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しんどい時は情報量を落としましょうという話


こんばんは〜。

あついね。
体調は崩しておりませんかね。

最近はわりと忙しいけど、楽しく仕事させてもらってるよ。
梅雨明けして、頭痛に悩んでいる人がちょっと少なくなったね。

今週もやっていきます。

===

先日、こんなツイートをしたのね。


けっこう多くの人が反応してくれたから、実感として同じように感じている人は少なくないんじゃないかな〜と思ったよ。

もちろん個人差はあるけれど、しんどいときに自分が取り入れる「情報の量」を減らすっていうのは、とっても賢い選択だと思う。

不安というのはそもそも人間の命を守る感情なので、危険な情報やネガティブな情報ほど目につくし、心に残りやすい。
不安な時は、自分の状況や見通しを知るために情報を得ることで、ある程度不安を解消することはできるんだけど、それが得られないと不安が解消できないばかりか増幅してしまいかねないのが難しい。


コロナ禍による精神的な変化をCIAMS(COVID-19/Coronavirus-induced altered mental status:シャムズ)と名付けた國松先生は、不安という感情の伝播力の凄まじさについて、こんなふうに語っている。


コロナウィルスが世界的に流行している中で、凶悪なウィルスのように伝染してるのが不安という感情。

コロナウィルスに感染している人の数はとても少ないにもかかわらず、ほとんどの人が程度に差こそあれコロナへの不安にはやられている。

たとえば、世の中と一切隔絶した人の生活を考えてみる。
テレビもネットも携帯電話もない、新聞も買わない、近所付き合いもない、家族もいない、外出もほぼしない、コロナのことを一切知らない人。

そういう人は三密にもならず、ソーシャルディスタンスも関係ない。
(そもそもソーシャルというものが存在しない笑)

「社会」と言うものから作用がなければ、その人から社会への反作用ももともとないから、コロナへの不安も何もない。シャムズもない。

つまり、シャムズが成立する前提として、「情報を得ている」という要素がある。

シャムズの種が不安から始まるとして、その不安を乱すのは、社会と接することで生じる。
そしてそれは情報の媒介物としての「メディア」を介して伝播している。

こうした不安の伝播は、今からでも止めた方がいい
なぜなら、もともと不安になりやすい人が精神的加重がかかったとき、自殺リスクが高いからだ。


この本、とても面白いのでぜひ読んでみて。



普通に考えたら、情報が増えて判断材料が多くなれば、不安がなくなりそうなものだけど、そうとも限らない。


「安全」と「安心」はちがう。
ぼくらは、不安な時、情報を求める。「安心」したいからだ。
でも、絶対に安全であることが保証されているという情報を得られることはめったにない。だいたいどこかに不確定要素が残る。


それに、安心とはとても主観的なもので、いくら他人が「安全だから」「大丈夫だから」と説得しても、本人の不安が拭えなければ絶対的な安心感は得られない。
そして、答えが不確定なものに対しての安心は、どこにもないんだよね。


Twitterやテレビなどから流れてくる不確定な情報ばかりを受け取っていれば、不安が増大するのは至極当然だとおもう。
不確定な要素を埋めたくて情報を求めるのだけど、得られるのはやはり不確定なものばかり。
濁った水をずっと摂取し続ける水棲生物のように、心に淀みが出てきてしまう。


だから、不安になりやすい人は、まずは取りいれる情報を選択し、量を制限することが重要だと思う。

その情報を得ても得なくても、おそらく感じている不安は変わらないし、状況はそんなに良くならない。
そんな情報は、いったん取り込むのをやめてみたらいいとおもう。

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