ラインオーバーに気づく (自他の境界線)
どうもどうも。
今日も、「自他の境界線」のはなしをしていくよ。
誰かに何かを注意する時に、無駄に乱暴な言い方をするひとがいるよね。
けっこう前なんだけど、ポインティ君と秋葉原の居酒屋でわいわい話してたことがあって、夢中になってつい大声になってしまったことがあった。
その時、となりにいた彼女連れの強面の男性が急に
「お前らマジで静かにしろよ!」と急に語気を荒げて言ってきた。
「いや、こっちに落ち度があるのはわかるんですけど、普通に言ってくれたら分かるんですけどね(怒)」ってなったのね。
こういうの、ものすごく嫌いなのです。
大学病院で働いていたころにも、患者さんの対処に困って相談した(偉そうな)循環器内科の先生に「なんでこの検査出してないの?」と急に指導的なことを言い出されたり、前職でコンサルをしていたときのクライアントの病院の妙齢女性に、「お宅は何ができるんですか?」と初手でマウントを取ってこられたり。そのときは仕事だったので表向きは何も言わないのだけど、そういう輩には今後一切心を開かないと決めている(笑)
そういうときに感じるのが「境界線を不当に侵されたな」という感覚。
これを「ラインオーバー」と呼んでいて、ある時期からこのラインオーバーにものすごく敏感になっていった。ラインオーバー警察24時だ。
なぜなら、それが「よい人間関係」を吟味する上でとっても大事なことだと気づいたから。
立場や言い分を伝えることと、相手を不快にさせるような言動をとることはまったくの別問題。
「ここに関しては、じぶんが悪かったな」という非を認めて改める姿勢と
「ただ、あの態度に関しては非常に不愉快だな」という不服を認める姿勢は、両立する。
これは、じぶんの領域と相手の領域を明確に分ける行為でもあるのよね。
じぶんの快・不快の感覚を大事にすることは、境界線をつくる、とか、人生のコントロール感とか主体性を取り戻すのにすごく重要な行為だ。
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