アイデンティティの探し方

先日、上司に退職の意思があることを伝えた私は、いま尋常ではなく落ち込んでいる。

同期や友達に話すのとは違う。上司に話すということは、それを前提に動いてくださいという合図出しだ。この言葉を発した後、上司は少し他人行儀になる。これまで享受していた庇護が失われていくのが会話の端々から伝わってくる。

二人で話したいなんて言われれば、上司だってそれなりに覚悟を決めて面接に臨んでいるのだから、緊張度合いでいえばある意味私と同じだろう。会社にとって、自分の評価にとって、この場をまとめる最善の対応はどれなのか。部下を引き留めるか否か、深く聞くべきか保留にすべきか、叱咤激励すべきか、君は必要な人材なんだと慰めるべきか。ひとつ言葉を間違えるだけで、いろんな可能性が失われてしまう。

そんな策略を全部無視して、自身の判断が及ばぬ場所で部下が結論を出しているのだから、肩の荷が下りるのと同時に、若干の怒りが湧いて、普段よりもそっけなくなってしまうのは致し方がないことだろう。

幸いなことに私の上司はビジネスライクがウリなので、多少波が引くのが伝わってきたが、怒られることがない代わりに感情論で引き留められるようなこともなかった。強いて表現するなら、部下から他人に変わる決心をした人間に対して一歩線引きしたという感じ。

しかしながら、急に私たちの間に漂うその余所余所しい空気が、これからの私と社会を隔てる壁のように感じてしまい、何度となく私を落ち込ませているのである。

肩書や社会的地位、これまで仕事を共にしてきた仲間、入場が許されていた施設、社員であることで得られてきた福利厚生、そういった「何者」かである自分が失われる恐怖。会社から放り出されて明日から個として生きていかなければならないこと。そしてまた個から就職活動をして社会に受け入れてもらわなければならないこと。

そういった「アイデンティティ」を失うことが、私は怖い。

「じゃあ辞めなきゃいいじゃん!」

赤の他人からはそんな風に言われたことは一度もないのに、自分の心だけがいつも私を責め立てる。「甘えてんじゃないの?」「また泣き言言ってる」「もっとやれるでしょ」「過剰すぎだよ」「もっと上手く立ち回れたでしょ?」「どうせ働かなくても食べていけるから」「しばらくしたらまた働きたいとかいうくせに」

私もそう思います。でも会社を辞めるという選択をしている時点で、すでにいろんな状況に追い込まれた後であり、心がゆがんでクシャクシャになって、テンピュール枕だとしたらすでに弾力性も失われて元にも戻れない状況まで劣化している状態なんです。ちょっと静養が必要なんです。


誰に対してでもなく、そんな言い訳を重ねながら、ふと、昔一緒に働いていた上司のことを思い出す。

当日務めていた会社は新卒でも数年経ったら転職・独立することが良しとされていて、むしろ推奨されているくらい人の入れ替わりが激しい会社だった。そんな状態なので担当者が半年に1度変わるのはざらだし、一人に任される業務量も多く、上司ともなれば朝7時には会社に入って、いつ帰っているのか分からない調子で仕事をしていた。

ある時から上司が漢方薬を湯水のように飲むようになり、いつも顔色がすぐれず、寒そうに分厚い上着を何枚も羽織って仕事をするようになった。そんな状態が半年続いたところで、「今月で会社を退職する」と報告された。退職のその日、荷物をまとめながら私に話してくれたのがこんなことだった。

「私はこの会社を含めてすでに13回転職をしている。実はもう14社目も決まっているから、1か月だけの充電期間ね。宇多田さん、働く場所や環境はひとつじゃない。自分に合うものを選んで、ダメならまた探せばいいんだよ」

彼女がいまでも14社目の会社で働いているのか分からないが、たぶん、15社目、16社目にいるのではないだろうかと想像している。判断力に長け、能力があり、多くの人に慕われている上司だった。彼女はあのスキルを武器に自分に「合う・合わない」を精査しながら、その時々にマッチした環境で働いているのだろう。

私が抱えているちっぽけなアイデンティティなんて、彼女が聞いたら軽く笑われてしまうかもしれない。自分の中に確固たるものがないと、かくも状況は変わってしまうのだなと思う。私がアイデンティティと呼んで憚らなかったそれはただの「企業名」だ。自分自身の武器などではない。逆に、武器など何も持っていないから、身ぐるみがはがれてしまうことが恐怖なのだと自己分析できる。

それでも、どの会社に再就職した時も、私は裸一貫だったと思い出す。

本来なら職を途切れることなく転職できるのがベストだろうが、不器用な私はひとつの物事が終わらないと次を探すことが出来ないので、退職したのち数か月かけて次の職を探してきた。雇用形態はどうあれ、最低でも5回再就職を果たしているのである。それは企業名だけではなく、私が何を成して、どういう人間なのか、企業から評価されてきた証だと信じたい。

今はとてつもなく不安だ。こんなご時世だから、明日主人が病気で臥せるとも限らない。老いる一方の年齢になり、ワンオペでこの先の人生暮らしていけるほど世の中甘くもないだろう。

もろもろのことは、もちろん主人に相談している。だが彼はいつも彼らしい、彼所以たる答えしか返してこない。

「俺の隣にいたらそれでいいんだよ」

現実が伴っている分とても頼もしいが、多少言葉足らずな気もする。根拠を示せと言っても何も返ってこないだろう。

しかしこれまで全面を主人に頼って生きてきたことはないので、ある意味良い機会なのかもしれない。これからは彼の隣で自分なりのアイデンティティを見つけていきたい。

楽しく暮らしていけたらといいな。そう願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?