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〈ブラブラ〉が育まれるまち_東池袋エリアから考える(前編:住み暮らすことが育むまち)|「都市空間生態学から見る、街づくりのこれから」vol.9

2015〜2020年にかけてNTT都市開発・東京大学Design Think Tank(DTT)・新建築社の3者で行われた共同研究「都市空間生態学」の紹介と、それに紐づく「いま考えるべき街づくりのキーワード」を、同研究の主任研究者を務めた木内俊克氏が紹介します。当時の試行錯誤を振り返りながら、いま私たちが街づくりを考える上で必要なエッセンスを発信します。

文:木内俊克


〈ブラブラ〉が育まれるまち。それは自転車や歩きでめぐりたくなるきっかけがそこかしこにあって、偶然見かけてついつい寄り道したくなるような場所が、宝探しのように点在しているまち。前回、前々回の記事では、そんなまちの魅力を具体的に捉えるため、都市空間生態学研究で2016~2017年に研究対象とした台東区の三筋・小島・鳥越(以下、三小鳥)を紹介した。この三小鳥、用途地域は「商業地域」で、かつては江戸随一の遊興地・浅草に隣接し、昭和期には町工場とその労働者の空腹を満たす飲食業の集積地でもあった。その密度が徐々に減少し、また店舗の業種も入れ替わってきた様子についてはぜひ前回、前々回の記事も参照してもらえればと思うが、そうした経緯を経て、集合住宅、住宅、中小の工場の中に点々と店舗がかまえられる風景が形成されてきた。

では、まちの〈ブラブラ〉はそうした商業エリアにしか成り立たないのか?という疑問がわいてくる。その問いに答えるため、都市空間生態学でも2018~2019年に、豊島区東池袋4丁目・5丁目の旧日出町界隈を対象にしたまちめぐり社会実験を実施した。三小鳥もこの旧日出町界隈も、駅へのアクセス性という観点では、地図上での解析結果から酷似したエリアだ。ただし商店街沿いの「近隣商業地域」を除けば、「第一種住居地域」にあたる閑静な住宅街という点が、三小鳥とは大きく異なる。この違いについて考えたい。
まずは2018年に実施した社会実験「ツギ_ツギ#05」*の記録動画を視聴いただきたい。実験では、「まちのステキを『しる・めでる・そだてる』」と題し、風景や食、地域交流の存在、子育て環境、そして特徴のあるまちが隣り合って集まっていることなど、地域住民の方へのヒアリングを元に浮かび上がってきたエリアの魅力を、まちめぐりイベントで可視化することが試みられた。

上:社会実験「ツギ_ツギ#05」の記録動画。下:参加者に配布したパンフレット

そして今回も、旧日出町界隈での社会実験にご協力いただいた中島明さん(としま会議 代表、RYOZAN PARKインキュベーションマネージャー)へのヒアリングをとおして、当時から現在に至るまでの旧日出町界隈のまちをご紹介したい。中島さんは2010年ごろからコミュニティづくりの専門家としてプロフェッショナルに活動されてきたかたわら、豊島区に住む個人であり、そこで活動するプレーヤーとして池袋を中心としたローカルな活動を展開してきた方だ。社会実験の企画を豊島区に持ちかけた際、区が主催するまちづくりイベントの中核に立ち、外部のクリエイターから地域の商業者や住民までをつなぐ位置で活発に動いていたのが中島明さんだった。

中島明(なかじま・あきら) 関係構築と場づくり、共創型プロジェクトを専門とし、テーマコミュニティからローカルコミュニティまで、企業・行政・アーティスト他、様々なプレーヤーとプロジェクトを共にしてきた実績を持つ。池袋界隈では、2014年からまちの人々を発掘・紹介する「としま会議」をスタート。これまで260名を超えるまちの新しい動きを紹介するとともにコラボレーションを促進。2018年よりRYOZAN PARKのインキュベーションマネージャーも務める他、2020年「池袋ローカルゲート」を企画・プロデュース、2021年には「まちの案内人育成 講座 TOKYO SEEDS COLLEGE」にてナビゲーターを務める。R3年度、豊島区基本構想審議会委員。1976年生まれ。千葉市出身、豊島区在住。

「交通」と「子ども」--社会実験で抽出した課題とその後


中島
 2018〜19年にわたって、木内さんらが企画された社会実験に関わらせていただきましたが、その後の3〜4年で結構な変化がありました。そう考えると一緒にイベントをやったのがなつかしく思えます。

例えば、今我々がいる「イケ・サンパーク」(豊島区立としまみどりの防災公園)が2020年にオープンしましたし、マイクロモビリティのLUUPもまちに入ってきました。まだ渋谷ほどポートの数は多くありませんが乗っている方を結構見かけます。それから2022年4月から、オンデマンド交通の導入に向けた実証実験が豊島区役所やサンシャインシティを含む「大塚地域」で始まりました。

木内 我々が社会実験を兼ねて行ったイベントは、参加者に自転車を使って雑司ヶ谷から大塚にかけて自由に移動してもらうというものでした。そして、ちょうど中間に位置する「日出優良商店会」や「共栄会」のような都電線路の東側にある交通利便性が比較的低い住宅地に囲まれたエリアの魅力を参加者に知ってもらうことを目的としていました。そう考えると交通という意味では、社会実験によってつくりたかったまちの状態が実際に実現する基盤が整いつつあるということですね。

そのほか、社会実験では交通の問題以外にも、「子どもの遊び場を増やしたい」とか「タワーマンションに住む方々にも商店街エリアに訪れてほしい」といったこのエリアに不足しているものを抽出し、イベントとして実装することを試みました。子どもDIY部の坂田朋江さんに協力いただいて豊島区のまちづくり事業用地に遊び場をつくったり、東池袋駅周辺のタワーマンションにもイベントのチラシを配らせてもらったりしたおかげもあり、普段は都電の線路を越えたエリアに馴染みのない方々にも参加いただけたことを覚えています。

2019年10月19日(土)に実施された《ツギ_ツギ#07 東池袋のステキを「しる・めでる・そだてる」》にて、まちめぐりマップとナビアプリを手に商店街を散策する参加者のご家族。まちをめぐりながら商店街の惣菜を少しずつ買い合わせてマイ弁当をつくるというイベントが実施された。
2018年10月27日(土)に実施された《ツギ_ツギ#05 東池袋ー大塚ー雑司が谷 まちのステキを「しる・めでる・そだてる」》内で企画された、《ヒミツきちをつくろう×コーヒー屋台》の様子。子どもDIY部に準備いただいた軽微な材料を自由に組み合わせ、子どもたち自身が一日だけの自分たちのヒミツ基地をつくった。(写真:都市空間生態学の研究報告書より)

木内 このイケ・サンパークが新たにできたことで子どもが遊べる場所は増えたと思いますが、マンション側の住民たちと商店街を繋ぐ役割も果たしているのでしょうか?

中島 豊島区はイケ・サンパークを含めた、池袋駅周辺の4つの公園の整備を進めてきましたが、このイケ・サンパークは住宅地側に面していることもあり、全国的にも有名になった南池袋公園に比べて周辺住民の日常使いが多いイメージです。公園内に「としまキッズパーク」が入っているのも大きいですね。

地元の商店街との繋がりで言うと、毎週末この公園でファーマーズマーケットが開催されるのですが、大塚の商店街のお店なんかはよく出店されていますね。ただ、日出優良商店会/共栄会エリアのお店はなかなかそういうイベントに出て来られません。私の印象としては、周辺にまだまだ増えているタワーマンションの方々との接点はまだまだ少なく、着々と再開発が進んでいるという感じですね。

木内 なるほど。実は私、今日初めてこのイケ・サンパークに来たんですが、この公園で行き止まりというか、大きなマンションが壁のようになっていて、住宅地側に人が流れていくようなつくりにはなっていないなと感じました。ただ、おっしゃっていたファーマーズマーケットのように接点を生む可能性が用意されているのは良いですね。

中島 そうですね。ファーマーズマーケットに出店することでお店自体を知ってもらうきっかけにはなりそうです。
日出優良商店会/共栄会エリアのニュースとしては、2019年の社会実験で坂田さんがこどもDIYをやっていたまちづくり事業用地が、今後公園に整備されるみたいですね。

木内 それは良いことですよね。その背景にはこどもDIYの坂田さんの働きかけもあると思いますし、そもそも豊島区は以前より女性にやさしいまちづくりに取り組まれていて、子育て世代にも力を入れているのですよね。

中島 豊島区は2014年に日本創生会議から、若年女性の減少により人口を維持できない「消滅可能性都市」との指摘を受けたことをきっかけに、女性にやさしいまちづくりに舵を切ったんです。その後「わたしらしく、暮らせるまち。」推進室(2023年よりSDGs未来都市推進課へ統合)に繋がっていくわけですが、区として女性だけでなくファミリー層に選ばれるまちになるブランディング戦略を選択しました。先ほどの4つの公園の整備もその流れにあって、実際にファミリー層が暮らしやすいまちに変化してきていると思います。すぐ裏のサンシャインシティには元々色々なコンテンツがありますし、元々便利な場所ですからね。

イケ・サンパーク。この日も家族連れで賑わっていた。周囲の大型マンションからのアクセスも良い(撮影:編集部)

自分らしく暮らしながら、コミュニティを築けるまち


木内 
私が研究で東池袋に関わってからの3〜4年はまさにコロナ禍と時期が重なります。実際、それが理由で住民のみなさま向けの研究結果の報告会が流れてしまい残念でした。中島さんから見て、このコロナ禍でまちに起きた変化はありますか?

中島 社会実験をやった2019年頃よりコロナ禍で、それまで以上に地域に目を向けやすくなったと思いますね。行動が制限されたことで地元で買い物したり、地元のお店に行く機会が増えていると思います。

それから、コロナの期間で地域情報を発信するインスタグラマーやブロガーが何人も増えましたね。いずれも生活者視点での発信なのですが、プロ顔負けの発信をされているものが少なくないです。その多くが。

木内 それは面白いですね。その「地域情報」は、どれくらいの範囲の地域を指しているんでしょうか?

中島 人それぞれですかね。豊島区と言っても、目白から駒込まで射程範囲にしているかというとそんなことはなくて、自分が住んでいる周りの情報を発信されているのだと思います。

こうした個人の発信が盛り上がっているという観点で見ると、2021年にオープンした「ひがいけポンド」は、個人がコミュニティをつくったり、自分の活動を発信をしたりする上でまちに上手くフィットしていると思います。彼らは「まちのインディーズ・レーベル」と言っているのですが、例えば普段は普通に働いているコーヒー好きの方が、週末だけカフェを出したり。若者が「逆スナック」と題してやってくるお客さんに相談に乗ってもらったり。個人の「やってみたい」という情熱を気軽に後押ししてくれる場所です。しかも結構出店料もお手頃なんです。

ひがいけポンド。この日はカフェ営業の日で、中でおいしいラテをいただいた。(撮影:編集部)

今後、ひがいけポンドがある東池袋4丁目を含んだエリアが、UR都市機構が進める木造密集市街地改善の一環で再開発される予定ですが、ひがいけポンドの建物はUR都市機構が事業のために取得したうちのひとつです。木密地域の不燃化率向上の他に、新旧住民間の交流が希薄である現状にしっかりと課題意識を持って、それを解決すべくひがいけポンドを地域の交流拠点として開いています。

URという組織の規模を考えたら、「そんな手間がかかって儲からないことをどうしてやるんだ」って意見もありそうですよね。ただ、私は開発を進める上ですごく理にかなった取り組みだと思っています。開発が行われる前に、まちの人たち同士で、まちのこれからについて考えられる場所があったほうが良いですよね。

木内 ひがいけポンドの存在が、実際の開発でもグラウンドレベルに良い影響を及ぼすといいですよね。

中島 さらに素晴らしいのが、この建物の運営者の公募で手を挙げたご夫婦が、せっかくコミットするならと豊島区に引っ越して来られたんですよね。当事者意識が全然違いますよね。そうやって運営されているのだから、やっぱり魂が入りますよね。

木内 大事なことですよね。

中島 私からしたら、当時私が日の出ファクトリーでやりたかったこと(できなかったこと)を彼らが実践してくれていて、こんなに嬉しいことはありません。普通ならなかなかまちとの接点を持てないような人たちがどんどんあの場所で、まちの人たちと関係を持ちながら自分のやりたいことをやれているのを見ると、最高だなと感じます。

木内 ひがいけポンドの事例のように、URさんのような大きな組織が個人レベルのまちの主体の方々の活動を後押しして、新旧住民を繋ごうと取り組まれているのはすごいことですね。

中島 定期的に八百屋さんが出店していますが、その時は商店街側の人も来るような場所になっています。まだまだ色々な可能性を秘めていますね。
(後半へ続く)


中島さんが語る旧日出町界隈には、「住み暮らす」というテーマが色濃く浮かび上がってくる。まちにあってほしい要請について見ていっても、やはり大前提として住宅街であることから出てくる、子どもの遊び場といった点が目立つ。そして必要な、あるいはより正確には必ずしも絶対に必要というレベルでなくとも、あればより生活を豊かにできる場づくりを、住む人が主体的に週末限定で実施してみる、できる範囲でやっていくという傾向も見えてくる。ひがいけポンドの存在は象徴的だ。コロナ渦への目線にもそれを感じる。
そこで育まれるまちの〈ブラブラ〉は、商業地域のそれとどう異なるのだろうか。

後篇では、こうした住民主導のまちづくりが起点となった、豊島区にゆかりのある企業などの取り組みについてもお話を伺った。そして、各地で縮小しつつある住宅地の中における商店街のあり方についても伺いながら、旧日出町界隈における〈ブラブラ〉、まちの豊かさについて考えていく。

木内俊克(きうち・としかつ)
京都工芸繊維大学 未来デザイン工学機構 特任准教授/砂木 共同代表
東京都生まれ。2004年東京大学大学院建築学専攻修了後、Diller Scofidio + Renfro (2005〜07年)、R&Sie(n) Architects (2007〜11年) を経て、2012年に木内建築計画事務所設立。2021年より株式会社砂木を砂山太一と共同で設立。Web、プロダクト、展示、建築/街づくりの企画から設計まで、情報のデザインを軸に領域を越えて取り組んでいる。教育研究活動では、2015~2018年 東京大学建築学専攻 助教などを経て、2022年より現職。2015~2020年に在籍した東京大学Design Think Tankでは、このnoteでも取り上げている「都市空間生態学」の研究を担当。代表作に都市の残余空間をパブリックスペース化した『オブジェクトディスコ』(2016)など。第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示参加。


イラスト
藤巻佐有梨(atelier fujirooll)

デザイン
綱島卓也(山をおりる)