あの地震(2)
無事に家で待っていてくれている”だろう”2人のもとへハンドルを切りアクセルを開けた瞬間、違和感を感じた。
「道路が川になってる」
あちこちで破れた水道管からアスファルトを突き抜けて水が漏れ出し、文字通り道路は川と化していた。マンホールの蓋が外れ、高さ1メートルほどの水柱がたっているところもあった。
水深が5センチ以上あり、バイクもガボガボ言って速度が落ち始めた。そしてついには止まってしまった。家まであと300メートル。「歯がゆい」という言葉の意味をこのとき初めて体感することができた。
ラーメン屋の兄ちゃんには申し訳ないが
「動け!コノヤロウ!」
止まったバイクを蹴とばし、なんとか再始動させ家まで辿り着いた。
投げ捨てるようにバイクを降り、半開きになっていた玄関をあけ、靴を脱ぐのも忘れて、声も裏返りながら2人の名前を叫んだ。
返事はなかった。
いつも息子が寝ていたベビー布団の上には、のかしきれないほどモノが覆い被さっていた。
「終わった‥」
生まれて初めて腰が抜けてその場から立てなくなった。何も聞こえない。何も見えない。
ただ、
「大きな地震よ、もう一度きてくれ。そして、この建物といっしょに俺もここで潰してくれ」
心からそう思った。
どれくらいの時間、そこに座り込んでいたのか感覚がない。
しばらくたったころ、どこからか声がする。
「ん?!」
何も考えられなくなった脳みそにピンと来たこの声の周波数。妻だ!
「外よ!外!」
力が入らず四つん這いで家の外へと出た。
見覚えのあるシルエットが隣の空き地から僕を読んでいた。息子を左腕に抱いて妻がたっていた。
目は霞み、足はよろつき、言葉も出ないまま駆け寄り、体で感じた2人の感触はいまも忘れない。
ほっとしてまた腰が抜けた。
それから義父と近所の人たちに2人を託し、店へと戻った。
戻っていたスタッフを帰宅させ、火傷の彼を救急病院へ連れて行った。
病院につくと、そこらじゅう救急車だらけで、看護士や医師たちが慌ただしく駆けていた。診断の結果、幸いにも軽度の火傷で済んでいることがわかった。ホッとして冷静に周りを見渡してみると、玄関のタイルのあちらこちらに大量に血の垂れた跡が残されており、事の重大さを改めて実感した。
妻と息子の無事を知り、
「明日からどうなるんだろう」
気持ちを明日へと向けることが出来た頃には、日付けが4月15日へと変わっていた。
つづく
いつも読んでいただいてありがとうございますね!いただいたお気持ちは、「とんでもないレベルのなんでも屋」になるための「新しい体験」や「新しい道具」へと変わっていきます!また書きましょうね