日本は、台湾出兵に伴う琉球処分をはじめ軍事力によって対外征服をし続け、己が権益と野望を膨張させてきた。戦争中の京都学派が、太平洋戦争を中心とした十五年戦争を世界秩序を転換させるための戦争と位置づけたのは、軍国主義政策をとり続けた日本の対外的野心が行き着くところまで行ったために起こった結果ではないだろうか。

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 いかがだったでしょうか。引用箇所の(※5)、(※7)、(※10)、(※11)の辺りはドューギン言うところの文明の戦い、欧米一極から多極観世界の戦いという文明論の名の下に戦争を行うという主張に共通するものはないでしょうか。次回は京都学派四天王における人種主義的な価値観の問題性をどう論理づけたかについてご紹介したいと思います。

追記

 記事を前編、後編の2回に分けて行う予定でしたが、文字数が多くなることを避けるため、前編、中編、後編の3回に分けることとさせていただきました。ご理解のほどよろしくお願いします。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1)

“プーチンの頭脳”極右思想家ドゥーギン氏初めて語る 前編~「特別軍事作戦は失望からロシアの聖なる戦争になった」 | TBS NEWS DIG (2ページ)

(※2) (※1)

(※3)

“プーチンの頭脳”極右思想家ドゥーギン氏初めて語る 後編~「ロシアの勝利か人類滅亡かの二択」 | TBS NEWS DIG (1ページ)

(※4) 本文に掲載されている記事は次の通り。「世界史的立場と日本」1942年1月号。「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」1942年4月号。「総力戦の哲学」1943年1月号。

(※5) 「現代日本と世界」藤田親昌編「世界史的立場と日本」P125~P126

なお、当時の旧仮名遣いは改めたほか、太字で筆者による注釈を加える。また漢数字は算用数字に改めている。以下同じ。

(※6) 「歴史と倫理」藤田前掲P140

(※7) 「戦争の倫理と倫理の戦争」藤田前掲P216

(※8) 「総力戦の理念」藤田前掲P280

(※9)  (※7)同P283~P284

(※10) 「日本の主体性と指導性」藤田前掲P378~P379

(※11) 「学問と戦力」藤田前掲P426


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