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ある常連のお客様。

都内の飲食店でアルバイトを始めて半年少し経った頃だろうか。
だいぶ慣れてきて、良くも悪くも「いつも通り」の仕事ができるようになってきた頃だったと思う。

慣れるまでは仕事を覚えるのに必死で、なかなか周りを見たり、お客様と会話を交わしたりすることが難しかった。
それが徐々に慣れてきて、できるようになってきはじめの、そんな頃。

仕事に慣れてきてしばらくって、今思えば最低限ができるようになっただけなのに、なんだか一通りこなせて一人前になったかのような気分になってしまう。
それと同時に、ホールでの仕事も、毎日料理やお客様は入れ替わっていくのにずっと同じようなことをしている気持ちになっていた。
よく言えば平穏平和なのだけど、悪く言えばつまらない、成長のない。
そしてそのことに気付かずにできている気になって満足しているような状態。

そんな時期の、ある日の出来事。

いつも通り予約を確認し、いつも通り今日のメニューを確認する。いつも通りテーブルをセットし、いつも通りお客様を待つ。
お客様が来店されたら、席へご案内して注文を伺い、料理やドリンクを運んで軽く説明をする。
ようやく焦らずにできるようになってきた、私の仕事の「いつも通りの」流れだ。

その日の予約には、お店に入って1年経たない私でも顔を覚えているような常連のご夫婦が入っていた。
19時過ぎか20時前頃に来られて、閉店の少し前までゆったり過ごされていくことが多い。
その日も私が働くお店にしてはゆっくりな時間のご予約だった。
もう他のテーブルはある程度落ち着いていて、私の心には少し余裕ができていた。

料理やドリンクを運ぶ際に、最低限の説明に加えて一言二言交わした。
よく来られる方なので、グランドメニューよりもその日のオススメメニューを色々と紹介させていただいた。
料理を運んでお話しする度に「ありがとう」や「おいしそう!」など素敵な反応をして下さり、なんだか私の心があたたかくなったことを覚えている。

ラストオーダーを聞き終わり、クローズ作業に入ってしばらくした頃、常連のご夫婦が席を立たれた。
旦那様はゆっくりとはいえだいぶ飲んでいらしたので、酔っているようだった。
奥様が会計を済ませ、私に「ありがとう、ごちそうさまでした。」と素敵な笑顔と柔らかな口調で伝えて下さり、ご夫婦でお店を後にされました。
これだけでも十分、お話しした内容も褒めていただけて、すごく嬉しく気の引き締まる言葉だった。

お店を出られた2分後くらいに、旦那様が慌てた様子で走ってお店に戻ってこられた。

忘れ物かな?、お店の入口の方へ向かう。
旦那様はお店の入口で立ち止まり、軽く背伸びをして厨房をのぞきこみ、大きく息を吸い込むと

「シェフ!!おいしかった!ごちそうさまでした!!」

言い残して、満足そうな笑顔でまたお店を後にされた。

私は一瞬固まってしまった。
そのあと、わざわざキッチンに言い忘れた「ごちそうさま」を言うためにお店まで戻ってきてくれたのだと気づき、驚くと同時に思わず笑みがこぼれた。なんなら泣きそうだった。

驚きと、嬉しさと、あたたかさと、そんな感情に包まれていたと思う。

同時に、慣れてきて少し最低限をうまくできるようになったからといって、それ以上を求めなくなっていた自分が恥ずかしくなった。
お客様を幸せにするはずが、お客様に幸せにされてしまったわけです。笑
とはいえ、お客様が食事を楽しめたからこそ、わざわざ戻ってまで感謝を伝えて下さったのだと思うと、あぁやっぱり嬉しいなあと思う。

それから私は、ホールの仕事って何だろう、どうしたらより主役であるお客様に楽しんでもらえるのだろうと考えるようになった。
話す内容や長さをお客様によって変えてみたり、料理を出すときにわくわくが高まるように工夫してみたり。

もしあのときお店に戻ってきて「ごちそうさま」を伝えて下さったお客様に出会っていなかったら、それでも私はまだ飲食店で働き続けていただろうか?正直大変なことも多いし、ねっこの部分を見失って、続けていけなくなっていたかも知れない。
もしくは働き続けてはいたかも知れないけれど、最低限ができるまま停滞していたんじゃないだろうか。

私にとってはそれまで、同じようにすら見えてしまう「いつも通り」の仕事だった。強めに言えば、繰り返される作業のような。
お店に来るお客様にとっては、1回1回の外で食べる食事はきっと特別で、ある程度非日常なんだと気付いた。

その上で何度もお店に足を運んで下さっているのは、信頼と期待があるからなのかなと。
そしてそれに応えられたからこそ、戻ってきてまで「ごちそうさま」と伝えて下さったのだと思う。

こんなにお店を、料理を、スタッフを愛してくれるお客様がいるのだから、私ももっと頑張らなきゃ。
ずっと、お店に来て下さったお客様には幸せな気持ちで過ごしてほしい。
もちろんうまくいかなくて「あれ??」ってなることばかりだけど、それでもお客様と真摯に向き合い続けよう。

そう思うようになった、ねっこのねっこの小さな一言。
私にとっての、大きな経験。


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