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1年くらい経った。そして2020年の大学生活。

「ほんとさあ…言うのが遅いんだよ!!何月何日だと…!」

倉敷のまちなかで叫びそうになったあの日から、だいたい1年くらい経ってしまった。

大学から休講だか授業開始時期延期だかの連絡が送られてきた。
酒好きの友達が酒屋で日本酒に夢中になっている。
私は酒屋の暖簾をくぐり出て、倉敷の春を身体いっぱいに浴びていた。

大学を責めるつもりは全くない。
周りの大学に比べて連絡がとても遅かったとは思うが(授業開始が4月2週目とかなのに3月末にやっと送られてきた。)、まあ色々事情があるのだろうとか察した。

翌日、東京オリンピック開催延期が発表された。

その日はたぶん、神戸にいた。
中華街は初めて来たけれど、普段からこんなに暗い街ではないだろう。
寒々しい街でほかほかの肉まんをほおばり、幸運にも開いていたお店に転がり込んで貸切状態で夕飯を食べた。

まだ東京で感染が拡大する少し前にするりと東京を出て、友人とだらだら青春18切符で西日本を旅していた。
どんな観光地でも人が少なかったのは、少し異常な光景に思えた。
旅が進むにつれて、街で出会う人の数は減っていった。

長旅を終えて東京に戻ったとて、大学は始まらない。
いつ始まるのかもよく分からない。
それでもとりあえず旅費を挽回するくらいには稼がないとと、バイトのために東京に戻ったまである。

4月、バイトはなかなか壊滅だった。
その後も。時短だったり、5月までシフトがなかったり。

あぁなんてこった。
私は西日本にひたすらばらまいてきた旅費を一体どう回収するというのだろうか。そう思いながらも、春休みが3ヶ月なんて二度とあるまいと、あるもので細々寂しくそれでも豊かに過ごすことを同時に考え始めた。

2020年4月、2週目くらい。

「本と酒だな。あと音楽とライブのDVD、そして漫画だ。それと運動。」

GW開けまで大学が始まらない。仕事もない。
普通に暇でしょうがないじゃないか。
飲み歩くわけにもいかないし、仕事もなければ大学もない。
ただ時間だけは1ヶ月以上もできてしまった。
960時間くらい暇なわけだ。

これまでの2年間、普段ならそわそわしてしまって難しい本や分厚い本は敬遠しがちであった。大学生にもかかわらず、2年間はちょっと書物と距離を置いてしまっていた。高校生の頃は福沢諭吉の『学問のすゝめ』なんかを読んで意識を高めていた人間も、少し忙しさを言い訳に本を開かなくなると新書の1冊も読み切れなくなる。小説だってしばらく読んでいなかった。

高校の時の担任の先生が、歴史関連の面白い本を何冊か教えてくれた。

とりあえずamazonで全部買った。

結果的に1ヶ月かけてほぼ読み切り、まだ読めていない本もある。
学術書や厚めの本メインだったけれど、合計で1万円くらいだった。
良い投資をしたと思う。

前から興味のあったワインを買ってみたりした。
暇だから写真と感想をツイートし続けて、今でもとりあえず飲んだものは感想をTwitterにまとめている。映画も、読んだ本も同じようにまとめている。
暇なときに習慣づけておくと、一度ついた習慣は続けやすいことを学んだ。

CDが好きで、好きなアーティストのCDは色々と持っている。
普段は忙しいから、ウォークマンなんかで好きなタイミングで、好きな曲だけ聴いてしまう。傲慢な音楽消費をし続けている自覚がある。
布団にごろりと寝転がって、耳にイヤホンをさして再生ボタンを押す。天井を見つめ、目を閉じて、深く呼吸をする。

「こんな曲入っていたっけ。」

「もしかして前の曲にちょっと繋がっているのかも」

「改めて良い曲だな。特にこのワンフレーズがどうしても好きだ。」

音楽だけに集中して向き合った。それだけの時間があった。

昔から服とか、ダンスとか、デザインとか、苦手だった。それがガラッと変わる出会いがあった。前からCDは買っていたNEWSのライブDVDを買ってみてみた。増田さんがデザインする衣装と空間演出、ストーリー、そしてエアマンさんの振り付け。苦手だと思っていたことは全て、知らないだけだった。これまで知ろうとしてこなかったから、怖かっただけだった。このときに『装苑』の定期購読を申し込んで、今でも2,3ヶ月に1冊届く。届いたら読む。読む度に世界が広がり、鮮やかになり、悩むこともあり、面白い。旅と食事にお金をかけているから、なかなか服までまわらない。どうしても見るだけになってしまうのだけど、来年は服にもう少し比重を置いてみようかな。

大学に入ってから飲食店で働いてきて、個人店ばかりなので仕込みや盛り付けをやらせてもらえることが多かった。働き始めて半年したくらいから料理やワイン関連の本を買って読み始めていたが、時間のあるこの時期に『専門料理』を何冊か買って読んでみた。飲食店のシフトが激減して、潰れる飲食店も出てきているような時期に改めて、食について問い直すきっかけになった。翻ってまかないに頼りきりな私の普段の食生活はあまりに雑で記憶の片隅にすら残らない。

4月中頃、しばらくは朝、早起きして多摩川沿いを走ってみたりした。
同じように朝早くから走っている人が多くいた。
今思うと、みんなどこか落ち着かなかったのかも知れない。
走ることが久しぶりで、すぐに呼吸が乱れた。
足も痛いし、思っていたより4月は暑く、汗もかく。家に帰ってシャワーを浴びると眠気に襲われて午後まで昼寝をした。午後目が覚めたら何かお腹に入れて、本を読むか映画を見る。そしてまた寝てしまう。
しばらくして走るのはやめた。代わりに歩くことにした。
遠目には石ころだらけに見える河原にも、花の咲く植物がぽつりぽつりと生えていた。河原に落ちている石も1つ1つ表情が違う。近くで見て、手で触れて、写真に収めていった。走っていたら見逃していたと思う。電車通学の大学が普通に始まっていたら、多摩川にだって来なかったかも知れない。
ほぼ毎日行くのに、そこに同じ景色は一度たりともない。二度とない。自分の視点も同じではない。「多摩川に行く」という同じ行為の繰り返しなのに、毎日違う発見をした。

家の近所もたくさん歩いてみた。
桜が綺麗に咲いている場所を見つけた。目を下に移すと、黄色い菜の花が風に吹かれて揺れていた。春らしい風に包まれて、思わず大きく息を吸った。くしゃみが止まらなくなった。少し外に出ないと花粉症すら忘れてしまうのは本当に困りものだと思う。
まちなかを流れる川も見つけた。後々それは用水路だと知り、卒業研究のテーマになる。

引っ越してきた頃は「川崎なんて…。」と思っていた。

雨の日は傘差しチャリにはねられそうになるし、駐車場に入る車も出て行く車も譲らず歩道の私がひかれそうになるし、閉店しているカラオケの喫煙所で何食わぬ顔でたばこを吸う人が大勢いる。

「ほんと、川崎なんて…。」

そう思いつつ、毎日歩いて目にとまった景色、気になったことを写真に収めていく。年明けに写真フォルダを整理した。「愛すべき川崎」という名前でフォルダを作って、うちの周りの憎めない風景をまとめてみた。
1年間で色々な「川崎」を撮っていた。

パンチある名前の飲食店。朝日に照らされながらゴミを漁るカラスと鳩。丘の上に建つ団地。小田急線と京王線。用水路。農地と庭先の直売所。2月になっても撤去されないイルミネーション。

住む街を愛せるようになったのも、住み始めてすぐにまちをゆっくり観察する時間があったからかも知れない。
書きかけだけど、スケッチブックに窓から見える景色を書いたこともあった。

ゴールデンウィークが明けると、大学が再開した。
いきなり慌ただしい。
3年前期、もう授業が少なく暇だという友人もそこそこいる。
私は2年後期、急に思い立って学芸員資格の取得を目指し始めてしまった。
1年生でも取らないだろうというくらい授業が多い。2年前期に1回だけ行ってやめてしまった必修英語の再履修というやつもある。正直オンラインなので、スピーチ原稿見放題で「アイコンタクトが素晴らしい」と褒められるぬるさではあった。授業は全部オンラインだった。結局2020年度を通して家以外で授業を受けたのは2回、厳密には1回だけだった。

サークルも再開した。

毎年サークル棟に部屋がほしいと思いつつ、申請や会議に出ることがめんどくさくて渋ってきたのでこれまで活動場所は図書館であった。
図書館のグループで使うような部屋は、2021年3月現在でも封鎖されたままである。我々ロシア研究会は活動をオンラインに切り替えた。驚くほどに問題はなかったが、人の集まりはまあまあ悪かった。
それでも新入生が入ってくれて、新入生が困りごとや相談をできる場を作れたことはとてもよかったと思っている。私も大学に入って、履修の困りごとを聞くのも、なんとなく居場所として頼っていたのもサークルだったから、オンラインでもせめてそれだけは果たしたかった。

2年後期から進めていたグループ研究もオンラインで相談するのがメインになった。半年間の積み重ねがあったからなんとかオンラインでも話は出来たけれど、思考が制限された部分はやはり多かったのではないか。都市農業をテーマにした研究で、農家の方々がインタビューを快く受け入れてくださったおかげで進んだ部分はかなり大きかった。時期的に不安はかなりあったのではないかと思い、そんななか貴重なお話をたくさん伺えたことは今になっても感謝しかない。

研究室のゼミも1年間まるっとオンラインでやっていた。
2021年度になると、研究室の学生はオンラインでのゼミしか知らないということになる。まちあるきなんかは時々行けたから、対面で会う機会が一番多かったのは研究室のメンバーだった。

5月に入ると飲食店のシフトも戻ってきた。
下北沢で働き始めると、夏は本当にたくさんの人が来た。
外なのに密だった。家から出る機会が増えると、1人静かに遠出することもあった。川崎から来たなんて言ったら怒られやしないかなんてビクビクしながらも、なんだかんだ移動はかなり多い1年だった。広島の市街地から何時間か電車に揺られて、三次まで行った。大阪に初めて寄った。香川で数日うどんを食べ続けた。2020年春以来の周防大島で宮本常一との出会いがあった。千葉の神崎でブルーベリー畑を開墾した。秋田から新潟まで下った。

5月に急激に全てが始まったので、そこからしばらくは目が回るほど忙しかった。夏休みも気付いたら終わっていた。
やっと再び一息ついたのは、10月末から11月頭のあたり。

本来なら大学祭が開催されるはずだった1週間。

バイトをして過ごすのも家でぼけーっとしてるのもなんなので、秋田に行った。漁船に乗せてもらって荒れた日本海に敗北したり、毎日温泉に入って海を眺めたり、慣れない運転と秋田の運転速度にビクビクしたり、白神山地の麓で車中泊をしたりして過ごした。道中、3泊車中泊をした。車の運転は慣れない上に山道や暗い道が多いので、運転するのは朝の7時から夕方6時まで。つまり、13時間は車内でぼーっとしている。道の駅に泊まって、早めに夕飯を済ませて、あとは朝まで眠る。11月の秋田は想像以上に寒く、2度くらいまでは余裕で下がった。家にあるはずの寝袋が見当たらず、コートとダウンと膝掛けだけで3泊も過ごしたのはどう考えても異常だと思う。夕方温泉で夕日をギリギリ見て、まだ明るさの残るうち井道の駅まで帰る。温泉から帰ってきて、とりあえず身体が温かいうちに一度眠る。それでも寒すぎて途中で起きてしまう。少し車の暖房をつけて、暖房を切って余熱で寝る。朝は6時頃になるとさすがにどうしても寝られなくなって、もそもそ朝ご飯を食べて朝日を見る。

白神山地麓の小さい道の駅はとても良かった。
真後ろには白神山地が迫り、目の前はすぐ断崖絶壁の日本海。
夜になると人の存在を一切感じない。
ただひたすらに静かで、車の中に閉じこもっているから風で揺れる木の音や動物の声は聞こえない。一晩ずっと暗闇に包まれた。怖さもあったしドキドキしたけれど、不思議な安心感もあった。身体にしみる、痛むほどの寒さすら心地よかった。

秋田から戻ると、また慌ただしくあれやこれやとやっているうちに日々が過ぎていった。授業はずっとオンライン。時々大学のバイトがあって、飲食店は波がある。12月末に大きめのプロジェクトの締め切りなんかがあって、12月はやはり記憶が飛ぶほど忙しかった。

やっと年末、ゆったり年を越せると思った。
だらだらして、少し作業をして、卒論でも進めて、余裕があればnoteの更新を、なんて。12月の過労が災いして、三が日は体調を崩した。ようやく風邪が治る頃にはもう冬休み明けで、慌ただしい1月が始まっていた。
2021年が、始まっていた。

2020年が終わり2021年が始まるというタイミングで、2020年はどんな年だったろうかと自分なりに振り返ろうとした。振り返ろうとするのだけど、いまいち思い出せない。記憶が飛び飛びで、時系列もよくわからなくなってしまう。確かに慌ただしく過ごしたが、部屋の中でパソコンを開いて向き合った世界に季節性が追いついていなかったのかもしれない。

2021年度が終わる頃まで思い出すことを反復してようやく、頭の中も整理されてきて2020年が区切られて思い出せるようになってきた。

ちょうど1年前。
未知なるウイルスがここまで世界に影響を及ぼすとは全く想像もつかなかった。せいぜいアジアで収まるだろうとか、今感染している人が治ればすぐ、なんて思っていた。想像を超えて長引き、これからもいつまで続くかは一般人には想像のしようもない。4月に『ペスト』を読んで無駄に絶望的な気持ちになったりもしたっけ。

これからも私の日常が続いていく中で、こうした日々があったことを思い出せたほうがいいんじゃないかとおもって、思いつくままにつらつらと書いてみた。もちろん2020年もっと色んなことがあったし、色んなところへも行ってるし、相変わらずたくさんの人との出会いもあった。zoomが広がったことで数年ぶりの再開もあった。

2020年が私にとってよかったとか悪かったとか、それは切り取り方次第としか言えない気がする。だから良かったとか悪かったとかよりも、少しだけ客観的に「何があったっけ、何をしてたっけ」を思い出しながら2020年、大学3年生の1年間をまとめて書いてみた。

災害にしても感染症にしても、なにか自分のためになることがあったからといって「コロナのおかげで大切な価値観に気付くことが出来た」とかをいう気は全く起きない。コロナが流行って世界がこうなってしまったから、それに合わせて行動を変えただけ。それによって進路や使命が変わった部分はかなり多くあるのかも知れないけど、ただ2020年の事実を羅列しておけばそれで十分なのかなという気がした。


1年間の記述にしてはずいぶんと短くて、自分の人生における重要な出会いと再会も、大きな出来事も、日々の小さな気付きも、とことん抜け落ちている。ただの写真のない雑記にしては長くてだらだらとしている。あまりに私の2020年みたいな文章を書いてしまった。(2021.03.20)

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