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親の意向に逆らえないことについて(境界線と罪悪感)


メリークリスマス。

こないだ、友人から「後悔の残る恋愛」の話を聴かせてもらった。
友人はパートナーシップに苦戦しているそうで、そのことについて同僚に話したところ

「その彼氏ひどいねw」
「もっとあなたのことを大切にしてくれるパートナーはいなかったの?」
と言われたそうだ。

そこで友人は、「数年前につきあったパートナーは、今おもうと私のことをとても大切にしてくれたかも」とおもいだしたそうだ。

ただ、家族から学歴や経歴のことをディスられて反対されたのものあって、結果としてお別れしてしまって、そのことを後悔しているとのこと。

でも、親の意向にはどうしても逆らえない、なんとなく申し訳なさが出てきてしまうことに悩んでいた。

親子関係と罪悪感というのは、とても関係が深いのだよね。
人間は弱いので、他人をコントロールするために、相手の罪悪感を刺激してつけこむという行為をとってしまうことがある。
親というのは、多かれ少なかれそういうことをしがちだ。
「あなたのために、苦労して育てたのに」とか言われると、親の望みを押し切って自身の望みを叶えることはワガママだとおもってしまうひとは多い。


罪悪感の主たる機能は「関係の修復」だといわれている。


以前、罪悪感はセルフィッシュな感情だといった。
厳密にいうと、罪悪感には、役に立つものと害悪なものがある。

「なんか悪いことしちゃったなあ」とおもって、後から「あのときはごめんね」と謝ることができたとき、罪悪感は関係修復に有効に作用する。罪悪感の役割は、じぶんの行動を振り返って、関係を改善に向かわせることにあるからね。でも、罪悪感があるせいで関係が良い方向に向かわないとしたら、害悪になる。というか、そっちのパターンの方が圧倒的に多い。


岩壁茂先生は、じぶんを振り返り前向きにやり直すための罪悪感を「適応的な罪悪感」、じぶんを罰するような害悪になる罪悪感を「不適応な罪悪感」と区別している。そして、後者のせいで、幸せから遠ざかる行動をとりつづけてしまう現象を「幸せになってはいけない症候群」と呼んでいる。


代表的な不適応な罪悪感には以下の3パターンだ。


1)生存に関する罪悪感
私なんかが生きていてはいけない、私は楽しんではいけないという罪悪感
一番よく知られているのは「サバイバーズギルト(生き残った人の罪悪感)」災害や戦争を生き延びたひとが、「私なんかが生き残ってしまって…」と自責の念を持ってしまうやつ

2)分離に関する罪悪感
私は相手(ほぼ親)と一体であるべきで、自分自身であることは許されないという罪悪感
親のいうことに同調しないのは、親を見捨てたり裏切ることだと感じてしまう

3)責任に関する罪悪感
あらゆる困りごとは私が解決すべきことで、それができないと申し訳ないと感じてしまう過剰な責任感
身内のことをいつも気にかけていて、いつか失敗することが心配だったり
誰かのお願いを断ったら、その相手を傷つけることになると感じてしまう


こういうのがあると、「じぶんの人生を楽しむ」ことが難しくなる。
じぶん以外の人間のニーズを優先して生きていて、自身のニーズを優先することが難しくなる。

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Dr.ゆうすけとサクちゃんが「自己肯定感とはなんだろうね?」と語ります。(2018年3月分〜)

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