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「あの人に嫌われているのではないか」と怖がってしまうことについて



こんばんは。

気圧が低い日が多いと、頭が重くなったりして大変だよね。

「雨の前日に悪化する頭痛」とか、気圧が低いときの頭痛って実際あるのよね。
気圧が下がると脳がちょっと腫れて、それが鈍い痛みとして出てくると言われている。遠足で山に登るとポテトチップスとかカールの袋が張るやつ、あれと同じようなイメージかな(違うかもしれないけど)

このたぐいの頭痛にめちゃ効く「五苓散」っていう漢方があって、よくお世話になってます。

この五苓散ってのが、身体の水のアンバランスを解消してくれる作用があるのね。「アクアポリン」っていう細胞間の水の通り道になる穴があるんだけど、五苓散はアクアポリンを閉じることによって脳に水がたまりすぎるのを解消してあげるらしい。へえー。

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五苓散は、二日酔いや乗り物酔いとかにも効くし、胃腸炎のときとかにも処方したりする、とっても便利なおくすりなのです。




さて、今日は、「職場が怖い」というテーマ。

こないだ、「職場の尊敬する上司のことがこわい」っていう患者さんがいたんだよね。

明らかなパワハラとかじゃないんだけど、とっても優秀な上司なので、ミスとかを改善点とかを指摘されることが多くて萎縮しまっているそうな。

「無能だと思われてるんじゃないか」
「嫌われてしまってるんじゃないか」

という気持ちになって、だんだん話しかけにくい感じになって、ちょっとした質問とかもできにくくなってきてるんだそうな。

優秀で人って忙しそうだから、ちょっと話しかけにくい感じある。
「コミュニケーションコスト」という言い方をしてるんだけど、この場合のコストって、お金のことじゃなくて、心理的な負担感のことね。
尊敬してる人とか優秀な人とか、あと強面の人とかだと、コミュニケーションコストってすぐ上がるんだ。

で、そういうときには、「配慮と遠慮の分別が大切だよ」とベテランカウンセラーさんに教わったのね。


誰かを怖がっている人の中で働いているのは配慮ではなく、遠慮であることが多い。特に仕事の場においてはそうなりやすいようだ。


「配慮はするが、遠慮はしない」ってのは、もともと星野仙一監督のことばだそうなんだけど、配慮と遠慮の違いについてはこの引用noteがわかりやすかったので貼っておくね。



『遠慮』:人に対して、言葉や行動を慎み控えること。 辞退すること。『配慮』:心をくばること。心づかい。


『慮』という言葉は、思い、考え、という意味のようです。
『慮(思い)』を相手から『遠』ざける遠慮と、『慮(思い)』を相手に『配』る配慮。
似たような言葉ですが、中身は全く違うように思えます。


『遠慮する』⇔『(自身の行動が)身勝手・図々しい』と考えて慎むこと 
・・・つまり、自分基準での捉え方。
『配慮する』⇔『(相手の心情への)思い遣りが足りない』と考えて行動すること
・・・つまり、相手基準での捉え方。


つまり、遠慮っていうのは、「おそれ」から出てくる行動なんじゃないかということなんだね。

おそれというのは、嫌われたくないとか、怒られたくないという恐怖心だったり、自己保身的な気持ちだったりするんだけど、「おそれ」を起源とする行動というのは、基本的に対人関係においてあまりいい影響を及ぼさないのだよね。


遠慮しか働かないでいると、相手が何をどう考えているのかを、すべて自分目線で推理していくしかない。それって超疲れるし、どんどん疑心暗鬼になっていく。

「無能だと思われているかもしれない」
「嫌われているかもしれない」
「迷惑だと思われているかもしれない」


こういう予想のたぐいは、当たってるか外れているか、当人に検証しない限りわからない。


「嫌われているかもしれない」という「おそれ」の火種が一度心の中にともれば、その炎はだんだん大きくなっていく。
「おそれ」っていうのは、そういう性質がある。

嫌われているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
必要とされているかもしれないし、されてないかもしれない。

この、「どっちかわからない」という状態が一番人を不安にさせるのね。
不安という感情がもっている圧力はとても大きいので、気がつくと心の中の大部分が占拠されていたりするのだ。


だから、いっそのこと、はっきりと「嫌われている」とか「必要とされていない」とわかった方が、心理的にはラクになったりするものだ。
もちろん、残念で悲しくはあるけど、「悲しみ」という感情よりも、「不安」という感情の方が、心の内側を占拠する圧力が強いとおもう。


相手の感情を、自分勝手に予想している限りは、「嫌われてるのかな、どっちかな」という不安はなくならない。

それって、相手のことばっか考えているようで、実は自分のおそれにばかりフォーカスしているから、「配慮(おもいやり)」になっていない。これって罪悪感のときの心の動き方とすごく似ている。

上司(相手)の目線から考えてみると、こちら側の態度や心情をいちいち予測することに一生懸命になって疲弊してほしいとは思っていないと思うんだ。(そんなことより、ワークに集中して欲しい、と思ってるかもねw)


なので、「ダメだ」とか「キライだ」とか直接言われていない限りは、ひとまずはOKってことにしといていいし、どうしても気になっちゃう場合は、「何か足りない点や、不快に感じるはありますか?」とか直接聞いてみるなししてみたらいいよ。
(相手にとってそんなに負担がないタイミングを「配慮」して)

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