ジョイスのフィネガンズ・ウェイクを原文で読み始めてひとつ気付いた。本居宣長が古事記を江戸時代の言葉に翻訳するためいわば一本の刀でできるギリギリまで捌いたようにではなくて、聴覚視覚から自分の言語世界に反射する限りでの印象を見守るようにするのがよさそうだ。古代人の神話の読み方で。

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