子どもが苦手だった話
ぼくはかつて子どもが苦手でした。いまでは教育サービスを作ったり、赤ちゃんについて本を書いたりしていますが、高校生のころは「絶対に子ども子どもなんかと関わりたくない」と思っていました。今日はちょっと気分を変えて、自分の話を思い切り書いてみたいと思います。
もしかしたら、この文章を読む人のなかに、親や先生や保育士になった人でも「本音を言うと子どもが苦手だ」という人もいるかもしれません。
「親」「先生」という役割のせいで「子どもを好きであるべき」と強要されているように感じ、本音と役割のあいだで苦しみ、自分の人間性に問題があるのだと不用意に自分を傷つけている人もいるかもしれない。
もしそういう方がいたとして、「赤ちゃんって面白いでしょ〜」と言い続けているこのマガジンは読まないかもしれませんが、ぼくも「赤ちゃんはおろか子どもって謎だし意味不明だし苦手」と思っていた人間です。
なにかまとまった知識や技術が知れるようなものではないですが、少しでも誰かの役に立つかもしれないので、書いておきます。
5000字の長文ですので、ごゆっくりお付き合いください。
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18歳ぐらいのぼくがどれぐらい子どものことが苦手だったかというと、電車の中で、サッカークラブ帰りの小学生たちが騒いでいるのをみると、苦しくなって車両を移動していたくらいです。
学校の課題などで子どもの面倒を見なきゃいけないときには「なんでこんな無駄な時間を過ごさなきゃいけないんだ」と思って拒絶していました。小学生が書いた標語やポスターを見ると「大人が喜ぶことを答えている、あざといやつらだ」と思っていました。
街角で小学生の女子達がこそこそと話をしているのを見ると、自分のことをとやかく言っているような気がして、自分が小学生のころに女子たちにいじめられていた惨めな気持ちを思い出していました。色々挙げられますが、こんな感じです。
とにかく子どもの姿を見ると嫌な気分を思い出してしまって、子どもとは疎ましいものであると思っていました。ついでに言えば、子どもだけでなく、自分に生きづらい時間を与えた教師たちを恨んでもいました。「教育」という仕組みそのものへの強い嫌悪があったのだと思います。まぁ、よくある話かもしれません。
そんなぼくも高校3年生になるころ、大学受験で美大を志し、映像を撮ったり、立体作品を作ったりしていた時期がありました。初めて自分で意志決定し、自分の分身たる作品が他者の前にさらされるヒリヒリした心地よさを感じました。そんななかであるときふと「子どもたちに作品を作って他者に見せるという経験を与えたい」と思うようになりました。
もし、子どものうちからこんな体験ができたら自分はもっと生きやすかっただろうに。もし、子どものうちから自分で意志決定する力を養えたら、友達のあいつはあんな生きづらそうにしてなかったんじゃないか。いじめっこだったあいつは他人の気持ちになれたんじゃないか。もし、子どものうちから創造的な体験を積むことができたら、つまらない大人が減って、世界が楽しくなるんじゃないか。
あれほど嫌悪していた「教育」に自分が手を出すことになろうとは自分でも意外でしたが、それも面白いと思いました。今思えば、その気持ち自体は悪いものではないと思います。しかし、子どもが苦手だったぼくを子どもと関わることに駆り立てたのは「自分の記憶を書き換えたい」という利己的な欲望でした。
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ひょんなことから「子どもに作品をつくって他者に見せるという経験を与えたい」と思い立ってからというもの、美術や創造性の教育に関心を持ち、いろいろと調べまわるなかで「ワークショップ」という考え方に出会いました。プログラミング教育を実施するNPOで子ども向けワークショップのスタッフになったのは、美大受験に落ち、あてもなく浪人をはじめたころでした。
実際に子どもたちに関わってみると、一筋縄でいくものではありませんでした。生意気で不躾。調子にのると背中を叩いてきたり、言うことを聞かず、からかってきたり、こちらが言っていることを理解してくれなかったり、よくわからないタイミングで飽きてどこか行ったり、ママに会いたいと言って泣いたり。「ちくしょうやっぱり苦手だこいつら・・・」という気持ちで、歯を食いしばって関わっていました。
ですが、ワークショップの設計方法や、子どもの認知・発達、ファシリテーターとしての関わり方などを勉強してみると、だんだんと子どもの扱い方がわかってきて、子どもを少しずつコントロールできるようになっていきます。
20歳ごろになってあるていど技術も身についてきたぼくは、子どもをコントロールすることに必死だったように思います。他人と競うように、子どもに好かれようとしました。自分の周りに子どもがあつまり、自分のワークショップを思うがままにこなしてくれると、すぅっと承認欲求が満たされていくのを感じました。「ああ、ぼくは子どものころ自分がほしかった大人になれている」と、何かをミスリードしたまま悦に入っていました。今思えば、危険な陶酔です。
そんな自分の状態に違和感を感じながらも、子どもたちがぼくに注目することで肥大化していく自尊心を止められず、後戻りできないところまでいってしまいました。具体的には書きませんが、自分が満たされることを優先するあまり、その他の大事なことに手を回さず、一緒に子どもと遊んでいた仲間も、子どもたちと関わる機会も、離れていってしまいました。
26歳のときでした。今思えば、最も辛かった一年でした。子どもを自分の承認欲求を満たすための道具にしていたこと。一緒に子どもと関わる仲間を敵対視し、「おれの方が子どもに好かれている」とマウンティングに躍起になっていたこと。自分の思う通りに子どもをコントロールしようとしていたこと。こんな自分はもう子どもと関わることも、ワークショップをすることも、できない、というかやるべきじゃないかもしれないと思いました。
ただ、やり方は間違っていたが、望んでいたことは間違っていなかったはずだと、どん底まで落ち込んでいるなかでも、どうしても絶望しきれていませんでした。
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ぼくはどうにも諦めが悪く、結構しつこい性分で、子どもとの関わりはぼくの青春でもあるし、もう一度やり直してみようと思いました。ただし、これからは自分の人間性と、子どもと関わるときの役割を切り分ける。そう心に決めて、学童保育のアルバイトからはじめました。
「臼井隆志」である前に「学童のお兄さん」である。ぼくの身体に、学童のお兄さんらしい言葉や仕草を入れていく。それはロボットのように振舞うということではなく、自分の人間性と役割を切り分けるということでした。それはそれで、社会に適合していくことの心地よさのようなものがありました。
しかし、そうしていくうちに、あることに気がつきます。感情を排して、淡々と関わることを肝に銘じてやっていても、どうしてもふと笑ってしまう瞬間がある。それは子どもたちの、名前のない仕草たちに出会うときでした。
ケンカをした友だちに謝れなくてトイレにこもったり、ドッジボールで当てられてのたうちまわって悔しがったり、人前で発表をするときに緊張してしきりにズボンのすそをひっぱったり、クイズに正解して目をひんむいて喜んだり、麦茶をおいしそうにぐびぐび飲んでこぼしたり、初めて出会う大人をまえに疑惑と興味の入り混じった目を向けたり、おやつの時間が嬉しすぎてヨーグルトと茎わかめを一気食いして吐き戻しそうになっていたり、脈絡なく耳を貸せといい大事な秘密を教えてきたり。
本人たちは一生懸命生きているだけなのに、ある感情が突然域値を超えたときに予想外な仕草になって現れる。そういう瞬間に出会うたびに、ふわっとした笑いがこみ上げてしまって、笑うべきじゃないところでも、どうしても笑ってしまって「何笑ってんだよ!」と子どもに怒られても、「あいやいや、ごめんごめん」といいつつ、まだニヤついてしまって、そういう瞬間があることに気がついたんです。
でもそうやって笑ってしまうことは、そのときはじまったことではありませんでした。子どもと関わることを始めてからずっと、そういう仕草が面白くてしかたなく、なぜそうした仕草が面白いのか、いまでもわからないのですが、なんというか、命に触れているような気がするからなのかもしれません。
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ぼくたちは他者に期待された役割を演じ、固定化させるように生きている。でも、ぼくも、もしかしたらこれを読むあなたもそうであるように、本当はいつもゆらぎの中に生きている。
他者の期待という枠におさめることができない名付け得ぬ癖やゆがみや夢をぼくたちはもっていて、あるきっかけで固定化していたはずの枠がゆらぎ、身体に現れてしまう瞬間がある。子どもたちは無自覚なままゆらぎの瞬間をぼくたちに見せてくれる。
「学童のお兄さん」という役割に自分を固定させてみたことで、子どもの振り切ったエネルギーに出会った瞬間、自分がゆらいでふわっと笑ってしまう。そういうとき、本当はほとばしる美しいエネルギー体である子どもたちの命の端に触れたような気持ちになる。
ぼくはそうして、18歳の頃に子どもたちに出会い直して以来ずっと、彼らを素敵な人たちだと思っていたことに気がつきました。というより、そういうことにしました。
子どもの、うるさくて生意気で、調子にのると叩いてきたり、目の前でヒソヒソ話をして心を傷つけようとしたりするところは、残酷だし、好きにはなれません。心も身体も痛い。ただ、それを差し引いても、熱狂する感情の高エネルギー体である子どもたちの、メーターを振り切ったときに現れる仕草の数々を見ると、そのほとばしるエネルギーを保持したまま大人になってくれと、願わずにはいられない。
大人になっていくにつれて、エネルギーの節約の仕方をわかっていくのだけど、体の奥底に、高速で渦巻く感情の小宇宙を、凝縮し、持ち続けてくれ。そしてここぞというときに、そのエネルギーを全力で解き放ってくれ。そういうふうに生きてほしいし、大人がこの世界をどうかたちづくっていくかによって、それは可能だと思うわけです。
そしてもうひとつ思っていたことがあります。
世の中には、そのようなほとばしるエネルギーを保持したまま大人になった人もいて、そういう人たちが作る物事はとても面白いのです。
あるとき妻に「あなたが子どもの仕草を見て笑っているときと、アートを見て面白がっているときは、ほとんど同じ顔をして笑っている」と言われたことがあります。
非合理で、名付け得ず、文脈を裏切って現れる物事という点で、アートが描くものと、子どもの生きる姿はよく似ているように思います。人と関わることの本質は、与えることではなく、見ることなのかもしれないなと。
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なんというか、こういう経験をとおして「自分が注目のまとになりたい」という欲望が「人間のほとばしるエネルギーに出会いたい」みたいなことにすり替わっていったんですよね。自分の欲求の満たし方が変わっていった。
「子ども時代の苦々しい記憶にたいして復讐をするのだ」という心持ちから「美しいものごとに出会いたくて旅をしている」という気分に変わっていったというと、よく書きすぎかもしれませんが、そんな感じです。正直な話をすれば、注目をされるのは今でも大好きですし、人前に立ってワークショップをしてうまくいったらそりゃ嬉しいですよ。そうでなければnoteやってないかも。
でもぼくの喜びはもうそれだけじゃない。人間の予想外な美しさに出会うことだし、好きな小説や映画について語り合うときの気分のように「人間のこういうところって美しくて面白くない?」と話し合える仲間にこれからも出会いたいと思っています。
そんなわけで、自分の仕事は、子どもと関わることではなく、大人に向けて「子どもの見方や関わり方をシェアする」ということに変わりました。
子ども専門と思われることも少なくないですが、大人向けの仕事もしています。ワークショップを仕事にすることは、人の、子どもの頃に持っていたはずのエネルギーを呼び覚まし、創造性に火をつけることでもあるので、奥底のところでいろんな人の子ども時代と接続し、出会いなおし、再構築しているような気持ちで、ワークショップを作っています。非合理で、名付け得ない、文脈を裏切ってでも現れてしまうあなたのゆらぎに出会いたい。
もし「いま子どもと関わる立場にいるのだけど、本音を言うと子どものことが苦手でつらい」と思っている人がこの文章を読んでくださっているとして、ぼくにたった1つ言えることがあるとすれば、「あなた自身の苦しみを大切にしてほしい」ということです。
自分の子ども時代に何か辛いことがあったことが要因かもしれませんし、別の要因かもしれませんし、原因を取り除けばいいというものでもないかもしれない。ぼく個人の話をすれば、「いま手元にある条件のなかで、自分がどんな風景を見たいと思って生きているか」ということに合点がいったときに、苦しみが癒えていったように思います。
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長くなってしまいました。個人の経験の話を、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
本当はこの話の延長で「小学生や就園児とは楽しく関われるようになったけど、赤ちゃんのことは全くわからんぞ」と思った話までつなぎたかったのですが、またいつか書きたいと思います。
トップの写真はワークショップを学び軌道にのりはじめた20歳の頃のぼく。世の中の全てを自分の思い通りにできると思っているかのような、調子に乗った笑いを浮かべていますね。
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