「観客」としてできることは何か

8月が終わろうとしている。暑かった夏休みの日々を終え、仕事に戻るやいなやパートナーが胃腸炎になってしまい、夏休み中の子どもたちをみながら仕事をしたり、カンファレンスに登壇したりしなきゃいけなくなってしまい、てんてこまいだった。てんてこまっていたらいつの間にか、夜雨戸を閉めるときに秋の虫が聞こえていた。

今月は、オンラインで2回ほど「演劇の対話型鑑賞」を実践した。対話型鑑賞とは、多くは美術作品を前に参加者同士が対話する場を指す。ぼくがおこなったのは、同じ作品を観劇した人が、どんなことを考えたかを聞く場だ。

劇場という語の語源である「テアトロン」は「客席」を意味する語である。「芝居」とは「観客が芝に居る」から「芝居」であるという話を聞いたことがある。舞台上と同じぐらい、観客の存在は重要だ。観客がいるから演劇が成り立つ。観客とは誰で、どのように居てもらうのか、設定はさまざまなだが、観客を抜きにして演劇は語れない。

にもかかわらず、観客が観客として語ることができる場はすくない。演劇の対話型鑑賞は、そのような対話する観客をふやしていく試みとして、普及していって欲しいと思う。そんなわけで、今日は「演劇の対話型鑑賞」について書く。

演劇の対話型鑑賞、やってみた。

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