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「世界史的立場と日本」(1943年 中央公論社)に関する考察(後編)

 太平洋戦争をはじめ十五年戦争を正当化した京都学派四天王の座談会「世界史的立場と日本」に関する考察です。前編ではロシアのウクライナ侵攻を正当化したアレクサンドル・ドゥーギンと京都学派の論理構成が九分九厘同じであるという観点から、「世界史的立場と日本」を考察しました。(※1)中編では、京都学派四天王における人種主義的な価値観の問題性を紹介しました。(※2)後編では自由と個性の否定を京都学派四天王がどう論理づけたかについてご紹介します。

自由は屈従である。

引用

「武士にはまかり違ったら腹を切ってお詫びするという実に強烈な自由意識、固体意識があった。もちろんこの自由や個人の意識は無限な利益追求とか無拘束とかいうような自由、即ち近代の町人的市民社会的な自由とは違っている。けれどもこれが本当の自由というもの、本当の個人というものなのだ。」(高山岩男の発言)(※3)

「事変(筆者注:日中戦争)の意義が当初に存在していたかどうか、という風に考うべきものでない。むしろ今後の我々の活躍から新しく創造して賦与してゆくべきものだ。戦争にしても遂行することによってその真の意義が創造されてくる。過去を生かすも死なすも現在の働きにある。(高山岩男の発言)(※4)

「人は生まれながらに自由平等だと考えて出発するような個人主義的な人格倫理というものとは根本から違っているハズだ。今まではすぐ自由平等と一緒に言われたが、自由と平等はすぐ結びつくハズがない。自由競争の結果は必ず不平等だし、平等にしようとするなら自由を束縛するほかない。個人主義的自由主義の根本の矛盾はここにある(高山岩男の発言)(※5)

論文本文

 ここで引用したものはすべて高山岩男の発言であるが、高山は欧米から始まった近代思想に基づく個人主義的な自由・平等観がよほど嫌いなようだ。武家社会の構成原理が相互の信頼、信義という社会であるとして信義のために個を没することを理想としているようだが、それは相互の信義、信頼のために物事の本質を突き詰めて考えようとするのを避けたがっているように見える。

 その典型例が以下の発言であろう。

「事変(筆者注:日中戦争)の意義が当初に存在していたかどうか、という風に考うべきものでない。むしろ今後の我々の活躍から新しく創造して賦考してゆくべきものなのだ。戦争にしても遂行することによってその真の意義が創造されてくる。過去を生かすも死なすも現在の働きにある。ここに宇宙創造の意味があるので、それが今日が天地の初めであるゆえんだ。又これが現在における永遠の肇国の業だと思う。(※6)

日中戦争の意義が当初存在していたかどうかよりも今後戦争を遂行して結果を出せばいいというのは極めて問題である。この発言は戦争が起こった原因を突き詰めるという作業を行うことを排し、疑念や疑問を封じることにより主体的に自分自身で物事の道理を考えるということを否定している。高山のこうした論理が結果として学徒兵の戦争への疑念を排除していくことにつながったのではないか。そのことが学徒兵として出陣した林尹夫の以下の文章から読み取れる。

 「我々を救う死の態度とは”決死”という覚悟の中にありとT教授は説く。つまり、死を可能性の問題として我々の生を考えるのではなく、我々はつねに死にとびこんでゆくことを前提に現在の生があるという。(略)
 T教授の論理は、あきらかに今日の我が国の現状の必然性に即応することを考慮した考え方であろう。」(※7)

総括

 「きけわだつみのこえ」(※8)から始まった戦没学生の手記をもとに、なぜ戦争に反対する精神を失ってしまったのかを学習会で議論をしているわけだが、私は、そもそも日本人は反戦、嫌戦の精神を持っていないのではないかと考える。(※9)それ故に自分たちが戦場にいなかったり、空襲など敵からの被害を受けていなかったりすると、戦争について他人事でしかないので、観念論的な理論しか展開できないのではないだろうか。

 今回レポートの対象となった「世界史的立場と日本」の学者たちの座談会の内容は、自分たちが戦場にいないために戦争の悲劇を受けずに済んでいるため、現場のつらさ、苦しみを無視した上から見下ろすようなものの見方しかできないのだろう。教育者は人を育てるという意味では、一人ひとりの人間の立場にたったものの見方や姿勢で教育に臨むべきではないのかと思うのだが、そうしたことを感じられないのは彼らにとって戦争が他人事であるか、あるいは切羽詰まっていないために権力者に迎合し自分たちの地位に固執しようということからではないかと疑いたくなる。

 結局、最後は戦争が起こす悲劇をいかに自分たちの問題として考えられるのか、という点にかかっているのではないか。

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 いかがだったでしょうか。次回特別編として、「世界史的立場と日本」の背景について、勉強会を指導する先生から補足的に作っていただいた解説を踏まえて考察したいと思います。


私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1)

「世界史的立場と日本」(1943年中央公論社)に関する考察(前編)|宴は終わったが|note

(※2) 

「世界史的立場と日本」(1943年 中央公論社)に関する考察(中編)|宴は終わったが|note

(※3) 「個体意識の問題」藤田親昌編「世界史的立場と日本」P47

なお、当時の旧仮名遣いや当て字で使われている漢字を改めたほか、太字で筆者による注釈を加える。また漢数字は算用数字に改めている。以下同じ。

(※4) 「現代日本と世界」藤田編「前掲」P128

(※5) 「民族圏としての大東亜圏」藤田編「前掲」P209

(※6) 「現代日本と世界」藤田編「前掲」P128

note記事追加注釈

レポート本文では「128ページの後4行から1行にかけての発言」として、略している。

(※7)  林尹夫「わがいのち月明に燃ゆ」 ちくま文庫 P181 

note記事追加注釈

現在では、林尹夫日記の完全版が三人社より出版されており、ちくま版と内容が異なっている。以下、当該引用箇所について完全版を掲載する。また、T教授という表記も完全版では冒頭部分に田辺先生と京都大学教授田辺元のことが明記されているので、筆者注の形で田辺教授と補足した。なお筆者は、完全版においても林の死生観の本質、戦争観について基本的な点では変わらないものと考える。

(筆者注:田辺教授は)我々の死の態度は決死という点にあると説かれた。即ち死を可能性として我々の生の問題をとくのではなく、死そのものへ我々が飛びこんでゆく。(略)そしてそれだけに尊い考え方と思った。

「戦没学徒 林尹夫日記〔完全版〕-わがいのち月明に燃ゆ-」P171

(※8) 岩波書店から出版されている十五年戦争中に出兵した学徒兵の遺稿集をまとめた書籍。なお、学習会では「きけわだつみの声」で国家主義的な傾向に無批判になった学徒兵をテーマとして考察をした。

(※9) この時は日本人と書いてしまったが、米軍基地の負担や戦争勃発でのリスクが高い沖縄に対する意識に欠いていた部分があったと思う。

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