天気を慈しむ

 年が明けて浮ついていたのも束の間、何事もなかったように戻ってきた日常、一月も下旬。今日は慌ただしい。起床は13時を過ぎるし前日は日が登るまで寝付けなかったし、それに、出かけたお店ではすれ違い(誰も悪くない。僕がもっと落ち着いて、それもハードルが高いことなんかじゃあなくていつも通りの落ち着きがあれば、それだけでどうにかなりそうだった。)があった。そして浸水する靴で雨中を行かねばならなかった。


 学生証を提示し忘れて、カラオケは20%引きではなくなった。520円くらい高くなったんじゃないかな。(僕は慌てる女性の前にさっと一万円札を出す。)些細な額だ。瑣末なものだ。ただ、貧乏性なのかなんなのか、まあ客観的に感じて少しく落ち込むのには妥当なイベントだった。








 ぐちゃぐちゃ言ってるけど要するに、朝からバタバタしていて、なんにも良い感じじゃなかったんだ。









 悲しい。(また悲観的だ。)遅寝遅起きも、空がどんよりとしていても、それ自体に何かがある訳じゃない。大切なことはそれらを自分がどう捉えるか、自分の捉え方が物事に色をつけるんだと考えている。(数学の問題とかでよくある立方体に、自分の見ることのできない面があるように、人は分からない。他人には自分の知らない側面が絶対にあるとはいうが、)

(文法などは無視する) 


大切なことは、心がどう捉えるか


 泣き言は嫌いだ。誰も幸せになんかならないし、一人も良い思いをしない。最大多数の最大幸福。基本原則。








不安なことの一つとして、一日の中に本当に素晴らしいこと、本当に小さなことがあったとして、僕はそれらを感じられるんだろうか。
歌にできるだろうか。








文章に雰囲気を出すために、空行を使うことは必要だと思うんだけど、どうしてこのnoteという媒体はそれに都合が良い仕様じゃないんだろうか。







 上に書いたようなことを、思うともなく思い、実に途方もなく百万遍を立ち去ろうとしていたら、よく分からない。
 だからこんなに感情的になって、文章を書いている。GAKUSHIDO、良い店だ。この名前は正確ではないらしいが、店先に嵌め込まれている。












本当の本当の感謝は、真面目に書く。

 クソほどに忙しいし自分は自分を甘やかすし、それでいて昼過ぎに起きた。慌てて出かければ傘はないのに雨、濡れにくい靴を履いてないのに雨。最悪だ。靴は浸水するし、髪も広がる。
 なんとか頑張れば、買ったばかりの傘を買った店に忘れる。そしてパクられる。
 それでも急ぐ、予定は1時間後。今から動かなければ到底間に合わない。眠たい。足先が濡れている。嫌なもんだ。

 そういう時に見つけたのがGAKUSHIDO。人通りの多い道を目的地に向かおうとしている僕の、間隙に入り込んで来た。知らない道じゃなかったから、見たことのない店があるとは思わなかった。調べるに、どうやら最近改装された店のよう。看板も前の店のものだから、正式な名前も本当は違うらしい。

 なんにせよ、めちゃくちゃな感謝だ。何が嬉しくて、好きなんだけど生地の薄い靴をびしゃびしゃにして歩き回らないといけなかったのか。雨にぜんぶもってかれるような気分のなか、今日でなければならない用事なんか、あったんやろか。書ききれないくらいに心は嫌がっていた。表現が追い付かない。

 そんな時に、雨の中に浮かんであったのが、喫茶店。GAKUSHIDO。純喫茶だ。茶色が白熱電球に反射して、時代が昔に帰っている。ログハウス調の木造建築も良い。軽くない透明な扉を開けて店内に入れば、カウンターに奥様らしき年齢不詳の静謐な雰囲気をもった女性、奥から少しこもった声に包容力をもつ旦那様らしき方の声。人心地がついた。お二人には静かな寛容が通底している。僕はまだまだやれるのかも知れないけど、ここは休める。


ありがとう。ありがとうございます。









珈琲が美味すぎる割に安すぎる。なんとかしてここで働けないか。こんなに雨が似合う、人が落ち着ける店、そうそうない。京都といったって、唯一に感じるんだ。















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