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決めたことを後悔してしまうことについて【savepointラジオ-2】


こんばんは、ラジオの時間でーす。

この番組は、「メンタルクエスト」の製作者であり、クリニックの(元)スタッフでもあるライターのみきさん、イラストレーターのかなさんの3人でお届けします。


最近はある患者さんが教えてくれた「デス・ストランディング」というゲームをやりまくっているよ。
これは本当に良くて、コロナの時代の今だからこそさらにプレイする価値のある作品だなあと感じているのです。
デスストの話はまたこのラジオでもするね。

【フリートークのコーナー】

はやいものできのうが父の1回忌。

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新刊の最後の方に父の死にざまと「自己決定」についてがっつり書いたのだけど、それがちょっとした手向けになってたらいいなと思って、壇にそえました。読んどいてくれ。

実家では好物だったすき焼きなんかを食べた。
通販で買った今半の「極上すき焼き割り下」のお陰で、買った肉の値段以上に味のクオリティが爆上がっていて、「人形町今半~ッ!」ってなったよ。


読書家だった父の、もう使ってない本棚をひとつ頂戴して、新しい診療所の備品に使わせてもらうつもり(形見的な経費削減である)


こういう形見的なものをどんどん診療所に置いていく傾向にあるのだけど、それもまた自分たちなりのグリーフのやり方というか、自然に行なっている儀式的な行為なんだとおもう。


「このハンマーみたいなの、なんですか?」「それは彼の打腱器でね」っていう話を発端に、彼を知らないスタッフの子たちと彼についての話をすることができたりする。

そういう話ができたときは、多少しんみりしつつも、わりといい感じの雰囲気になることが多い。

語りをとおしていろいろな感情や歴史なんかが共有されることで、診療所という場所の土壌が豊かになっていくイメージがある。
形見というのは語りのきっかけになるオブジェクトになるよね。

そういや、「自己決定」について、こないだnoteのオンラインイベントで、こんな質問をいただいたのね。
すごくいい質問だなあとおもったよ。

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一緒に出演していたF太さんがこの質問に対して「内定辞退という選択をしたことはすごいことだし、一生懸命した選択をないがしろにしないでほしい」というコメントを言ってくれて、まさにそのとおりだとおもった。


過去の自分の精一杯の決定を「あのとき、違う方を選んでいれば…」って後悔するのって、ある意味「自分に対する期待値」が高い状態なのね。


「もっと知識があれば、もっと注意深くしていれば、自分はうまくできたはずだ」って思ってるってことだから。
でもね、たぶん何百回やり直したって、きっとおんなじ結果になると思う。


相談者さんは、その時に使いうる精一杯の知識と注意深さをもって、自分なりのベストな選択をしていたはずなのだよね。
それを後から状況が変わったからといって、その当時の時点で「正しい」意思決定ができたはずだと思ってしまうのは、能力の過信だとおもうんだよ。


だから、まずは「その決断が過去の自分のベストだった」って認めることが、必要なんじゃないかな。

人間は不完全な情報の中でいつも「正解」を選べるほど、うまくできていないんだよね。


僕自身も、「あのときに今の知識の10分の1でもあればなあ〜」とおもうことはあるんだけどさ。結局100回やり直しても「俺のことだから、きっと同じ油断や同じミスを100回繰り返すだろうな」って思ってしまう。


過去の自分の実力なんてそんなもんだ。エスパーじゃない。
でも、その時に決めたことの責任を自分で引き受けるから、前に進める、というのも真実だと思っていて。

責任っていうのは、うまくいかなかった「悔しさ」とか「無念さ」とか「無力感」とかだったりするんだけど、そういうしんどい感情によって泥だらけになった経験があったからこそ得たものがあるんだよね。

そういうのがなければ、今こんなところでこんな文章を書いてる奴には絶対なっていないだろうなと思うんだよね。


少しきびしい言い方になっちゃうけど、不満足な結果を過去の自分のせいにするのは、人のせいにしているのと一緒なんだと思う。

人のせいにしていると「この現状を変えるためにじゃあ自分は今から何をしようか」っていう思考にはなりにくいんだよね。

そうやってうまくいかないときに「過去の自分が不十分で不完全だったから」とジャッジすると、自分が本当にいま向き合うべき行動から目をそらしてしまう。「もっとこうしていれば」という思いに占拠されて、過去に囚われているのは、長期的にみて結構つらいことになると思う。

これから先も、そういう人生でいいんだっけ?ってことを、一度立ち止まってゆっくりと考えてみるといいのかもしれない。


しあわせになりやすい人っていうのは、過去の自分の決断を「あのときの自分はベストをつくしてよく決断したな」と認めて、今からどうするかってことも自分の責任で考えられる人だ。



自己決定とは、ただ決めるということじゃなくて、眼の前に起こった現実や自分の選択の結果をちゃんと引き受けられることだとおもっているんだけど、そういう人のほうが、幸せになりやすいだろうな、というのを「メンタル・クエスト」のなかでも、強調して書いてみたことなんだ。
ちょっとでも「自分のことかな」と思った人はぜひ読んでみてほしいな。

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