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会社員からフリーランスの道を選んだワケ

"おまえの指名されてる番組は全て置いていけよ"


 退職願を課長に出してから10日後、
営業部長に呼び出され、辞めた後の身の振り方についてのご指導を受けた。

会社員時代の僕は特に大きな失敗もなく、
たくさんの種類の機材と、
尊敬する先輩にすくすく育ててもらった。

ちなみに小さな失敗はたくさんした。
例えば僕がアシスタントの頃、
先輩ミキサーが”整音”という、
音質や音量の調節をする作業時は、
特に何もする事がないので、
居眠りをしたら、
どこからともなく灰皿が飛んで来たり、

ナレーションを収録する際に
プリロールといって、
読み出す少し前(5〜10秒くらい)
のVTR出しをする仕事では、
全然違うタイムを呼び出して
ディレクターに怒鳴られたり。

 アシスタントからミキサーになる為に、
先輩ミキサーたちの目の前で、
仮の番組をミックスする試験的なものには
一度不合格をもらっている。
点数は及第点の75点。

ミキサーへの合格点に達していたのだが、
ある声の大きい先輩が
「お前には期待している、
だから100点を獲れ。不合格。」
と言い放ち、赤点に落ちた。

実はその理不尽な期待をもらう1ヶ月ほど前、
別の事業所にいためちゃくちゃ可愛い子に、
「今度の試験でミキサーになったら
お祝いしてください!」
と、半ば告白みたいな事してからの不合格。

彼女へ試験に落ちた事をメールしたあと、
何度も何度もセンターに問い合わせをしたが


”新着メッセージはありません”

と、ドコモから返ってくるだけだった。

 ツラい、そしてダサい傷口を押えながら、
なんとか半年後100点を獲り、
晴れてミキサーになってからは、
バラエティを中心に、
ライブDVD、日本語吹き替えなど、
様々な番組に関わらせてもらった。

 ミキサーになって4年ほど経った27才の時、
早期退職を募る掲示が突然目の前に現れた。
僕はその波に乗るにはまだまだ経験が足らないと感じスルーしたが、
その時から社内の雰囲気が変わった。
変わった気がした。

 それでも僕はこの会社が好きだったから、
なんとかできる事を探して
ミキサー以外の業務を率先してこなし、
不穏な空気に光を照らす事にした。

別の新規プロジェクト案を出したり、
別のセクションといかにうまく連携がとれるかを考え、実行したりした。

僕は以前から、”あらがえない環境”のせいにするのが嫌いだった。

わかりやすいところでいうと、
”会社の給料が安い”とか”税金が高い”とか
”収録した音が悪い”とか笑

言ったってどうしようもない言葉を吐くより、
いかにその状況を乗り越えるかを考えた方が
楽しいんじゃないかと、
常に思うことにしている。

嫌なら辞めればいい。
今は好きだからやれる事をやる。
そんな気持ちで、
社内の取り組みに汗を流していた。

 そんな取り組みをして約2年経ち、
29才になった。

個人の評価は上がるものの、
会社を変えることはできなかった。
そして上に行けば行くほど、
僕の声は薄れて届かなくなっていく。
話を聞いてくれない理由はわかっていた。
目に見える数字がないのだ。

現場エンジニアの僕が変えられるのは、
マインドや、指揮、社内のシステムなど。
満足度を変える長期的な見込みではなく、
今すぐに影響のある
売り上げや、コストダウンが求められていた。


 阿部ちゃん音効(選曲)できないの?

 ある制作会社の演出家に突然言われた。
その演出家とは、
日頃から好きな音楽の話をしていたのと、
当時一緒にやっていた番組の音効さんと
ソリが合わないことで、
MAミキサーの僕へ軽い気持ちで
提案したんだと思う。

僕はその軽い提案を本気にして、
やったことないですが、やりたいです!と、
自分の為、さらにはこれは、
会社に別の利益を与えられるんじゃないかと、ふたつ返事をした。

次の日に営業、課長、部長に相談した結果、
「すぐに料金表を作るのが難しい」
「他の効果会社とのバランスが崩れる」
など、他にも言い訳をされた。

せっかく制作の方が、僕に(会社にも)
チャンスをくれたのに、
それをこの環境のせいで失うのは勿体無いな。と思った。

この瞬間、IMAGICAを離れる決意をした。

そして退職願を提出した10日後、
IMAGICAから呼び出され、

"おまえの指名されてる番組は全て置いていけよ"

と半ば出禁と同じ意味を持つ言葉を、
退職祝いで言い渡された。

想定内ではあったが、前途多難だった。

今までは、待ってればイヤでも毎日
スケジュールに作業を割り当てられるし、
友人みたいな営業部に営業をかければ、
やりたい仕事もできた。

これからは、自分で外部へ
やったこともない営業をかけて
仕事を取りに行かないといけない。

 そしてとりあえずとまずは、
何の作戦も思いつかないまま、
普段は行くことのない、制作会社や、
フジテレビなど局の制作フロアに
挨拶周りをしに行く事にした。

そこで思わぬ言葉を耳にする事になる。



「阿部ちゃんがMA出来ないなら、
他のMAスタジオに変えるって言うわ。」

挨拶に行った全ての演出家、
プロデューサーが僕にそう言ってくれた。


MAスタジオを変えるという事は、
画の編集場所、イラストの発注など、
ポストプロダクションと呼ばれる
編集フローの全てを変えなくてはならず、
かなりの労力が必要なことを
わかっていたので、

MAミキサーとして、
さらには阿部 雄太という
人間が必要だとこんなに感じたのは、
生まれて初めての事だった。

 その援護のおかげで、今でもこうして、
一度も途切れることもなく、
MAミキサーを続けられている。


 この挨拶回りと並行して、
辞めたきっかけの音効(選曲)の営業もした。

営業なんて大それたものじゃなく、
他のMAスタジオに、
"フリーになったので使ってください"と、
挨拶行くと、なんで辞めたの?と
大概聞かれるので、
"音効やりたい"というだけだったけど。

そうすると、
"新しい会社が音効を探している"
"予算があまりないものがあるがやってみる?"
などと、声をかけられ、
初めは見よう見まねだったり、
先輩の音効にデータをチェックして
もらったりして、経験を重ねていった。

そして、だいたいの番組は、
2社以上の制作会社で作られることが
多いので、知り合いのA社に音効で
呼ばれたら、B社がいて、
そこでB社に気に入られて、
B社とC社の番組に呼ばれて、
今度はC社とD社、、、

という感じで今も音効(選曲)を
させていただいている。




僕は夢や、やりたいことは
叶えるものじゃないと思います。

誰かが叶えてくれるものだと信じています。

これやりたいとか、これ好きとか、
誰かに伝えさえすれば
それはいつか周りのすごい大人たちが
勝手に叶えてくれます。

臆せずにどんどんやりたいことを伝えること、
そして毎日の何気ない日々を
一生懸命楽しめば、
やりたい事を出来るようになる
未来が待っていると思います。


最後まで読んでいたきありがとうございました。

きっと来年の2021年、パート3
"フリーランスから法人化したワケ"に
続くと思います。
その時はまた読んでくれたら嬉しいです。

MAミキサー 阿部 雄太

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twitterアカウント: https://twitter.com/sound_mal?s=09

パート1、MAミキサーという職業を選んだワケはこちら


※1....MAミキサーとは、テレビ番組やYoutubeなど、
収録後の音の音質を整える"整音"という
作業をしたり、ナレーションを録音したり、
選曲さんが選んだ音楽を
BGMとして音量のバランスを調整する
職業の事。(面白いよ‼︎)


※2....恥ずかしさもあり、
言葉や表現を誇張してます。
今では仕事を置いていけという
気持ちもわかるし、
僕の会社内での声が届かなかった理由も
わかるようになってきました。
そこにはネガティブな気持ちは一切無いし、
今でも育ててくれて、とても感謝しています。