心と文章のリハビリ開始

つい最近「note」のことを知った。

その存在自体は、何かを検索した際に表示一覧に引っ掛かっていたりしたので、うすらぼんやり認識していたのだが、本格的に興味を持つきっかけになったのは「会社 辞める」で検索していた際に出会ったnoteのエッセイだった。(この話は本日はしない)

私がリア充だった頃はまだSNSはおろか、インターネットが一般家庭に普及し始めた時期だったので、創作は基本的にローカルなものだった。

太古のオタクである私は高校入学のお祝いに親にパソコンを買ってもらい、学校から帰ると勉強もせずに好きな小説の写経を通して、日永、夢小説を書くことに熱意を注いでいた。

イケメン兄弟とさまざまな窮地を乗り越える少女、異世界のイケメンと世界を冒険する男装の少女。写経対象の作品が変わっても、主人公は周囲が驚くほどの美貌を持ち、誰からも一目を置かれるような聡明な考えを披露し、異能力も最強で作品のキーキャラクターという、己の欲望のすべてが詰まった愛すべき作品。夢小説でもあり、なろう系でもあったサイツヨ作品。

令和のこの時代なら公開できる媒体はいくらでもあるかもしれないが、そもそも我が家にはネット回線が導入されていなかった上に、私自身も「インターネット?なにそれ怖い」という状態だったため、誰に見せるものでもない、自己満以外の何物でもないそれを飽きもせずに3年間書き続けた。

しかしその行為が、のちになって活かされることになる。

大学に進学した私は、レポートを提出するたびに教授から呼び出されたり、電話がかかってきたりなどして、お褒めのお言葉をいただいた。

学部でも怖いと噂の先生から連絡があった際には、オリジナルの部分を褒めてもらえているにもかかわらず、「文献の丸写し箇所がバレてめちゃくちゃ怒られるのではないか」という不安から支離滅裂な返事をして、「ここは君が書いたんじゃないのか!?」と疑われたほどだった。(誤解はとけた)

「君は話は下手だけど書くのは上手いね」とゼミの教授から(地味にひどい)褒めてもらえたことで、当時不仲だったゼミ生から尊敬を受けるようになり、人間関係の構築にも役立った。

誰の称賛を受けることもなく、誰の批判を知ることもなく、対価が発生するわけでもなく、淡々と好きなものに打ち込み続けた3年間。パソコン以前は紙に書いていたので、トータルではそれ以上の年月を過ごしてきた。

何度も何度も推敲して文章を練り直し、最高のシーンにあう最高の表現を探して、買ってもらった辞書をくたくたになるまで読み込んだ。図書館ではこれまで縁のなかったジャンルの本を読んで、お気に入りの言い回しや単語をメモして、どこかで使おうとネタ帳を作った。とりわけ、イギリス文化、メイド、錬金術や魔術、北欧神話や陰陽師、新選組に詳しくなるのはオタク女子の王道だったと思う。のちに軍隊にハマって特殊部隊の本を資料として何冊も買い漁った。

夢中になって行っていた行為が、しっかり自分の力になって身に備わっていたのである。

しかしその情熱が、社会が広がり、就職活動を迎えるにつれて、だんだん承認欲求へと変わっていく。

書くなら発表したい。称賛されたい、あわよくば文庫化されて夢の印税生活で一目置かれる存在になりたい。

いつしか自分の行動に対して「見返り」を求めるようになり、その欲望が爆発寸前まで肥大化したところで、私は文章を書く行為から離れた。社会人になって1年が過ぎた頃だったと思う。

大学を卒業したのち、私は希望していた業界に飛び込んだ。想像以上に朝も昼もなく、何日も会社に泊まり込むことなんて日常茶飯事だった。家に帰ってきてもパソコンと向き合う気力が湧かず、以前は自動で手が書いていた文章が、頭を使わないと、または頭を使っても全く思い浮かばないようになっていった。

会社に行けば毎日嫌というほど人に振り回される。聞かなくてもいいような噂も耳にする。憧れが日常に変わり、どんどん彩色が褪せていった。これまで続編を待ちわびていた小説が鼻につくようになり、以前のように素直に楽しめなくなっていた。

やがて書きたい気持ちが書かなくてはに変わり、筆が進まない焦りだけが募った。自分の妄想をありったけに詰め込んだ、何年間も共にしてきたあのキャラクターが遠い存在に感じられ、どんな性格で何を発言するのかも想像できなくなっていた。

やつれた創作意欲と引き換えに仕事のスキルが上がり、周囲から認められるようになった。これが現実を知って大人になることなのだと思った。

そうして、私は文章を書く習慣を失っていったのだ。

あれからもう何年も過ぎた。

小学生の授業参観で「私は一生結婚しません」という作文を読んで母に大恥をかかせたにも関わらず、ちゃっかり結婚も果たした。

そして今、仕事を辞めようとしている。会社を辞めるのはこれが初めてではないが、何年も通い続けた会社を辞める時はいつも胸が苦しめられる思いがする。あれだけ嫌でたまらなかった仕事も、辞めることを決意すると「そんなに悪くなかった」と思うから人間は不思議だ。でも辞めるのをやめると、途端に「行きたくないな」という気持ちに振り切れてしまうのである。

仕事を辞めたら、しばらく社会とは関りをもたないつもりだ。人間関係に疲れたというのが退職の理由だからだ。

世間から梯子を外し、家庭と友達という小さな世界だけが私の居場所になる。つまり学生時代に戻るわけだ。

だから、久しぶりに文章を書くことにした。今書いている文章は、あの頃の私が見たら笑ってしまうくらいゆるいし、下手くそなのを自覚している。でも、少しでも、たまにでも、誰も読んでなくても、自分ために書くと決めたのだ。

このエッセイは、あの頃の情熱を失ってしまった私のリハビリである。

それでも、たまたまここにたどり着いて読んでくれた人が、励まされたり、楽しんだり出来るようなものが書ければいいなという、わずかながらの野望を表明しつつ、ゆるゆるやれたらいいなと思います。

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