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対人支援職のメンタルヘルスと、自己肯定感について


こんばんは。

ぼくは身近な人がしんどくなることが多かったという個人的な経験からメンタルヘルスの世界に入っていったんだけど、兼ねてから、「この業界、しんどそうな人けっこう多いな」と思っていたのね。


今回の自粛騒ぎでも

「役に立ててないことがつらいんです」
「自粛のせいでやりがいを奪われてしまった」

といって、ワークに関することでしんどくなったり、自分のことを責めてしまっている方が少なくない。
とりわけ、介護士さんとか、保育士さんとかな、対人支援を仕事にしている人が多いなあと感じる。

コンディションが悪かったり、お休みをしなくてはいけなかったり、今回みたいに労働環境を制限されたりして、満足いく仕事ができない状態になると、自分から「誰かにとって役に立つわたし」が切り離されてしまう。
そういうつらさというのは、誰にでも少なからずあるとおもうんだけど、こと支援職の方においては苦しみが大きく感じられる人が多いように感じる。


そうした、支援職のメンタリティとか自己肯定感について、すこし考えてみたい。


対人支援職には、「燃え尽き」が多いと言われている。
その理由はなんといっても、「人間を相手にしている」ということに尽きる。とくに次の3つが要因として大きいとおもう。

・即時性が求められること
・厳しい職業規範があること
・感情労働であること


まず、即時性について。
相手が人間である以上、「待った」がきかない。
いままさに、怪我をしたり、傷ついている相手に対して、「明日来てね」は通用しにくい。
多くの場合において、支援すべき相手のニーズに、即時対応が求められる。

僕も多い時は月8回くらい夜間当直業務をやっていたものだけど、夜寝ている時に、救急車がきたら起こされて即対応を求められる。頭なんて働かないし、正直、そんな生活にはもう戻れないよ(笑)

「時間の自由がない」ということの心理的なストレスというのは相当なものだ。

次に、厳しい職業規範があること。
とくに、ファーストキャリアの真っ白な心のキャンパスに、「よりそうこと」「利他的であれ」「サービスの品質に厳しくあれ」というメッセージが刻み込まれる。これらは強烈な「べき思考」となって僕らを縛る。
「職業」倫理であるにもかかわらず、プライベートな領域においても非常に大きな影響を与えうる。侵食といってもいいレベルかもしれない。


でもね、これまでも何度も言ってきたように、すべての「べき」はもともと他者の都合であり、他人視点での善悪の規範がインストールされるものだ。
他人の規範に縛られすぎることは、自分の感情の自由を損ない、息苦しさを生む。


そして、一番大きいのが、支援職は感情労働であるってことだ。
ぼくら支援職が相手にする人たちは、だいたい怒ってたり、悲しんでいたり、不安だったりして、大きく揺れ動いている。そうした大きな感情のうねりの炎を纏った渾身の不平不満・クレーム・要求を、基本的には身ひとつですべて引き受けなければならない。
まるで、弁慶の立ち往生や、メルビンの仁王立ちのように。(蛇足)


前に、「感情とは運動である」、という話をしたことがあるんだけど、それこそ激しい感情ってのはとても大きな運動エネルギーを持っている。
揺れ動く大きな感情の近くにいることは、自分自身が巻き込まれ、振り回されるリスクを常にはらんでいる。

だからこそ、感情に携わる人には、高度な「感情コントロール」が求められると、支援職の学校の授業で言われたりするものだ。(そんなに簡単にコントロールできるなら教えてほしいくらいだ笑。)


「コンパッション・バーンアウト」という言葉があるんだけど、直訳すると「共感して燃え尽きる」という感じ。激しい感情の炎と共に、自分の身も焦がされて灰になってしまうこともある。


ただでさえ支援職というのは燃え尽きのリスクがとても高いのだけど、「役に立たなければ」の呪いが特に強い人には、共通した背景があることも多い。それは、自己肯定感の問題であり、自分の心の奥底にある根源的な空虚感の問題であったりする。


仕事や支援による賛辞や感謝がなければ、自分がここにいてはいけない、生きていてはいけない、というレベルの息苦しさを感じる人を、数多くみてきた。


自分に対する空虚感に苛まれるとき、人は何かでそれを満たそうとする。
それが、お酒やギャンブル、恋愛であるときには問題が明らかになりやすいけど、「支援」にのめり込むことは、あまり問題視されない。
むしろ、評価や賛辞の対象になったりする。そうなると、人はどんどん支援に依存していく。


そこには、「共依存」の構図があり、自分と他者の境界線はどんどんあいまいになる。

そもそも、なぜ僕らは「人を支援する仕事」を選択したのか。
その意思決定の背景に、特定のストーリーがあることが少なくない。

こうした人たちの多くは、小さい頃に他人のニーズに焦点を当て続ける必要があった人たちだ。
もっと具体的にいうと、たとえばものすごくお酒を飲むお父さんがいたり、ものすごくヒステリックなお母さんがいたりするような環境の家庭だと、子dもが生き残っていくためには、常にその要注意人物(かつ重要な他者)のニーズに焦点を当て続けなければならない。
怒鳴られたり、激しい感情をぶつけられたりせずに、自分の身の安全を確保するためには、その人たちをケアしていく必要があるわけだ。

そういう環境をサバイブしてきた人の特徴を挙げると

・他人が怒っていたり、困っていることにとても敏感である
・困っている人のサポートが上手である
・自分の都合は後回しにする
・とても我慢強く、自分の不平不満はあまり表立って表現しない
・ケアがうまくいかないと、自分の何が悪かったのかと心配になる

みたいな感じだ。


この「特徴」を最大限に活かすためには、対人支援の職につくか、ものすごく依存的でものすごくお酒や賭け事にのめりこむ人のパートナーになることだろうね、と、尊敬する先生がいたずらっぽく話していたのが印象的だった。


要は、こうした背景を持った人は、他者をケアするのが「得意」であり、天才的に上手な人になりやすいのね。

ただひとつ、致命的な問題があって、それは、「自分のニーズに無頓着」ということだ。
他人のケアは得意、でも自分のケアは超苦手。これでは、サステナブルにならない。

砂漠で自分が脱水症状になりかけているにもかかわらず、それに気づかないで自分の飲み水を、ひたすら周りの喉が乾いている人にあげまくっているような状態。文字通り、「死ぬほど(死に瀕するほど)親切」なのだ。


ケアの担い手としてはどうみても天賦の才があるにもかかわらず、体調の管理がうまくいかず、「自分は支援職に向いていないのだ」と苦悩している人もすごく多い。

こうしたしんどさから、どうにかラクになってもらいたいと思うのだけど、自責感や罪悪感というのはとても手強い感情で、なかなか自分に対する手綱を緩めることができないんだなあ。難しいよね。



こうした課題に、どんなアプローチができるだろうかといろいろ考えてみる。


まずひとつは、対人支援が「職業である」という認識をもつことだとおもう。
職業という「境界」をもつことで、仕事としての関わり方の範囲を意識すること。どの程度まで関わるのが「双方にとって」ベストか、という枠を意識し、その枠のあり方を周囲の人と時折り確認し合うこと。


そして、ほんの少しずつでいいから、自分の感情やニーズに焦点を当てるということを、やっていく必要があるとおもう。
何が役に立つか、とか、何が褒められるかではなく

「何が好きで、何がイヤか」
「何がラクで、何がしんどいのか」

それを知るために、まとまった時間を使い、ゆっくり休み、心を穏やかにして遊んだり、子供の頃好きだったことややりたかったことをやってみたり、自分の心を自由に動かしてあげるための「セルフケア」を存分にやってあげられるようになりたい。

自分で自分の喉の渇きが分かり、飲み水をあげられるとしたら、その天賦の才にサステナビリティが加わることになるから、最強だと思う。

仮に、本当の気持ちを掘り下げてみた時に、「私は支援が得意だったかもしれないけど、実はキライだった」という結論になったとしても、全然構わないと思う。



さらにいえるのは、「得意」ではなくて、「好き」でつながる関係を充実させることだとおもう。

「仕事をしていないわたしも、わたしである」

そういう感覚を持てるように、仕事的には直接利害関係のない、趣味や気軽なコミュニケーションをとれる関係を耕していく。
あなたの仕事上のパフォーマンスが良かろうが悪かろうが、全然気にしない人というのが周りのどこかにいる可能性が高い。そうやって、仕事以外の人格も実感できるようになっていくと、変わっていくのではないかなとおもう。

かの有名なカウンセリングの神様こと、カール・ロジャーズですら、中年期にアイデンティティの危機に陥ったときに、こう言っていた。

「私のしたことを好きな人がいても、私自身を好きになってくれる人は誰もいなかった。私は愛するに値しない人間で、実は劣っているのに前面に立たされていた」


人間は、自分の「ワーク」と自分自身を同一視して、ワークの価値によって自分の存在価値を証明しようとする傾向がある。

でも、人を助けていないあなたも、あなたなのだ。
ワークと切り離された、もっと素朴で、何も形容されていない、ただ「ある」存在としてのあなたを、誰も消すことはできない。


少しでもそんな風に思ってもらえたら、いくらか楽な気持ちになってもらえないものだろうかなーなどと考えていたら、思ったより筆が走ってしまったな。



こんなことを考えるきっかけのひとつに、来週にこんなオンラインイベントにお呼ばれしていることがありまして、介護職や支援職の方が多いそうなのよね。
で、打ち合わせ中に、対人支援職の自己肯定感とかメンタルヘルスのこととかも触れたいね、ということになったのでした。


イベント自体はまだ残席あるようですので、もし興味があったら遊びに来てね。


もし、この辺りの内容が気になったら水澤先生のこの本がおすすめですよ。


あと、ふだんは、メンタルヘルスとかについてもうちょっとゆるいマガジンをやってます。こちらもよろしければぜひのぞきに来てね。


それじゃ、今日はこんな感じで。

またね。



いつも読んでくれてありがとうございます。 文章を読んでもらって、サポートをいただけることは本当に嬉しいです。