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ぼくの株の話 part1

 寒風に吹かれながら優待券を握りしめてマックに向かいながら何を書こうかなと考えて表題のテーマにすることにした。大損失を抱えたまま年を越すことになりそうです。ussiです。

〇始まり 

 自分がどうしても株を本気でやろうと思ったか、今となっては当時の気持ちというのは若干曖昧ではあるものの確かなこともある。自分が株を始めたのは2007年くらいでちょうどライブドアショックがあってサブプライムの問題なんかが表面化した時だった。でもその時の僕はネットゲームで稼いだお金で新しいゲームをやるくらいの感覚だった。たしか種銭は50万くらいだったと思う。今でこそ明らかにゴミみたいな株、今で言うと〇ラとかそんなようなものを買って損してる人たちを馬鹿だなとか思ってしまうんだけど、当時の自分はまさにその馬鹿そのものだった。

 ガチャガチャとトレードしながらわずかながらに増やしていき、1年で倍くらいになって超いい気になっていたところでリーマンショックを食らって増やした分が全部元に戻ってしまった。更に超下落のリバウンド局面で買ってしまい、その後の第二派で種の7-8割を溶かしてしまった僕は失意のまま一度相場から離れることとなった。自分は当時地方駅弁の理系大学院生で修論が忙しかったというのもあるが、とにかく一度心が折れてしまった。といってもその後すぐに就職して、現実を目の当たりにすることで再度株に挑戦することになる。

〇現実

 失意のまま僕が就職した会社は一部上場企業でそれなりにお上品な会社だった。あるメーカーの研究職として就職することとなった僕はそれなりに満足してその会社に行くこととした。正直なところ研究活動が嫌いですらあったが、不得意ではなかったし、何よりも待遇を考えたら自分とっては最高とは言わないまでも十分なものだった。

 配属先は横浜だろうということでそれもその会社を選んだ理由の一つだった。ずっと田舎暮らしをしていた僕は都会暮らしに対する強いあこがれを持っていた。横浜が勤務地となれば、プライベートは東京で過ごせる、これがわくわくせずにはいられるだろうか。

 でも新人研修を終えた時に告げられた勤務地は横浜ではなかった。関東圏ですらなく、地方都市ですらなかった。勤務地は静岡県の田舎だった。どれくらい田舎かといえば野兎が出るくらいの田舎だ。僕はショックを受けたが、今更会社を変えることはできないし、そうはいってもそこそこの企業だし、移動先で横浜に行くこともできるだろうと自分を慰めた。

 僕は働くことが大嫌いだったし、周りに忖度することも嫌いだった。でもそんな僕でも自分なりには新人らしくおとなしくしていたつもりだった。配属先で仕事を始めて数週間、そんなある日仕事を終えて帰ろうとすると上司に呼び止められた。うっし君ちょっとと。その瞬間に僕は前日に提出した実験報告書についてダメ出しでもされるだろうと思った。がそれは違った。上司は少しだけ告げることをためらう素振りを見せた後でこういった。

「うっし君。もう少し残業した方がいいよ。みんな残ってるでしょ。」

 僕はこの言葉を告げられて絶望した。仕事のクオリティを注意されるならわかるが、みんなが残ってるからもっと残業した方がいいとは何なのか。もともと大して評価の高くない上司、これが僕の中で完全にゴミになった。決して悪い人でも無能でもない。むしろ有能ですらあるかもしれないが自分の中で10年後こんな人間になりたくないと強烈に思ってしまった。でもこのままではなるだろう。新入社員に向けて、みんなと一緒に残業した方がいいという上司に。ついでに言えば上司の年収もわかっている。何年後にいくらもらえる。しかも割と出世してそれだ。本当に絶望しかない。このままこの田舎で会社の愚痴を言って年を取り、いつしか自分も上司になって新入社員からダサいおっさんだと思われるようになる。このままいけばほとんどそれは確定した未来だ。何とかしてその未来を変えたい・・・そう思った。でもどうしたらいいのか。僕にはまだそのビジョンはなかった。

続き

〇お金を増やすためのたった一つの冴えたやり方

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