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10年後のまちの風景を想像すると、美濃加茂でカレー屋をやる方がワクワクする|地域のイノベーター見聞録〈美濃加茂版〉Vol. 1 高木健斗/カレーショップ「らんびー」

『地域のイノベーター見聞録〈美濃加茂版〉』は、2023年4月より岐阜県美濃加茂市に住み始めた小野寺(地域想合研究室.note編集部)と、2022年10月にこのまちでカレーショップ「らんびー」をオープンさせたばかりの高木さんのふたりでお届けする、新聞で言うところの地域版をイメージした連載企画です。
美濃加茂市は人口6万人、名古屋まで約1時間と好アクセスのいわゆるベッドタウンです。それだけ聞くと全国のどこにでもありそうなまちに思えてきますが、それはあくまでも表層のイメージです。美濃加茂に限らずどのまちにだって、そこにしかない暮らしの楽しさがあるはず。
われわれは、まちで長く商売をされている方・まちに住む海外の方(美濃加茂は人口の約10%が外国人)・近年移住されてきた方・行政の方、あるいは上記に限らないこのまちに関わるさまざまな方からお話を聞きし、それを記事にしていきます。
記事を通して美濃加茂への理解を深めながら、「このまちの魅力とはどのようなもので、それはいかに形成されているのか?」「まちで精力的に活動する地域のイノベーターたちのモチベーションはどこから生じているのか?」といった、おそらく多くのまちに共通するであろう、街づくりの疑問を探ることも試みます。美濃加茂における街づくりのワンシーン・ワンシーンを高木さんと共に、ここに住みながら追いかけてみたいと思います。

見聞録〈美濃加茂版〉を始めるにあたって


私は今、岐阜県美濃加茂市の美濃太田駅の近くに住んでいます。2023年の4月に越してきて、気づけば3ヶ月が過ぎようとしています。中部地方に住むのは人生で初めてです。
移住ではありません。妻が隣の白川町(美濃太田から車で1時間弱)に転勤になったので帯同しました。知らないまちに住めばきっと新たな出会いがあるはず、そう思うとワクワクします。それに、もしも友達ができなくても妻が一緒なら不安なことはありません。
猫を飼っています。だからわれわれが住む部屋はペット可物件でなければなりません。妻の職場付近にペット可物件は0件でしたが、美濃加茂市になら3件あるよと賃貸物件検索サイトは教えてくれました。よってわれわれはその中で周辺環境的にいちばん便利そうな物件をチョイスしました(家賃の上限額を定めた上で検索しています)。
何をもって私が「ここは便利そうだ」と判断したのかというと、徒歩圏内にスーパーマーケット・ドラッグストア・コンビニエンスストア(これで食料に困らない)・駅(名古屋まで40分)・喫茶店(噂のモーニングというやつに行ってみたい)・木曽川や川沿いの公園(運動したくなるかもしれない)があるという、ある種表面的な要素が理由でした。何よりも車の運転が怖い私は、できる限り徒歩(または自転車)で生活する必要があります。それが美濃太田周辺であれば可能であると思ったから、この場所を選びました。

「たまたま」住むことを選択した美濃加茂のまちですが、ひと月も住んでみると上記で挙げた表面的な要素は利用しつくしてしまい「もっと楽しく暮らしたい」「まちの一員になれないだろうか」という欲がわいてきます。そんな中で出会ったのが、私と同い年で「らんびー」というカレーショップを自身の地元、美濃加茂に開業したばかりの高木さんでした。彼のお店でカレーを食べ、同じカウンターで食事するほかのお客さんとお話する中で、まちのカレー屋という存在がこの地域に与えているエネルギーの大きさに驚きました。そして高木さん自身も、ほかのさまざまなまちの「先輩たち」の存在があるからこそ、このまちで自分のやりたいことを実現するために日々前進し続けられているのだと知りました。だから、そうした「地域のイノベーター」たる方々から話を聞くことができれば私自身まちを見る解像度が上がり、まちでの体験がもっと楽しいものになるだろうし、高木さんも、ひいてはこれをお読みになってくださっている方々にも新しい学びや気づきをお届けできるかもしれない、そうだったらいいな、と思いこの企画を始めました。
前置きがずいぶんと長くなってしまいました。今回の記事は初回として、本シリーズの案内人的人物である高木さん自身について紹介するインタビューをお届けします。美濃加茂で育ち、自身のお店を構えるに至った彼の言葉の一つひとつに、私はハッとさせられました。まずは、美濃加茂市のカレー屋・高木さんを通して、このまちを覗いていきましょう。(小野寺/編集部)

高木健斗さん。らんびーの入り口にて。(このほか特記のない撮影:編集部)

「面白いことを見つけて、つくっていく」が自然とできるまち


──最初は、らんびーの可愛らしい看板が目に入ったので思わず入ってみたんです。メニュー表のいちばん上のカレーを頼んで、出されて、美味しくて、シャニムニ食べていました。すると高木さんから「今日はどちらからいらしたんですか」と声をかけてもらって。久しぶりに他人と話すのが嬉しくてしかたがない私は、その場で高木さんや美濃加茂のことをばーっとお聞きしてしまいました。その時の話とオーバーラップする部分もあるかもしれませんが、いま一度高木さんの来歴についてお話いただけますか?

僕は美濃加茂で生まれて、そこから小中高とほとんどの時間を美濃加茂で過ごしました。その後、愛知県の大学に進学しましたが実家から通っていました。僕だけじゃなく、美濃加茂から愛知の大学へ通っている学生は多かったですね。ただ僕は、こっちで地元の友達とバンド活動をしていたこともあり、大学の講義が終わるとすぐに帰ってスタジオに集まるみたいな生活を送っていました。音楽で食べていきたいなと思って地域のFMで番組をやってみたり、全国にツアーをしに行ったりとバンド活動には一所懸命でした。でも、なかなかそれを仕事にできなくて、結局僕はバンドから脱退したんです。そこからカレー屋を目指すことになっていくんですけど、まずは開業資金を貯めるために実家から通える範囲で就職先を探してそこで4年間勤めました。その後、カレーの知識や飲食店のいろはを学ぶために名古屋に越して某インド料理店で4年ほど働きました。そして2022年の10月8日、この日は僕の30歳の誕生日だったのですが、そのタイミングで「らんびー」をオープンしました。

──愛知県の大学に通っていたと言っても講義が終わったらとんぼがえりだったということは、インド料理店で働くために名古屋に住んだ時期以外はずっと美濃加茂で暮らしていたんですね。ずっと美濃加茂を見ていた高木さんにとって美濃加茂はどんなまちですか?

ひと口に美濃加茂市と言ってもそれなりに広いのですが、美濃太田駅を中心に考えると、かつては駅前から木曽川沿いの中山道一帯まで巨大な歓楽街だった駅の南側のエリアと、今も新興住宅地が増えている北側のエリアに分けられると思います。正直言うと、僕は高校生くらいまでは駅の南側へほとんど来たことがなかったんです。もちろん中山道があって、そこで商売をされている方がいるのは知っていたけれど、僕らがいく場所ではないみたいな勝手なイメージがあったのかもしれません。
僕が生まれ育ったのは駅の北側で、幼少期から愛知の大学に通うようになるまでは、このまちでの暮らしになんら不満を感じませんでした。ベッドタウンということもあって、暮らすと言う面では近くにショッピングセンターや、娯楽施設もあり不自由はありませんでした。それに近くに川や山もあって、自然の中で遊ぶことも好きでした。今でもやはり住みやすいまちだと思っています。一方で大学に入るとそれまで経験したことがない刺激がいっぱい入ってくるので、「地元には面白い場所があんまりなかったのかも」と、なんかこう、劣等感じゃないですけど、例えば大学でできた友人は古着屋さんとかレコードショップとかそういうところに中高生の頃から行ってたりしていて。そういう話を聞くと、何も知らずに育ってきたんだな、と思うことも多少はあったのかなと思います。

木曽川。美濃太田駅から川まで歩いて15分もかからない。
美濃太田駅北側の幹線道路。スーパーや飲食店、衣料品店などが建ち並ぶ。

──美濃加茂といえばこれ! というものはあるんですか?

自分の勉強不足もあると思いますが、美濃加茂市は「これが自慢」とパッと言えるものが特にないまちだなと思っていました。近隣の多治見市に限らず東濃エリアは陶器のまちとして有名ですが、美濃加茂は周囲の市に比べるとそうした目立つ要素が少ないかもしれません。
ただ、目立った特色がないとか、遊ぶところが少ないまちだと大学生になって感じた時に、何もないからこそ生まれるものって結構あるし、それって良いよなとも思ったんです。と言うのも、僕自身がそこまで用意された遊び場やアクティビティを欲していなかったからなのかもしれませんが、例えば友達と川に行って川の石に絵を描いたりとか、自分たちでシルクスクリーンでTシャツを刷ってそれを着て撮影してみたりとか……バンドにのめり込んでいたこともそうですが、自分たちで面白いことを見つけてつくっていくことを自然とやれる環境だったと今振り返ると思いますね。
それこそ、この店の看板のイラストを描いてくれたアーティスト/キュレーターで、表参道でMATというギャラリーをやっているトマソンという友人は地元が一緒で。そういう友人たちと自分たちで何かをつくって遊ぶことが大人になってからも多かったですね。

らんびー店内には色々な物が飾られているが、その中でも一際目を引くトマソン氏のフィギュア。

カレーとの出会いと、美濃加茂でチャレンジする面白さ


──あくまで高木さんの見た美濃加茂ではありますが、少しずつ美濃加茂ってこんな感じかな? というイメージが浮かび上がってきました。今度は、カレーのことをもう少しお聞きしたいです。どうしてカレーだったのでしょうか?

先ほど、夢半ばでバンドを抜ける選択をしたと話しましたが、それが大学3回生の時でした。その時期は、これからどうしよう……と、特にやりたいこともなくて、就職するのもなんか嫌だなと悩んでいました。そんな時、服が好きだったので友人と服屋さんに出かけたんですけど、そこにキッチンカーでカレーを出している人がいて。そのカレーを何の気なしに食べたら、「こんなカレー食べたことない、めちゃくちゃ美味しい!」って、すぐにファンになっちゃったんです。調べたら愛知県の蒲郡市でお店をやっていることが分かりました。当時はそのお店もオープンしたてだったのかな。それで別の日に友人と昼ごはんに蒲郡の店舗に行ったら、キッチンカーで食べた時よりもまた一段と美味しく感じて。感動したあまり夕飯にもそのカレーを立て続けに食べたのを今でもよく覚えています。自分も誰かの心に残るようなカレーを提供できたらいいなというか、その店主も当時はひとりでお店をされていて、単純にカッコイイし憧れるなって感じたのが、僕がカレー屋を目指したきっかけですね。

──大学3回生の時にカレーとの出会いがあって、その後一度就職されていますよね。

その就職も、カレー屋になるための就職だったというか、家から通えて資金が集められればいいみたいな考えで、4年で辞めるっていうことも最初から決めていました。そのことを周りの友人にも話をしていて。そこまで言ったのにできなかったらダサいじゃないですか。そうやって自分に発破をかけていました。それに僕が脱退した後もバンド自体は続いていて、彼らはずっと夢を追っていたし、僕はそこに行けなかったっていう自分の弱さも感じていました。バンドの仲間も頑張っていると思えばこそ、自分もカレーという新しい夢を追い続けることができました。
最初の就職先は4年で辞めたわけですが、当時の同僚やお得意先の方がカレーを食べにきてくださって、地元で就職して良かったなと思っています。

──サラリーマンの後に、名古屋のインドカレー店で本格的な修行を積まれましたが、名古屋ではなくここ美濃加茂でお店を始めたのはどうしてですか?

美濃加茂でお店をやることは、もともと決めていました。それは、自分が挑戦するのが好きな性格だっていうのが根底にあるのかなと思います。もちろん働いていた名古屋でお店をやるのもビジョンのひとつとしてはありました。でも、長い目で見て「これからカレーで食っていくんだ」と考えた時に個人飲食店が少ないこの美濃加茂市みたいなエリアでお店をやった方が、大変なことももちろん多いだろうけど、それを10年間続けた先に自分が、あるいはまちがどうなってるかなって想像すると、こう……よりワクワクするじゃないですか。僕はそっちの方が面白いと思ったんですよね。

高木さん。らんびー店内にて。

──そのよりワクワクする・より面白いっていう感覚はどういうものなんでしょうか?

ないところにつくるっていう感覚の面白さだと思います。名古屋であればすでにカレー屋さんはたくさんあります。もちろんカレーにもさまざまな種類があるので、ほかと違うことを名古屋でやればいいのかもしれないですけど。でも、なんとなく名古屋で活動していてどれくらいのお客さんが毎日来て、家賃がこれくらいで売上がこれくらいでみたいなことが──何ひとつ分かっているわけではないものの──分かっていたような気もしていて、僕としてはそこにあまり魅力を感じなかったんです。それよりも美濃加茂みたいなお客さんが来るか分からないまちでやってみて、お客さんが来る状況に持っていくために試行錯誤する方が面白いはずだと。このまちは、「絶対に成功できる」って自信を持って店を始めるところではないと思うんです。美濃加茂市の中でも北側エリアの方が人の往来が多いし、人が働く場所も多い。どちらかというとこちらの南側のエリアは一度廃れてしまった──と言ったら言い過ぎかもしれませんが──今はあまり人が仕事をしている場所ではないというか……だから、店探しの時はこのエリアで商売されている人に話を聞きに行ったりもしました。でも、みんな口を揃えて「大変だよ」と言っていました。ただ同時に、彼らを見て、自分がやりたいこと・好きなことを好きに表現するには最適な場所だとも思ったんです。

──大変なこともたくさんある分、自分の好きなことを素直にやっていける場所だと。

そうです。人から見つかりにくい場所でやっていた方が、結果が出た時にそれがより自分自身の成果として実感しやすいと思うんです。このお店は広告費はかけていなくて、いわゆるグルメサイトだったり地域の広報誌に宣伝を出したことはないんですけど、それは通りすがりの人が初めて来店してくれて口コミで広がっていくような店でありたいからです。そのありたいお店像に近づくには美濃加茂は良いまちだと思うんですよね。

──(2023年7月)現在、らんびーがオープンして半年以上が経過しましたが、実際に営業されてどうですか?

今来てくれているお客さんの8割か9割くらいが、このエリアに住んでいて仕事をしている人、もしくは結婚されて主婦をされている方ですね。近くに住んでいる方に多く来店いただいています。やはりお客さんが近所の方に紹介してくれて、その方も来店してくれて……といったことが多いです。なので、お客さんに「○○さんが美味しかったって言ってたから、来てみたよ」なんて言われることもよくあって、それは嬉しいですよね。

──個人的にカレー屋さんって、子どもからご年配の方まで、万人にウェルカムな場所だと感じていて、それがカレー屋さんの強いところだなと思います。らんびーの内装も、すごくポップで新しい感じもあるし、一方で誰でも入りやすい落ち着いた雰囲気もありますよね。

もちろん、僕はどなたにだって来てほしいと思って仕事をしていますけど、まずは、そう思ってもらえることが嬉しいですね。ひとりで営業していることもあり、できるサービスは限定されてくるんですけど、なるべく小さなお子さんからご高齢の方まで、ひとりでも家族でも、常に来やすい場所にしたいという思いはあります。甘口・中辛・辛口の3種類を常にメニューに盛り込んでいるのもその想いがあってのことです。やっぱり、カレーは好きだけど辛いのは苦手だって人もいますし、一方で、もうちょっと本格的なインドカレーが食べたいっていう人もいる。街のカレー屋的な機能ももちろん果たしたいし、カレーをこよなく愛するカレーファンたちにも応えていけるお店を目指し続けたいです。

らんびー外観。
らんびー店舗入口。

── 一般的にカレー好きな人って、どんなに遠方からでもカレーを求めてやってくる……という話をよく耳にします。特に今はSNSがあるので、仮に周囲に何もなかったとしても、特定の店舗が目的地化しやすいですよね。

カレー屋さんの強みというか、カレーという食べ物が持つパワーは感じますね。カレーが大好きでこのお店をSNS等で見つけて来てくれた人と、近所のおじいちゃんとかサラリーマンの方が同じカウンターに並んでカレーを食べている姿は、結構グッとくるものがあります。

──それは嬉しい光景ですよね。そういえば、らんびーに来ると、同席しているお客さんと話しやすいなと感じるんですよね。

お客さん同士を繋げることも自分の仕事のひとつだと思っています。自分自身、お客さんと会話をすることが好きですし、例えば会話の中でこの人はインドに行ったことがあると知ったら「じゃあ、あの別のお客さんと共通の話題があるだろうな」と思ったりとか。もちろんひとりで黙々と食べたい人もいるのでその辺りは気をつけますが、お客さん同士が繋がっていくのを見るのは嬉しいですよね。

らんびー店内。
甘口のチキンカレー。このほかに中辛と辛口のカレーが常時ラインナップされている(2023年7月時点、写真提供:高木健斗)

まちの先輩・行政・大家さんの存在

──ここまでお話をお聞きして、高木さんが思う、美濃加茂でお店をすることの楽しさや意義が分かってきたように思います。とはいえ、大変なことが多いのも事実なのだろうとも思うのですが、そういう時に周辺で頼れる人・相談できる相手はいるのでしょうか?

中山道で2009年から商売をされているコクウ珈琲のマスターにはよく相談に乗ってもらっています。らんびーを開業する前に美濃加茂市のレンタルスペースを借りて6日間限定でカレーを出したことがあったんですが、その時もマスターに挨拶しに行ったんです。そしたら、マスターはすごい情に厚い方なので、こんな誰なのかよく分からないヤツが出すカレーを買いに来てくれて。マスターは僕がもともと勤めていたカレー屋も好きで、今もらんびーによく食べにきてくれますし、お店の経営に関する相談にも乗ってもらっています。

──開業前、コクウ珈琲のマスターにはどのような相談をされていたんですか?

物件探しの相談が多かったかもしれません。僕は開業の2年ほど前から本格的に物件探しをしていて、中山道沿いの店舗も視野に入れていました。最初はコストが抑えられる居抜き物件を探していたんですが、そもそも中山道にはあまりお店がないこともあり、結果的に中山道から一本北に入った、市役所や警察署が位置する旧国道21号沿いの空き家を借りて改装することにしました。物件は、美濃加茂市の空き家バンクを利用して見つけました。

──らんびーの店舗は元は民家だったんですか?

空き家として貸し出していたので、普通の家でしたね。大家さんとしては、家として貸し出す予定で空き家バンクに登録しているので、カレー屋が入るのは想定外だったと思います。市の職員を通じて大家さんと直接お会いする機会を設けてもらって、自分がやりたいことや、どれくらい改装したいのかを説明させてもらったところ、快くOKをいただけました。賃貸なんだけどここで好きにお店をやってもいいよと、応援してくれています。

──空き家バンク、良い制度ですね。そのほか、開業にあたり市の補助金も利用されましたか?

美濃加茂市には改装費用の2/3(上限100万円)を補助してくれる制度があり、それを利用しました。また、家賃補助の制度も利用しています。いくつか種類があるのですが、僕が選択しているものは1年間の家賃の1/2を開業から1年後に受け取れるという形のものですね。それぞれ大きな額なので助かっています。特に開業1年目はリピーターがなかなか付きづらい時期だと思うので、こうして補助金をいただけるのはお店を始める上ですごくありがたいです。

地域のイノベーター見聞録〈美濃加茂版〉のこれから


──お話されていたように、サラリーマン時代から開業資金をコツコツ貯めてこられたのも大きいですが、行政のサポートも重要ですね。
ありがたいことに高木さんには、『地域のイノベーター見聞録〈美濃加茂版〉』の今後の取材にも協力してもらえることになりました。この企画の中でどんなことに期待していますか? 自分、あるいは私(小野寺)、または美濃加茂のまちがちょっとでもこんな風になったらいいな、など何か想いがあれば最後にお聞きしたいです。

たまたまらんびーの近くに越してきて、たまたまカレーを食べてくれた人と友人になれたわけですが、その友人がやっていることは素直に応援したいし、自分が協力できるのであれば力になりたいと思っています。何よりも、これから自分が商売していく中でのヒントが転がっていると思うので、純粋にこの企画が楽しみです。
僕はお店がオープンしてから1年にも満たないので、やはりまちで長く商売をされている方にアプローチしてみたいですね。美濃加茂で10年お店を続けてみるとどんな想いが生まれるんだろうとか、10年経った後の目標とか、今どんな気持ちで仕事をしているのかとか、聞きたいことがたくさんあります。

──高木さんは、今どんな目標を持ってやっているんですか?

もちろん、できる限り長く続けたいです。今はとにかくそこですね。まずは自分にブレずに仕事を続けることが大事だと思っています。そうすれば、どこかのタイミングで僕と同じようにこの場所で商売を始めたいという方が現れるかもしれません、そういう人がひとりでも増えればいちばん嬉しいですよね。すごく応援するだろうし、飲食店ならたくさん食べにいくだろうな。

──共に頑張っていこうみたいな感覚ですか?

厳密には「一緒に頑張ろうぜ」という感覚とは違うんですよね。このまちにもいろいろなお店があって、僕も行ったり、そのお店の方がらんびーに来てくれたりということがあります。そうした店主の方々に会うたびに、互いにあまり干渉せずに、各々が好きなことをしっかりとやっていると感じるし、その状態がいちばんだなと思うんです。そこに、好きなことをやる個人がひとり、またひとりと増え続けたなら、それは嬉しいに違いありませんよね。

──今日はありがとうございました。チャイもごちそうさまでした。今後一緒に記事をつくっていけることが楽しみです。高木さんは、まちで商売をやられている先輩の話をお聞きしたいと言っていましたね。私も美濃加茂に暮らすブラジルやフィリピンの方にこれからアプローチできたら、また違った視点から話が聞けて勉強になるだろうなと思っています。
いろいろな方々にお話を聞いて、最後に彼ら全員をらんびーに集めて一緒にカレーを食べる会を開催する、というのをやってみたいんですよね。それを実現するためにも、私もブレずにこの企画に取り組んでいきたいです。

旧国道21号からの眺め。

取材・編集:小野寺諒朔(地域想合研究室)
編集補助:福田晃司、春口滉平
デザイン:綱島卓也