「いやなことから逃げて成長できるのですか」
こないだね、こんな素敵な質問をもらった。
ゆうすけさんは嫌なことからは逃げても良いというスタンスですよね…?友達から「ちょっと嫌なことがあって、すごくツライ」という内容を言われたので、わたしは「嫌なことからは逃げても良いと思うよ」と伝えました。
すると、その友達から「でも、嫌なことから逃げてしまったら成長はないよね」と言われてしまい、返信に困ってしまいました。
嫌なことがあってそれによってツライ気持ちを抱えたまま、逃げないことが成長するということなのでしょうか?
ゆうすけさんが言う「逃げても良い」というのは、具体的にどういう事ですか?
例えば、仕事ですごくストレスになることがある場合はその仕事を辞めても良いですか…?
うーん、いい質問だ。
「成長」ってなんだろうなー、と、じっくり考えるよい機会になった。
この質問の中で「友達」が言ってる "成長" っていうのは、やりたくないこと、つらいことを、我慢してやっていれば、「技術」とか「根性」みたいなものが身につく、みたいなイメージだろうね。
で、ぼくがちまちま考えたことを、2つの論点から書き散らかしていくね。
ひとつは「ストレス負荷」の問題と、もうひとつは「成長の方向性」の問題。
まずストレス負荷について。
よく言われることだけど、ストレスってもの自体は必ずしも悪いものではなく、適度な量であれば良い方向に働く。 そういう「望ましいストレス状態」のことを「ユーストレス状態」っていうのね。
反対に、望ましくないストレス状態のことを「ディストレス状態」っていうんだけど、ストレス負荷がじぶんのキャパシティを大きく超えていると、パニックになってしまい成長どころではなく、心身を病むリスクが大きくなる。これを「ハイパーストレス」というのね。
一方で、まったくストレスがかかっていない状態っていうのも、よくない。
刺激が慢性化して退屈になっていたり、モチベーションが下がっている状態。これは「アンダーストレス」といって、これもディストレス状態のひとつになる。
<てきとうに書いた図>
要は、能力が一番ストレッチするのは、ストレス負荷がユーストレス状態にとどまっているときなのであって、それ以上でもそれ以下でも、身体は良好に反応してくれない。
じぶんのストレス負荷が適度かどうかを判断するのは簡単で、「じぶんの良さが活かされているなあ」とか「いい感じで働けているなあ」とおもってたら、だいたいユーストレス状態にある。
逆に、「じぶんのいいところが活かされていない」とか「退屈だなあ」と感じているのであれば、たいがい望ましいストレス状態ではないので、業務を変えたり、関わるひとを変えたりとかで、じぶんが受ける刺激(ストレス)の量や質を変えられるよう試みたほうがいい。それが無理なら環境そのものを変えることも前向きに考えていいとおもう。
ユーストレス状態は、より良い状態に近づくための「刺激」「試練」。
ディストレス状態は、そこへは近づけないただの「苦行」「苦痛」。
だから、ディストレス状態でいることは、基本的に【成長<我慢】だから、あんまりおすすめしない。
「じぶんに強い負荷をかけて、つらい環境に身をおかなければ成長しない」っていうのはわりと思い込みなんだよね。もちろん、つらい経験にあとから意味付けをすることで糧になることはあるけど。
ただ、しんどすぎる環境や、じぶんの良さがまったく活かされないような環境に居続けると、ガマン強くはなるけど、実は「成長」しにくいので、負荷を軽減する方向に「逃げたほうがいい」とおもっている。
それに、ガマンが習慣化することで失うものも多い。
一番ダメージが大きいのは、じぶんの感情を蔑ろにするクセがつくことだ。これはめちゃくちゃ幸せを遠ざける。ガマンそのものに価値を感じたり、それを正当化するのはけっこう危険だ。
ぼくは体力も根性もなくて、現在進行系で嫌なことからひたすら逃げ続けていまのキャリアがあるのだけど、幸いなことに成長がとまっている感じはあまりしていなくて、ここ20年くらい「いまがピークだなあ」って毎年おもえるくらいに変化を感じられている。
ガマンがホメられるのは子供の頃と熱湯コマーシャルのときくらいで、大人の世界で健やかに生きていくのに「ガマン強さ」って、実はあんまりいらないんじゃないか説をぼくは採用していて、まだその実験の途中〜。
ここまできたら、逃げ果せてやるぜ。
長くなっちゃったから、もうひとつの「成長の方向性」については、また次に書くね。
またね。
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