ぼくの株の話 part11
本当は小説家というかラノベ作家になりたかったんです。
でも儲からなさそうなのでやめました。
〇前回の話
https://note.com/ussi/n/n07fb504ed755
〇仕事を辞められるだけのお金
一億を超えた後も資産は順調に増え続け、そうするといよいよ当初の目的であった仕事を辞める、プリズンブレイクが現実味を帯びてきた。自分の自由を買い戻す。出所を早める。憧れの専業投資家である。人によってその金額は様々であろうが、自分としては三億辺りが一つの目安だと思っていた。というのも当時のそれなりのサラリーマンの生涯年収がそれくらいだと言われていたためである。その金額にも到達する未来が見えていた。ただ正直不安もあった。当時勤めていた会社は世間的に見ても、主観的に見ても悪い会社ではなかった。いやはっきりいっていい会社だった。給料は安いが、有給は年間20日間フルで使えていたし、年間休日は120日だった。仕事も正直楽勝だったし、残業は月2時間だった。20時間ではなく2時間だった。というかそもそも残業も0だとまずいかなくらいの感覚である。それに身分の問題もある。一流とは言えないにしてもそこそこ大手の一部上場の会社であったので、そこのサラリーマンというのは世間的に見ても、専業投資家という名の無職よりは通りは当然いいと思われた。
〇自分自身への不安
実際のところそこら辺はすべて誤魔化しで、本当のところは自分自身への不安で中々踏ん切りがつかなかった。より具体的に言えば仕事を辞めた後も本当に株で勝ち続けられるかということに対してまったく自信はなかった。要するに今の勝っていられるのは自分の実力などではなくアベノミクスのおかげであって(多分実際そうで)、市況が吹っ飛べばすぐにお金はなくなってしまうのではないかという不安がかなり大きかった(当たり前だが、仮に年間100億勝てる確信があれば多分秒でやめただろうと思う)。もし吹っ飛んでしまって資産がなくなってしまい、もう一度働こうとしても今のレベルの会社に勤めることはもはや不可能に近いだろうという感じである。
そういうわけで、いやいや俺ならいけるっしょ!辞めて自由に生きようとイキる日と、市況吹っ飛んだらおわりや、無職や底辺や・・・と不安になる日を躁鬱のように繰り返す日々が大体半年くらい続くことになった。ちなみにこの気持ちの振れ幅は当然その日の資産の増減によって引き起こされた。
〇先人のアドバイス?
そしてここでも出てくるのが怖い投資家の彼である。ある日、彼は言った。
「うしさん。いつまで仕事続けるの?」
それに対して僕は、いやいやそうはいってもかくかくしかじかと前述したような言い訳を彼に返したが、彼は笑ってこれに対してこう返した。
「たかだか数百万のために人生の貴重な時間を一日10時間とか支払うとかないでしょwwwwwwww何言ってんのwwwwwwwwww時間の無駄すぎwwwwwwwwもう明日辞めなよ。何なら僕が今から電話かけてあげますよ。辞めますって」
(こいつは自分が金ありまくりだからって簡単に言いやがって・・・また持ってる株暴落しないかな・・・。)
と思ったが、正直一理どころか百理くらいある意見であることはよくわかっていた。よし辞めよう。僕は決めた。
余談だがある時、彼を当時住んでいたマンション(1K19平米の独房みたいな部屋だった)のすぐ近くにあるめちゃくちゃうまいとんかつ屋に連れて行ったことがあったが、そのとんかつ屋がたいそう気に入ったらしく、店から出た後でポツンとこう言った。
「たまには庶民が食べるものもいいな・・・。」
僕はもう一度彼が株で痛い目見ますようにと祈らずにはいられなかった。彼はソドムとゴモラになるべきである。ちなみにその後、彼はとんかつにハマったらしく一時期めちゃくちゃ付き合わされてうんざりすることになった。
〇辞めるとは決めたが、そうはいっても不安なので・・・・
辞めるとは決めたが、ビビりな僕は保険を掛けたいと思った。サラリーマンなんてもううんざりなのに、ダメな時はスムーズに戻れるようにしたいと思った。我ながら哀れな社畜根性である。具体的に何をしたかというと国内のMBAに通うことにしたのである。これならば、2年の間はキャリアに穴が空かないので、仮にもう一度サラリーマンにならないような事態になったとしても、そこそこの会社に入りなおせるだろうという目論見である。それに純粋に久々に勉強するのもいいかなという気持ちもあった。
そういうわけで半分くらい嘘の志望動機を書き連ね、僕はそこそこの大学のMBAを受験することとした。首尾よく書類審査を合格し(ありがとう肩書・・・)、面接当日、会場に行くと自分以外はスーツである。服装は自由そう書いてあったから私服で来たのに・・・。いい年してまた大人の汚いウソにまんまと騙された僕、ちなみにその時来ていたシャツをだいたいこんな感じであった。
おいおい・・・こいつ面白おかしく書こうとして盛ってんなと思う人もいるかもしれないがマジでこんな感じのというか、このブランドのシャツを着て面接会場に行った僕。はっきりいって浮きまくりであったので若干というかかなりの不安を抱えて面接会場を後にすることになった。
その後、当然、いや幸いなことにMBAに合格し(ありがとう肩書・・・・)、その年の四月から数か月ほどは会社に通いながら通うこととなった。学校まで会社から2時間、家から一時間近くかかっていて我ながらよく続けることができたなと思う。それが可能になったのも会社がホワイトなおかげである。フレックスで16時には会社を後にして無理なく通うことができた。ありがとう会社、ありがとう理解のある上司。まさに感謝カンゲキ雨霰ってやつだった。今でも使う?この言葉。
そうやって数か月会社と学業をこなし、ついに僕は上長に会社を辞めると告げたのだった・・・。
〇次回
たぶん最終回「日本のそこら辺でヤメルと叫んだ社畜」
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