見出し画像

〈ブラブラ〉が育まれるまち_「三小鳥」から考える(後編:まちの活性化を、点から線で考える)|「都市空間生態学から見る、街づくりのこれから」vol.8

前回の記事に引き続き、三小鳥(三島・小島・鳥越)のおかず横丁で焼豚屋を営む遠藤剛氏(株式会社遠藤商店)のヒアリングをお届けする。

前編では、われわれが三小鳥で2回目の社会実験を実施した2017年以降でまちに見られた変化、特にコロナ禍によってまちの人々の視線が外から地元へ再び向けられ、アクションを起こす機運が高まりつつありことや、高齢化とマンション建設によってまちの変化が加速しているが、若い方々の流入でまちに新しい風が吹きつつあることなどが触れられた。

後編である今回は、三小鳥が直面する具体的な変化についてお話していただきながら、このブラブラが育まれるまちの未来について考えていく。

遠藤剛さん(右)と筆者(左)。遠藤さんが営む焼豚屋「浅草鳥越おかず横丁松屋」の店先にて。(撮影:編集部)

お年寄りばかりのまちの風景に、子どもが加わった


木内 
おかず横丁が「エモい横丁」と言われているとありましたが、発信しているのもご近所の方たち何でしょうか? 若い層がまちに増えたことでどのような変化がありましたか?

遠藤
そうですね。TBSのニュース番組でおかず横丁が特集された際の街頭インタビューで、近所に越してきた女性が「来てびっくりしました。なんかエモい横丁があるなって」と発言したのが、この辺りの若い方たちに広まったのだと思います。

実際、若い方はものすごく増えているんですよ。蔵前小学校は教室が足りなくなって、2019年に新校舎が完成しました。それに、うちの並びにも学童施設ができました。そこは土日に一時保育もやっていて、自分が土曜日にお店を開けていると、よく若いお母さんがお子さんを預けに来ます。
空き家になっていて心配していた店舗に学童施設が入ってきました。そしたら、この通りに子どもたちの声が聞こえるようになったんです。

自分が子どもだった頃の匂いがしますよ。昔はこの狭い道で手打ち野球とかをしていたんです。今考えると、どうやってこんな狭い場所で野球してたんでしょうね(笑)。目の前の和菓子屋とか米屋はどこも入口を開けっ広げているし、ボールが入ってしまったら「嫌だなぁ」なんて思いながらお店の中まで取りに行ったのを思い出します。やっぱり子どもたちがこの通りでワイワイやってるのは嬉しいですね。なかなか店舗の数は増えなくても、どこかのお店や施設をきっかけにお年寄りや、子ども、そのお父さんお母さんみたいないろんな世代の方がこの横丁に集まるのはまちとしても良いことですよね。だから、隣に学童施設が入ったのはすごく良いことだと思っています。

ひとつの求心力ある店が人の流れを変えるきっかけに


木内 
学童施設の他に、今までなかったものが入ってきたケースはありますか?

遠藤
おかず横丁だけで言うと、「今までなかったもの」というのはあまりないですね。新しく入ったお店だと、倉庫だった建物で若い方が焼肉屋を始めたり、あとは韓国の女の子が韓国料理屋を始めましたね。どちらもお店をやりたくてこの場所を選んだんだと思います。やはり飲食がメインですよね。

うちの店や、魚米さん(130年以上続く鮮魚店で、焼き魚なども販売)のような惣菜を売っているお店はなかなか増えませんね。社会実験の時に参加されていた洋菓子屋のGheureux(グールー)さんは、コロナ中に秩父に移転されて、空いた店舗に仕出し弁当屋さんが入りました。ですが、ここで売るというよりは、デリバリーをメインでやられているみたいですね。

木内
なるほど。ちょこっと美味しいお惣菜を買って帰って、食卓の一品として食べるのって、カルチャー力が高い食事をされている方じゃないと、そういう考えにならないですよね。美味しいものが食べたいなら外食してしまうって人も多そうです。

遠藤 
確かに土曜日にふらっと来られる方に、イートインできないんですかと聞かれることもよくあります。もともと立ち寄ってお茶ができるお店が少ないんですよね。でも、2019年の末に蔵前とここの間くらいの場所にチガヤさんというパン屋さんができて、すごく人を呼んでいます。本当に人気のお店が1軒できるだけで、人の流れって変わっちゃうんだなとびっくりしています。オリジナルのノートをつくれる文房具屋さんのカキモリさんのすぐ近くにあるんですけど、蔵前駅からノートとベーカリーを求めて女子たちがやって来るんですよ。以前はカキモリさんあたりで止まっていた人の流れが、チガヤさんができたことでこちら側まで少し伸びてきた。点が線になった感じがすごくします。なのでチガヤさんからもうひとつ、おかず横丁側に人を呼べるものがあれば、自然とこの通りにも人が集まってくるんじゃないかなと思います。

木内
確か、蕪木さんというコーヒーとチョコレートのお店がすぐ近くにありましたよね。

遠藤 
蕪木さんは、2016年にうちの向かいの望月不動産さんの裏の建物でオープンされたんですが、3年くらいで建物の取り壊しで蔵前駅方面に移転しました。ますます蔵前に人が集中してしまいますね。

木内
エリア全体として見るとスポットの数は増えているんですね。

遠藤 
蔵前まで含めればスポットは増えてますね。電動キックボードのLUUPが空き家だったところにポートをつくっていて、週末はこの辺りでも乗っている人をよく見かけます。おそらく蔵前を楽しむための定番のひとつになっているんじゃないでしょうか。

木内 
まさに5年前の社会実験では、こういう駅から少し離れたエリアにマイクロモビリティが入ると活性化できるんじゃないかということでエリア内に出店を出現させて、自転車を使ったまちめぐりを企画したわけですが、5年経ってそれが実装されたというのは面白いですね。電動キックボードはあまりスピードが出ないので、移動というよりも散策に向いている乗り物ですよね。


2017年に行われた社会実験の様子。ドコモ・バイクシェアの自転車をお借りして参加者に三小鳥のまちをめぐってもらった。(都市空間生態学の研究報告書より)

遠藤 
この辺は道路が碁盤目状になっていて、坂もないですから、走りやすいですね。平日は結構トラックなんかもビュンビュン走っていて結構やかましいんですけど、土日は相変わらず静かですからね。LUUPに乗ってる人がすごく目立ちます。でも、立ち寄れるお店があまりないから1分くらいで戻って行っちゃうんですよね。だからやっぱり、蔵前からこちらへ人を惹きつける場所が欲しいですね。できるならこの通りで、自分であと2店舗くらいやりたいって思いますよ。

木内 
あと2店舗ですか

遠藤
まずは自分でやりたいって思いはありますよ。やっぱりこの通りを覗きにきてくれた人が「何もないじゃん」みたいな感じで帰って行くのを見るのはやっぱり悲しいですよね。それって、おかず横丁の奥まで行ってもらえてないってことですから。おかず横丁全体で200mくらいしかない中で、あと2、3店舗あれば線を通りの奥まで繋げられると思うんです。

土曜日は、明らかにうちだけを目指して来てくれている人もいるんです。そういう人たちのためにもっと惣菜屋が増えてほしいですよね。うちで焼豚を、郡司味噌漬物店で美味しいお味噌汁用の味噌を、それから入船屋水上商店で付け合わせの煮豆をそれぞれ買っていった時に、あと2品くらい買えるお店があったら、大満足とまでは言わないけれど「おかず横丁に行けば5品くらいは美味しいものが買えるんだ」って思ってもらえる。まずはそこを目指したいですよね。そうなれば、この通りの活気も一段階上がるでしょう。

木内 
社会実験でも協力してもらったドイツ雑貨のdoremifaさんのように、食べ物を売っていないお店も関わってくると良いですね。ああいう古道具で食器にこだわりたいっていう気持ちと、美味しいものを食べたいっていう気持ちってシンクロする部分があると思います。

遠藤 
そうですね。惣菜屋だけじゃないですよね。そういう意味ではおかず横丁が、鳥越神社の参道みたいになったら良いだろうなっていうイメージはあります。昔は9のつく日は神社で縁日に出店が出てたんですよ。縁日は子どもも楽しめますし、なかなか大変だとは思いますが復活させてみたいですね。

自分らしく、自分流で、このまちに色んな変化を起こしていきたいですね。うちの店の名前は「浅草鳥越おかず横丁松屋」。この場所の名前をバッチリ入れてあるんです。と言うのも、2017年に自分が親から店を引き継いで、自分でやり始める時に、自分のできる限りこの「浅草鳥越おかず横丁」って場所をアピールしていくことによって地域に人を呼べるきっかけになってほしいと思ったから入れたんです。

冒頭で、地元のことを知り過ぎているからこそアクションを起こすのが難しいという話はしましたが、自分の場合は地元で育って地元で商売を始めた以上「やーめた」なんて言って簡単に投げ出すわけには絶対にいきません。外から来た方や、社会実験の時の木内さんのような第三者的な方たちと一緒に、10年くらいの計画で腰を据えてやれたらなと思っています。

いつでもそこにいる存在が、新たな地元観の形成を担う


木内
 
これまでお話をお聞きしていて、「エモい横丁」の話もそうですが、やはり新しい住人が入ってきたこと、そしてこの通りが彼らにとって生活を彩る場であるというのはすごく希望がありますよね。

遠藤 
おかず横丁というか、うちの店を利用してくれる人にいかに愛着を持ってもらうかという点で、個人的に思っていることがあります。自分は店で焼豚を売る時、後ろでお客さんが並んでいようが関係なく一人ひとりに馬鹿丁寧に説明するというのをスタイルにしているんです。
後ろで待ってる常連さんなんかは「みんなこれを経験して常連になってる訳だから気にするな」なんて言って気長に待ってくれるんですが、待つのが嫌で帰られる方もいます。でも、私も馬鹿丁寧な説明を聞いてくれる人を大事にしたいなと思ってやっています。

焼豚って、部位を気にして買ったことがある人なんてなかなかいませんよ。若い人だとなおさらです。でもうちはロースとかバラとかモモとかの説明を淡々とやっていく。さらに竹とか梅とかサイズにも色々あって、いちばん大きいやつを「千貫」って呼んでるんです。それでお客さんから「センガンってなんですか?」って聞かれると、「鳥越神社にはでっかい神輿があって、それを千貫神輿って呼ぶんだよ」とか「千貫って何キロって知ってる?」とかって地元のことも交えながらガンガン話していくんです。そうすると、面白がってまた来てくれたりするんですよ。

「土曜日にまたあの焼豚の店に行って、変なやつと話しながら美味い肉を買って、晴れた日にビールと一緒にいただこう」みたいな気分になっちゃうというか。そういう方々が確実にいらっしゃるんです。

千貫神輿(2017年)、祭りの日は町全体が活気に包まれる。コロナで休止していたが、2022年に3年ぶりに再開された。 (撮影:木内俊克)

すると不思議なことにいつの間にか「今日は鹿児島黒豚のモモの竹でお願い」なんて言っちゃったりするわけです(笑)。他の方が聞いても分からないんだけど、この注文ってうちの店的には「すごい良いセンス!」なんです。そうなると自分も嬉しいですよ。まだ自分で店を始めて7年になりますが、このスタイルで土曜日だけ、できる限り休まずやってきて本当によかったなと思います。

このスタイルはうちの店に限らなくて、昔はどこもこんなふうにズラーっと喋りまくって商売していたんですよ。昭和の小商ってこんな感じでした。でも、この昭和の対話しながら商売していくやり方だけが良いとは思わないし、みんなもやったらいいとも思いません。それぞれ好きなスタイルでやれば良いと思うんです。それでもやはりお客さんと会話しながら、関係を育んでいくのを自分は大事にしています。何より、楽しいですから。

木内
そういうコミュニケーションの積み重ねが、外からこの場所に越してきた人たちにとって「このまちで暮らす」楽しさや、新たな地元観みたいなものをかたちづくっているのだと思います。

遠藤 
そういった新しい方々には、とにかく長く住んで欲しいですね。みなさんの存在自体がこのまちの希望ですから。

木内 
土曜日のあの時間帯に行けば遠藤さんに会えるっていうだけでも、おかず横丁へ訪れるきっかけになりますよね。

遠藤 
その思いはあるんですよ。いつでも来てください。「俺はいつでもいるよ!」という気持ちで店に立っています。

浅草鳥越おかず横丁松屋、土曜の販売風景(研究報告動画:https://vimeo.com/260692019より)

前編に続き、ここ5年で三小鳥に起こった変化について遠藤さんに伺った。
遠藤さんの三小鳥に対する目線は冷静で、その未来へのビジョンも明確だ。マンションが増えたことで子どもがまちに見られるようになったこと、そして子育て世代の夫婦にとって、蔵前を中心に増えてきているこだわりのある個人店やローカルでおしゃれなここにしかない店たちは求心力のあるまちのリソースになってきていること、その一翼を「浅草鳥越おかず横丁松屋」として存在感を発揮している遠藤さんも担っており、そんな風にまちに点が打たれて線がつむがれてきていること。

ただし、このまちに培われてきた密度感にリスペクトをもち、ちょうどあと2軒のお店をおかず横丁に開くことができれば、このエリアを楽しむ体験がある程度整うという目標意識が地に足の着いた遠藤さんならではの視点を物語っている。

2017年の研究当時に提唱していたマイクロモビリティによるまちへのアクセシビリティの補完も、LUUPの登場により実装されはじめているという点は必然的な流れを感じさせるものだ。ただし、周辺駅との距離感だけがこのエリアへのマイクロモビリティの導入を誘発したということではおそらくなく、やはり遠藤さんが見出しているようなまちの変わらない風景とダイナミックな変化と共にあってはじめて、三小鳥の三小鳥らしさが魅力として結晶してきているであろうことが感じられたヒアリングとなった。そうやって、それぞれの視点からまちを見渡しては都度反応している多極的なプレーヤーの介入が連携し、〈ブラブラ〉の魅力は育まれている。

木内俊克(きうち・としかつ)
京都工芸繊維大学 未来デザイン工学機構 特任准教授/砂木 共同代表
東京都生まれ。2004年東京大学大学院建築学専攻修了後、Diller Scofidio + Renfro (2005〜07年)、R&Sie(n) Architects (2007〜11年) を経て、2012年に木内建築計画事務所設立。2021年より株式会社砂木を砂山太一と共同で設立。Web、プロダクト、展示、建築/街づくりの企画から設計まで、情報のデザインを軸に領域を越えて取り組んでいる。教育研究活動では、2015~2018年 東京大学建築学専攻 助教などを経て、2022年より現職。2015~2020年に在籍した東京大学Design Think Tankでは、このnoteでも取り上げている「都市空間生態学」の研究を担当。代表作に都市の残余空間をパブリックスペース化した『オブジェクトディスコ』(2016)など。第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示参加。


イラスト
藤巻佐有梨(atelier fujirooll)

デザイン
綱島卓也(山をおりる)