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罪悪感の本質と、あらがう方法について


どうもどうも。

今日はずっとはなしたいとおもってた「罪悪感」についてはなしていくよ。
こんなつぶやきをした。
罪悪感という感情が、ひとと誠実なコミュニケーションを取る上でいかにやっかいか、ということを考えさせられる。


(ちなみに、「罪悪感のかけらもない」横暴な振る舞いをするひとに関しては今日は扱いません。それは別次元の話ね。そういうひとからは離れるの一択です。)


「罪悪感とは、自己中心的な感情である」というのは水島広子先生のことばなんだけど、なぜそれが自己中心的なのかを端的に表しているのがこのツイート。


罪悪感にとらわれると、「合わせる顔がない」と相手との関係に対して逃避的になってしまう。そしてそれは、おそらく相手が望むことでもない。罪悪感は、じぶんはおろか、相手を幸せにするわけではない。それにとらわれることで、相手と向き合いにくくなってしまう。

大切な相手が望むことに100%応えられなかったとして、それが申し訳ないという気持ちがあるのは仕方ない。それでもじぶんを守りながらできる範囲で、相手に何ができるかを考えることが「おもいやり」である、ということ。

罪悪感にかられた振る舞い、と「おもいやり」はまるっきりちがう。


読むべき空気や不文律が跳梁跋扈しておるこの現世で、みんながみんなに気を遣いすぎて疲弊しまくっているんだけど、ぼくが考えるに、あらゆる「気遣い」は以下の2種類に分かれるとおもっている。

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Dr.ゆうすけとサクちゃんが「自己肯定感とはなんだろうね?」と語ります。(2018年3月分〜)

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