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小豆玄米でのチキンカレー醤油漬け大根付

長ったらしい名前をつけて、「いかにも」という感じは全くしない土曜日。

中国で玄米は手に入るのかな、と思っていたら、「糙米」として普通に売られていた。玄米は日本で、と思っていた自分が恥ずかしい。スーパーに行って見てみると、10kgのように売られてはいないものの小さい袋に詰められて販売されていた。大量に買って消費しなければ行動になるのは、目に見えていたのでありがたかった。

1kg150円ほど、いったいどれくらい入れればいくらになるのかといった細かい計算もできずとりあえず計ってもらう。値札が印刷されたらカートに入れる。

それを小豆と一緒に炊く。発酵玄米は美味しいのか、何度か試しているが最近白米を食べていないので分からない。作ってみて美味しいと思い食べすぎるクセがあるのはダメなこと。

その間にカレーを作る。カレー粉がなくても、カレールウがなくても作れるようになると、カレーがさらに身近になった。決められたものから作るより一からつくりたい衝動は、よくあることだ。小さい頃は、既製品スライムを作っていたが、手作りスライムを作ってからは、「なーんだ」という仕組みの裏側を見た時のあまりにもシンプルであることに驚き、そこに興味津々だった。友達は練り消しを消しカスで作ったし、鉛筆削りもナイフで削ってた。レゴのようなおもちゃで毎回、二度とは作れない形に1人満足気だった日が懐かしい。

そう考えてみると、分解はあまりしてこなかった。知恵の輪はしたが、積み木に、7並べ、ポーカーなども作る側の方だった。あるものを分解して、もう一度同じように組み立てることの経験はこれから、何をして良いのか分からないが、チャレンジしてみたい。例の作文を分解して、同じように換骨奪胎するのも大変だが、そこから応用・発展するとなるともうついていけない。頭がまだまだコチコチのようだ。頭の体操などの本も読んでみるが、これが有効なのだろうか?という良くわらない通販番組で買ってきたあげく、数ヶ月後にはきれいに洗濯物干しの場所に成り果てるもののような感じだ。結局、試しては捨て、試しては捨てているような気がする。

カレーの話のつもりが、脱線していく。私の得意なことらしい。最近、それを強調していった結果、最初に考えていた計画はきれいになくなり、全く違う、いやもはや物とも言えないような結果が目の前に出てくる。トリガーみたいなものが動く、引き出しを開く感じだろうか、いつまで経ってもゴールに辿りつかない。

今回も、全く終わりが見えないまま、カレーを食べ終えてしまった。

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